北 村 二 郎 論 考 集  (北村二郎 作品集・論考集より  
 
2002年頃からの論考(エッセンス版)です。
公表に際して、当時のBBSでの記載内容で差しさわりのある部分は、削除・訂正をしております(そのため、読みにくくなっている箇所があります)。
随時公表していきます。


免震」は、始まりにしか過ぎません。
建築をめざす人間にとって、地震国日本に生まれた人間にとって、
地震対策は、まず第一になすべきことでありました。

「免震」に関しては、まだ、非共振系免震理論確立の一大作業が残っています。 しかし、(1995年の阪神大震災以降中断した)総合設計事務所及び建築家としての作業の再スタートの時期だと思っています。
その前に、論考だけを発表します。

1997年から、意匠系事務所としての活動は中断しています (それ以前の作品は、空中都市空間都市序説脱構築を参照。 中断期間も構造事務所としては活動)。 1995年阪神大震災による「免震」研究のための中断です。 私(北村二郎)個人としても40歳代前半から10年以上の中断です。各種免震装置の開発、最適解のために運動方程式との格闘、地震応答解析、免震実大実験等に明け暮れていました。 これが、作家(建築の意匠作家)として、果たして良かったかどうかは後になってみないとわかりませんが、ものの見方が一変したことは明らかです。 また広い視野に立てたことは明らかです。
この「論考」は、「免震」発売後の、免震研究もほぼ一段落したからの、約5年間のもので、次の段階における、「建築をめざして」の準備作業のためのものです。

この論考は、
「建築」とは何か
その概念基盤を吟味する作業、
すなわち、建築・都市をデザインする上で、
そのよって立つ台座を吟味する作業です。
特に主眼は、
各時代の「台座(エピステーメ・パラダイム)」の総点検を行い、
私達の時代の根元となっている「近代」という時代の「台座」の見直し作業です。
 
建築・都市論集(全体)

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建築・都市論集(各論)

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バッハとモーツァルト
ル・コルビュジエ

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「直観」
純粋性と多義性

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古典主義
近代主義
プラトニズム
近代空間VS中世空間



北村二郎 作品集・論考集
 
 





2002年

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学生時代の原点 1    投稿日:2002年 9月12日(木)

大学の建築学科に入って都市設計を志望して、(人生)最大パニックのひとつに遭遇したのは、
人は「ツリー思考」しかできないということだった(C・アレキサンダー)。
それは一人の個人では都市の(多様性ある)設計をできないということ(やるべきではないということ)。
ツリー思考を超え出ること(それができない限り都市設計はあきらめる)。それが学生時代からの課題だった。
「ツリー思考を超え出ること」ことが最大の課題。

そこに無意識(夢)の登場、無意識は決してツリー思考ではない。そして「ディオニュソス」の源泉。

僕ら(ここから複数形)の学生時代は、ここからスタートした。 そういう僕(ここは単数形)は数学愛好家ですが(数学=デカルテジアンではない)。数学はすごい武器だ。しかし手段だ。創造・想像エネルギーの決して源ではない(数学(創造)者は別かもしれないが)。
創造って、(当然ツリー思考も使うが)ツリー思考では追いかつないため反ツリー思考(いや非ツリー思考か)を全面的に使用する。「夢」ってそういう意味で一番の創造のゆりかご。いかに無意識を活用できるか。全面的に思考に参加できるか。そういう意味では創造とはディオニュソスの場を全面的に活用している。

現代の、創造の第一線のかなりの人は、この方法を採用している。それは理性(アポロ)信仰というよりは、ディオニュソス信仰に近い。夢の場の活用(ゆき過ぎると薬の活用までしているアーティストもいる状況か?)。無意識の全面的参加。それができないと、置いてきぼりにされる、そんな状況。
大地=無意識=意味・価値創造の場。
もうニーチェのいう「超人」の世界が始まっている。 いや、創造の現場では、かなり以前から。そうして知識集約(創造)型産業構造に向かえば向かうほど。

このことは、別段、フーコー・ドゥルーズに頼らなくても、直感的にわかる時代にもう入ってきていると思う。
フーコーの主著の「言葉と物」の「人間の消滅」は刺激的過ぎる書き方。しかしこれも学生時代からのキーワードだった(僕らの学生時代は、実は、サルトルの実存主義ではなく、構造主義でもなく、フーコー・ドゥルーズだった。まだ主著は翻訳されていなかったが)。だからあの話って、30年前の話の蒸し返しだった。しかし、ひとつひとつ話していかないということで。 実は僕らがドゥルーズに刺激されたのは、ツリー思考からリゾーム思考だった。
しかし、これも都市設計家のC・アレキサンダーの焼き直しだった(彼はツリー思考からセミ・ラチス思考だった)。僕らの世代には同時期に入ってきているが、前の世代の感覚では、哲学って創造の実践現場から遅れているなという感覚だったと思う。しかし、掘り下げている人間にとっては、すごい教材だった。
そして無意識へ。僕らの学生時代はラカンが多かったかな。だけどみんな物にならなくて苦労していた。理論ではなく、実践でやらなくては埒があかない世界なのに、理論でやっているという感じを僕達はもった(みんな論文のためにやっていたのかな。僕は実践的な人なのでその辺のところはよくわからなかった。結局理論でやる人間はいつも実践家に負けるという感じをもっていた)。



学生時代の原点 2    投稿日:2002年 9月16日(月)

〇夢、無意識へ、さらに言えば、人間が変われるとしたら、(無意識=)旧皮質(の回復)かもしれない(大脳全体の活性化とは、新皮質と旧皮質のコンビネーション能力)。

ニーチェの、超人=「大地の意味」って、この旧皮質。そしてこの旧皮質による自然・大地とのつながり(他者とのつながりも入るか)。それを失って行く過程が「近代(理性=アポロのみの崇拝)」だったという事。そういう意味で、「超人」とは、人間の本来もった全体能力の回復(ディオニュソス+アポロ)という事。

しかし、フーコーと言い(人間の死(消滅))、ニーチェと言い(神の死→人間の死→超人の誕生)、刺激的過ぎる言い方をするものだ。
その「超人」も、凄く誤解のある言葉だった。
ヒットラーは「超人」の概念を悪用した(ニーチェの妹のエリーザベトの問題ある編集によって成立した主著の「権力の意志」という概念が誤解をさらに与えた。さらに反ユダヤ主義のエリーザベトがナチスにすり寄って一層の誤解を引き起こした)。

しかし、21世紀に入り、地球、自然、大地というキーワードから考えると、「大地の意味」としての「超人」は腑に落ちる。 確かに人間は変わらなければ、この地球・自然・人類を破滅に追いやる。

〇前回の「ツリー思考」について説明を補足しておきます。
まず、「都市はツリー(構造)ではない」という事、それゆえ、 都市の多様性は、ツリー思考によっては実現できない(C・アレキサンダー)。
また、(自己の中の他者性を含めて)他者を包含できないのがツリー思考といっても良いかもしれません。
さらに言えば、優れた文学また芸術は、ツリー思考を超え出ているところがあるといってもよいかもしれない(M・バフチン等の分析)。

〇ニーチェとフロイト
以前から感じていたことだが、フロイトの源泉はニーチェではないかと。そして、フロイトの無意識はニーチェのディオニュソスからインスピレーションを得たものではないかと(言い過ぎれば、ディオニュソスを単純化?したものではないかと。それを、ドゥルーズは元=ディオニュソスに戻したのではないかと)。
そのことを裏付けるものが出てきた。フロイトの「自叙・精神分析(1935年)」で、ニーチェとの関係を告白している。 「精神分析入門」の中でも、フロイトは「エスは、ニーチェの用語だ」と言っている(後期のフロイトは無意識をエスと呼ぶ)。
フロイトの「リピドー」は、ニーチェの「力」「ディオニュソス」といってもよいか。



学生時代の原点 3    投稿日:2002年 9月29日(日)

人間以外の動物(犬くらいまで、サルは?)は、地震予知ができるようだ(予兆を感じるようだ)。
また、いろんな予兆を感じ取る能力が、人間以外の動物にあることはまた有名。沈没する船から事前にねずみが逃げだす等。また人間にはない能力(失われた能力)を人間以外の動物に(いまだに)存在することも。  
おそらく、人間にも太古にはその能力が備わっていたと思われる。大脳新皮質が大きくなる過程とその能力が失われていく過程とは併行している。結局、大脳新皮質が旧皮質を覆い尽くしてその能力を鈍くし失われてゆく。それが今まで人間における進歩(進化)と見られていたようだ。  ニーチェの、「大地の意義」としての超人(またディオニュソス)には、ひとつにはそのような意味が含まれている。彼は夢=無意識の大切さをフロイト以前に唱えていた(発見していた)。  
この地震予知研究をしていて痛切にそのことを感じさせられる。人類のこの何千年かの歴史は、非常に脆弱な発展だったと。しっかり大地に脚をつけた発展ではなかったと。「大地の意義」には、この脆弱さから大地にしっかり根をおろすことの意味も含まれている。それは、生命35億年の歴史(DNA情報の中には全て含まれている)に、しっかり根をおろすことも含まれている。  
今回の地震予知も、実を言えば、(動物的)直観力が全てに勝っている(そんなものは決してツリー思考構造ではない)。直観力が数学的理論・手法を導き出す。自然現象を観測していて、感じる能力(動物的勘)しか理論を導き出せない。何よりも勝るのは、まず、そういった直感力だ。それを鍛えることのみか。  今日は、「学生時代の原点」の続編を兼ね、まじめな話を書きました。



天架けるドーム    投稿日:2002年10月 4日(金)

フラーのマンハッタン全体を覆うマンハッタンドーム計画もおもしろい。
さらに、地球全体を覆う球(ドーム)の計画はもっと圧巻。地球の重心と球の重心とが合うので、地球を覆う球全体が一本の柱も無しで空中に浮き上がる。これは僕の発案だったか、はっきりしない。



天翔ける大橋 = 東京−ロス、20分    投稿日:2002年10月 4日(金)
上記のようなもの(球)は、円でも良い。地球の重心とその円の重心とが合うので、地球の回りに円全体が一本の柱も無しで空中に浮き上がる(海上=太平洋・大西洋でも全く柱が不必要)。リニアーモーターカーでも走らせますか。
このリニアーモーターカー軌道をチューブで覆って、中を真空にすると経済速度は、時速4万キロ(半分くらい真空にすると時速3000キロ)と言われています。1時間で地球を一周する。東京−ロスは20分くらいかな。これも僕の発案。



天かける大地 = 学生時代の原点 4    投稿日:2002年10月 5日(土)
天架けるドーム(上記)を大地=地盤とみなして、そこに建造物を建てる。
空中に浮いた完全な免震地盤だ。 空中地盤だ。空中都市だ。
そこに、免震の出発もあった。



「反」と創造 1    投稿日:2002年10月14日(月)

ニーチェの場合、人生のかなりの時間をキリスト教との戦いに費やした(神の死)。だから、その後の事(「人間の死」とその後「超人」)について、書く時間がほとんど残されていなかった。
そのあとの、後裔(フーコー、ドゥルーズともに)たちも同様に、そのあとについて、描けていない。彼等も現代的問題との戦いにほとんどの時間を費やされた。
大抵そうだろうが、現状の問題(その時代の問題)との戦い、その問題が大きい程、そののちの事に割ける時間がなくなる。 しかし、戦略的に、そのような戦いを打ち捨てる(こちらが無視する)。そしてその先の創造にほとんどの時間を割く。それが(その時代には虚仮にされ無視されたとしても)賢明な方法かもしれない。
批判と創造は、全く別ものだ。
結局、ニーチェを見ていると、(批判すべき対象と)逆の事を書いている。「転倒」といって、逆の内容を書く。コルビュジェにも、いつも「転倒」を感じていた。さらに言えば、近代(いや20世紀か)というものに、いつもその「転倒」を感じていた。
創造とは、過去の批判そして転倒 "ではない" と感じる時が多い。



「反」と創造 2    投稿日:2002年10月14日(月)

創造について、
例えば、「耐震から免震へ」と言った場合、 数学的には、私たちの「免震」は、「耐震」の線形数学の延長でもないし、「反」線形数学へでもない。
(現状は仕方なしに)非線形として一つにまとめられているが、線形とは別の世界だ。
線形とは別の世界のものでないと、恐ろしくて地震に共振して使えない。ダンパーを使おうが共振領域または全く免震しない領域を持つ(そういう免震が数多く存在していますのでご注意)。 このように、創造と言うものは、決して「転倒」=アンチから生まれてくるものではない。

ニーチェについて言えば、
最も深遠なる中核思想と言うけれども、「永遠回帰」は、あまりに問題が多い。無理が多い。ニーチェを分からなくさせている。
直線的歴史観(終末論も入る)から、円環的歴史観(永遠回帰)へ。
これは、アンチヘーゲル、いや、ソクラテス以降の西洋哲学総体を批判するうえで中核かもしれない。しかし、ここで大きく挫折し始めている。
それまでの彼自身の中核思想と矛盾し始める。
神の死→人間の死→超人(=猿→人間→超人)などは、非常に単純な直線的歴史観だ。
アポロとディオニュソスとの対立・止揚なども、ヘーゲルの弁証法=直線的歴史観(円環しながらでも進歩する進歩歴史観)だ。晩年、これは認めて、ディオニュソスの一元論的世界を言い始めているが、無理がある。
このように、それまでが直線的歴史観にもかかわらず、永遠回帰を言い始めるから分からなくなる。
結局、それまでの哲学(ソクラテス以降の西洋哲学総体またはキリスト教)の「転倒」を言い始めた段階から、そして、その中核思想(歴史観)の提出から、大きく矛盾し始める。

ニーチェの場合、もう少し、いや人生をやり直せるくらい多くの時間があると、その矛盾は解けたのかも知れない。というのは、円環的歴史観の提出とは、全てやり直す事を意味する。そこから全て書き直す作業だ。もしくは、今までの自分の中核思想とマッチする歴史観を提出すべきだったのか。それでは歴史総体との対決という事に対してインパクトはなかっただろう。 ニーチェの後裔たちも、そこに多くの時間を奪われる(ドゥルーズは、篩概念を言い出している。そうなると直線的歴史観になってしまう)。結局、つじつま合せに多くの時間を割かれ、人生が終ってしまう。



「反」と創造 3    投稿日:2002年10月21日(月)

結局、戦い(批判)に費やす時間の方が多いのか、創造に費やす時間が多いのか(戦いに費やす時間は本当は避けたいものだ)。
過去の問題に、過去の勢力とぶつかつている時は、圧倒的に、戦い(批判)に費やす時間の方が多くなる。
また、閉塞期の時代においては、(現状)批判から始めると「創造」に至れるという幻想(錯覚)もある。
僕たち(建築をめざした僕たちは特に?)は、20世紀前半の革命が終ってから「後れてきた世代」だと言われてきた。
そのため、現状批判から始めた。その方法が本当に「創造」に至れるのだろうかと思いながら。
そして、70年代後半〜80年代にかけて、非常に単純に言えば、2分法(全体/部分、同一性/差異性、インターナショナル/地域性、画一性(均質)/多様性)での批判から、「転倒(逆転)」という方法で、それが、アンチモダン→ポストモダンを創り出すと錯覚した人も多い。
しかし、もう(ポストモダンを含めて)そのやり方に辟易しているというのが本当だ。「批判」と「創造」は違うのだと、何回も言いたくなる。
ニーチェを読んでいて、100年間この人の呪縛に。しかし、単なる「転倒」ではないのかと思うことが、(初めからだが、特に最近)、あまりに多い(しかし、いつ読んでも学ぶところが多い人だし、「転倒」ではないところも多々あるが、体系的に読むとやはり「転倒」か)。 もうそろそろ、「転倒ではなく創造を」と思う。 20世紀後半は「批判の時代」だった。そろそろ「創造の世紀」にと。
何もない時(閉塞期の時代)には、過去(の時代)に眼を向ける。しかし、イノベーションが起こっている時には、前にしか眼を向けない。
僕らの生きた前半は、そういう意味で、批判の時代に(身をおき、やむを得ないが)、しかし後半は、創造の時代において(いるだから)、創造に没頭したい。
人生前半は本当に時間をつぶした。それを取り戻したいというのが本当のところ。



「反」と創造 4   投稿日:2002年10月22日(火)

批判からの作業は認められやすい。「反**」というやり方は、分かりやすい。「非**」では何を言っているのやらと思われる(実際そうだ)。そう思われたとしても、そちらの方がよほど創造的なのだ(結局全部を創造し証明しない限り認められない。大変だが、それを成し遂げた後の成果は格段に大きい)。
この批判から説き起こしていくのは、アカデミズムの常套的な方法なのだが、創造という観点から考えて、それで何が得られるというのだろう。創造とは、どこかでジャンプしないと、飛ばないといけない。非連続性なのだ。
ニーチェの失敗は、このアカデミズムのやり方を最初にマスターした事に由来し、彼の成功は、このアカデミズムから逸脱していった事に由来する、と最近感じる(ピカソの話をしているようだ)。
人間は権威に弱い。認められようと思う。それが結局、時間を大きく失い、人生を損なう事になる。
もっと早く権威との関係を切っていればと、ニーチェを見て感じる(彼ほどの才能を無駄にし、結局未完に終っている)。



ポストモダン   投稿者:環境防K    投稿日:2002年10月23日(水)
結局、学生時代終了直後から流行ったポストモダンというやつは、2分法的発想での反モダンだった。
何が嫌だと言っても、実はあれほど嫌なものも無かった。2分法での分析、これは本当に創造と言えるものなのかといつも疑っていた。 あれはなんだったのか。



ポストモダン    投稿日:2002年10月24日(木)

バブル時代に本当の憎しみをもってしまう現状(この状況は後どれだけ続くのか=失われた10年と言われてから既に何年経つのか=どれだけの会社が潰れるのか=どれだけの中高年がリストラされるのか=あまりに後遺症が大きい)、あの時代の風俗、あの時代の建築に、同様の感情を持ってしまうのは致し方ない。あの時代をつくった(特に仕掛けた、画策した)作家たちは、憎悪の眼で見られても仕方がない。
そういう感覚で、時代にのった勢いで、あの時代の創作方法論を批判するのは良くないが、冷静には、、、そういう時間はすでに経ち、そういう時期だとも思う。



聡明さは絶対的愚鈍の前に敗北    投稿日:2002年10月24日(木)

聡明さは、絶対的愚鈍の前に常に負けてしまう。
これは、蓮實重彦氏の著書「凡庸なる芸術家の肖像」の中のものです。 78年頃からの連載で、88年頃に単行本に。45歳頃から書き始めて55歳頃に単行本完成。



「反」と創造 5 =ヘーゲル弁証法    投稿日:2002年10月25日(金)

いままでの一連の話の2分法的思考は、正→反(→合)のヘーゲル弁証法の罠だ(今まで、僕たち自身は、ほとんどそのような体験していない。また、そのような思考・志向をすべきでないと。だから、この弁証法は、生きるためには現実的でないと思っている。このような思考・志向では滅びるとまで思っている)。
歴史と言うものは、ヘーゲルの生きた情報接触・技術革新の小さい時代では、正→反→合、だったかもしれないが(しかし本当にそうだろうか。フーコーの著書「言葉と物」では歴史の認識論的台座の不連続性を説明している=しかしこの著書も少々荒っぽい。T・クーンもパラダイムの不連続性を言っている)、正→非(別のもの)→非(別のもの)という事も多い。いや、よりそうなってゆくのでは。
いや、そうでないと、現代のような激動の時代に、こんな悠長な歴史観・社会メカニズム観では、その個人・企業・社会・国・文明は、他との競争に負けて滅びるといっても良い。
現代の技術革新の激しい時代にとって、知識資本主義が発展すればするほど、正→非(別のもの)→非(別のもの)→非(別のもの)→非(別のもの)、の連続かもしれない。
というのは、技術革新また知識資本主義のベースとなる「発明・発見」をしている人間にとって、そんな思考では食ってゆけないからだ。



聡明さ    投稿日:2002年10月26日(土)

優秀さや、聡明さなどというものは、高だかしれているのだから、徹底的にやれ、徹底的に愚鈍たれ。
というのが、20才代の一番の教えだったか。
ポストモダンのはしり、軽薄短小の時代、上っ面に流れる時代、刺激的な警句だったのか。
20才代、構造主義から、フーコー、ドゥルーズ、デリダを読み耽り、20才代の終りか(70年代の終りか80年代の頭か)、この言葉で大きく視点が変わり始めた事は確かだ。



凡庸さ   投稿者:環境防K    投稿日:2002年10月26日(土)

「凡庸な芸術家の肖像」1979年1月〜1986年1月まで「現代思想」に連載、そして1988年10月完成(サルトルの大著の、ギュスターヴ・フローベールの評伝『家の馬鹿息子』の蓮實氏翻訳作業の時期とも重なるか)。
ポストモダンのはしり=相対化に走りださんとしていた時代から、バブル突入までの7年間に連載、そして、バブルのピーク直前に(それに合せたように)完成か。決して、ポストモダン的潮流にくみしたものではない。
僕らにとって、20才代後半から30才代半ば。ほぼ毎月の連載、影響を受けざるを得ない。
しかし、あの時代、どれだけの人が影響を受けたのだろうか。結局、バブルに突入、バブルに踊り、バブルに泣いた。そして、失われた10年(以上が経つ)。また、決して、今の時代でも読み継がれているとは思えない(書名のせいか。元気のない時代には余計に読む気を喪失)。しかし、芸術家をめざす人にとっては必読書か(暇な人に限るか)。
絶対/相対、聡明/愚鈍、の2分法には閉口するが、絶対的聡明、相対的愚鈍でないところ、すなわち、「絶対的聡明=非凡 VS 相対的愚鈍=凡庸」だったら、救いは無いが、絶対的愚鈍=非凡、相対的聡明=凡庸、だから救いはあるか。



永遠回帰   投稿者:環境防K    投稿日:2002年10月27日(日)

結局、(直線的(進歩)歴史観を捨て永遠回帰に帰依した場合)、永遠回帰には、絶対的愚鈍だけが耐えられる、ということですかね。



永遠回帰と絶対的愚鈍    投稿日:2002年10月27日(日)

環境防Kさんに、えらく先回りされた。
構造主義の話をしてからと思っていた。
永遠回帰を含めて、歴史観って、全て形而上学なんだよね。 信じる方は、(絶対的に)信じるかどうかだけなんだ。だから、「帰依」という言葉使いは正しい。
歴史観を創る方は、数学の世界と同じで、どこまで破綻無しで語れるかどうかだ。
確かに、環境防Kさんの言うように、
永遠回帰の世界だったら、絶対的愚鈍が圧倒的有利か(確かに、他は耐えられない)。
直線的進歩歴史観だったら、日々努力して相対的差を少しずつつける方が有利か。
しかし、芸術って(数学の世界もそうだが)、相対的差じゃないから(ポストモダーンの時代はそう思った時代かもしれないが)、直線的進歩歴史観からはみ出ている。永遠回帰か。
永遠回帰なら、絶対的愚鈍が圧倒的有利ということになる。
絶対的愚鈍とは、つまり、永遠回帰に耐えられる愚鈍さ(鈍重さ/ニーチェは鈍重さという言葉を嫌った)ということか。



ニーチェの永遠回帰 1    投稿日:2002年10月29日(火)

同じ生(魂)が未来永劫に(同じ人生を)繰り返す。そうであるなら、当然、それに耐えられる生(生き方)を選ぶ。それに耐えられない生は送らない。
これが、ニーチェの(究極の)形而上学。そして生き方の指針か。
これが真実かどうかはわからない。
しかし、終末論的歴史観に対立する、もう一つの絶対的考え方である事は確か。
また、その永遠回帰する世界では、(お茶を濁すような)取りあえずの考え方・生では、(毎回毎回やって来る同一の生には)耐えられないことも確か。これしかないという生(自分にとって絶対的生)の選択だけが耐えられる。
ここが、ニーチェ哲学の根幹だった。1881年にその考え方は襲ってきた。しかし1889年1月3日に昏倒するまでに残された時間は余りに少なかった。
ニーチェの永遠回帰には、(一個人が埋没するようなヘーゲル的な)歴史の物語はない。(永遠に繰り返す)個人の魂の物語しかない。しかし、人間革命(宗教団体ではない)。その革命を起こすと人間の歴史は自ずから変わると。
ヘーゲルの直線的歴史観(円環しながらも進歩する)というものには、歴史の歯車になる生、歴史に翻弄される生、しかない。 それに変わりうる世界観提示になっただろうことも確か。
ただ、どれだけの人がこの思想に耐えられるだろうか(ニヒリズムの克服かもしれないが救済にはならない。しかしそれがもう一つの超人の意味か)。



ニーチェの永遠回帰 2    投稿日:2002年11月 1日(金)

永遠回帰は、ヘビーな物語だ。ニーチェもそう書いているが(西欧の形而上学の伝統だから、ヘビーにならざるを得ないか)。
しかし、よく考えると、キリスト教のアンチテーゼでしかない。 2分法的思考方法をとるなら、終末論的歴史観に対立する、こういう世界しか構築できなくなる。ヘーゲル弁証法の2分法の罠に、弁証法を徹底批判しているニーチェが嵌まっている。また(無根拠な)形而上学を新しく打ち立てようとしている。



ニーチェの永遠回帰 3    投稿日:2002年11月 1日(金)

形而上学を数学的宇宙と同じように考えてしまう。論理的破綻なしで、全てを語り尽くせるか。

アインシュタインの宇宙は、リーマン幾何学だ。
ニュートンが偉いのは、微分積分を自分でつくり、力学の解析の基礎まで作ったことか(アインシュタインは、その基礎となる数学を自分で作らず、リーマンから借りてきている)。
このように、数学との関係で、物理的宇宙を考えるし、形而上学まで考えてしまう。
このような考え方は、デカルト以降だと思われる。その代表が「エチカ」のスビノザだ。幾何学的方法によっている。

ニーチェも同じように考えたみたいだ。サロメに、永遠回帰を科学的(数学・物理学的)に証明するためにウィーン大学に一緒に留学しようと話している。結局、断念した。生来数学が苦手だったためらしい。



ポストモダーンとポスト構造主義    投稿日:2002年11月 2日(土)

ポストモダーンについて、最近、奇妙なものを読んだ。ポストモダーンとは、ヘーゲル・マルクス的なものを脱しようとする動きだったと。
どうも、この人の話では、
   モダーン=ヘーゲル・マルクス
   ポストモダーン=ポスト構造主義(ニーチェアン)
という図式らしい。 また、
   実存主義→構造主義(実存主義批判)→ポスト構造主義(構造主義批判)
という流れがある。ただ、構造主義は、無意識の構造を扱い、その決定論に近い(歴史が決定しないが)。  簡単に書けば、
   歴史主義=歴史(通時系列)が決定。
   構造主義=構造(共時系列)が決定。
確かに、決定論だ。個人の主体は関与しない。個人は逆に歴史また構造によって決定される。それを、批判する動きが、ポスト構造主義。確かに、歴史また構造に埋没した個人の復活、という動きだと思われる傾向がある(しかしそう話は単純ではない)。

※ポストモダーンという用語は建築からはじまったと聞いている。僕ら建築をやっている人間にとって、「モダーン」と「ポストモダーン」とは、
   モダーン=1920〜30年代の近代建築(インターナショナル様式/ミース)
   ポストモダーン=反近代建築、反インターナショナル様式、反ミース だった。



構造主義+歴史主義 1    投稿日:2002年11月 3日(日)

若い頃のある時期、構造主義+歴史主義というものが、構造(共時系列)と歴史(通時系列)の両方での決定論が出てくるのでは、思った時期があった。
フーコーの著書「言葉と物」はそれに近い(しかし、構造の通時的な不連続=予測不可能性によって、この本ではその可能性は閉ざされている)。
しかし、それが明瞭になれば、(それを考えついた人間は面白いかわからないが)耐えられない世界だ。 人間の主体の恣意性(自由)などない、まったく個人は身動きが取れなくなる(それこそ「主体の死」)。 それを、フーコーは「人間の死」と予言的に言ってきたと思った時期があった。



ニーチェと創造力(ニーチェアンと創造力)    投稿日:2002年11月 6日(水)

ニーチェアンのデリダが出てこないって。
僕は、(形而上学=幻想物語?=虚構?に近い世界の哲学は)厳密にやっても高がしれていると思っている(厳密さより、語り方のほうを考えたらと思う。「ツァラツゥストラ」のように)。
全て証明できない事を、どれだけ説得力あって語れるか、というより、時間が検証してくれるという姿勢、時間というものに耐えられる姿勢、また、社会・個人に、どれだけ活力を与えられるかという姿勢だ。
そのような、永遠性にかけるものの検証を、一個人の限られた時間でやれることは高がしれているし、またできない。人生の時間が限られているのだから。芸術家は証明するかって。証明しない。その姿勢に近い。創造に重きをおいた姿勢の方か大事だと。芸術家特に詩人が一々証明していたら、幾ら頭があっても足りない。
そういう意味で、(ニーチェ以降は特に)フッサールもヴィットゲンシュタインも興味がないというより、どうでも良い。毎日が、物理的・数学的検証の世界にいる人間にとっては、当たり前のことをどうもわざわざありがとうっていう感じだ。毎日が、厳密厳密だ(それは当たり前の自然な姿勢だが)。それを哲学に求められるのか(哲学って、やはり、最終的には形而上学=幻想物語ではないのか※。それを捨てれば哲学の役割も終わりか)。時間が検証してくれるのを待ったら! そして何百年何千年に耐えられるものを出したら!(方法論ばかりやっているのでは無く、そのため創造的なものは何も出せないで、人生を終るより) そして、時代・社会・個人に、どれだけ活力を与えられるかものを出せるかということに専念したら! と思う。
哲学というものが真に創造力だという方向に変わらないと(もう哲学なんか本当に不要な時代になりつつある。それこそ危ない)。そして哲学者も、創造力を競わなくては。
哲学者ほど創造力を必要とし、創造力を期待されている世界も無いのではないかと思う。 ニーチェは、哲学が創造力だということを果敢に示してくれた。
その果敢さにも見習うべきだ(その果敢さを失わせる人が、失わされた人以上に果敢であれば救いがあるが、一般的にはそう言うことはまずない)。芸術家は、もっともっと果敢でないと。
ニーチェアンのデリダもこれからが本領発揮かもしれないが(ただ、哲学者というものには、語れば語る程に、自分の道を閉ざしていく、袋小路に追い込んでいくタイプがある。そうでなければよいが)。

※現体制の、民主主義、自由、平等という理念も、形而上学で成り立っている(それが正しいという検証は可能か。時代の枠組の中での判断ではないか。しかしそういう「懐疑」に耐えられ、鍛えられたものでないと)。理念というものは全て形而上学の基盤上のものだ。



構造主義+歴史主義 2    投稿日:2002年11月 8日(金)

フーコーは、あえて(知の台座の時代と時代との)直線的連続性を断ち切ったって?
確かに知の台座の連続性を作る手はあった。しかし(連続的歴史観の)ヘーゲルにならないために。
(ヘーゲルにならなくても)十分に決定論的だ。さらに、知の台座の不連続にもかかわらず=次の時代の予見不可能性にもかかわらず、「人間の死」という形で未来まで予言している。これは、一体なんなんだ、と当時思ったし、今でも思う。
1966年当時、哲学書にもかかわらず、この「言葉と物」はベストセラーになった(こんな難解な本がフランスではベストセラーになる。それは驚きだった)。日本での翻訳は遅れ、1974年に。ぼくらの学生時代だった。学生時代に、真剣に読む気になった一冊だった。



















無意識の構造    投稿日:2002年11月 9日(土)

無意識の構造概念を出そうと考えていた時期、論理的思考・秩序だった思考(アポロ・理性)=「ツリー」に対して良い概念は無いかと。無限派生し、主と従との差が無い構造をと。
同じ概念に近いと思うが、
都市設計では、計画的に作られた都市=階層的な「ツリー」構造に対して、自然発生的都市=(ひとつの要素が複数の上位カテゴリーに属する)「セミラティス」構造を対義語に使う。
が、もっと立体的な、さらに、時間概念さえ含んで(時間さえも後先の序列の無い)四次元的な構造を。
それに近くないが、「千の高原」(1980年)の第一章リゾーム(1976年に「リゾーム」だけ刊行)は、ドゥルーズの中で最も創造的なものか。
わかり過ぎるくらい良くわかる。しかし(リゾームより)もっと適当な概念が無かったのかと思うくらいに。
これには、以上のように都市計画の方が10年以上も先駆けていた。学生時代の70年代初頭には僕らは既にツリー/セミラティスの対比を使っていた。1965年に「都市はツリーではない」をC・アレグザンダーが発表。アレグザンダーは70年代始めにはすでにポストモダーンの先駆け的存在だった(今考えても、最も明確な原理的批判か)。建築・都市設計の世界では、ドゥルーズ以上に影響を与えた一人か。そしてドゥルーズにも影響を与えただろうと言われている。



理性の構造    投稿日:2002年11月10日(日)

「理性」は幻想か。
それも、デカルト以降の近代のヨーロッパ人が考えた幻想か※。
「理性」とは、数学モデルか。
(デカルトからカント=数学が理性のモデルか、ヘーゲルでは歴史の背後に隠れた巨大な「精神」=巨大な「意志」(この用語はヘーゲルではない)となる。ここではデカルト・カントまでの「理性」か)。
デカルト・カントの時代は初歩の数学を「理性」と見ていた。
現代数学なら事情は違う、すごく多様なものとなり(いや、多様なものを包含する方向に進むか)、無意識(構造)まで包含されるかもしれない。現代数学の(包含)多様性に気づくなら、その多様性をもって「理性」と規定するなら、「(かなりの※※)無意識」まで「理性」に包含される事になるだろうか※※※。
理性が(初歩数学的な)カチカチの非創造的なものにとどまっているなら、そんな理性は必要ない。理性こそ活力に満ちた創造性に富むものでないと(時代の拘束要因にしかならない)。
→ 「人間の終焉」=「理性的主体の終焉」は、「初歩数学モデル的主体の終焉」と読み替えても → 数学系の環境房kさんには理解しやすいかも、しかし単純化しすぎて誤解もたれてもいかんか※※※。

※フーコーの「狂気の歴史」では、デカルト以降(理性の時代の始まり=古典主義の時代)から、狂気(無意識・ディオニュソス:無意識の中に狂気も包含される)と理性の分離が始まったとしている。
※※数学は体系の逸脱が許容されないので、まだかなりの領野は残るか。
※※※「理性の構造」の数学化について、やはり数学もそれまで考えられた思考の産物でしかない。より時代が進んだとしても、結局、数学も人間の脳の産物でしかなく、それを超えるものではない →ここで「理性の構造」の数学化はあきらめてしまう。



構造主義の構造    投稿日:2002年11月12日(火)

理性について、数学がモデルだと書いたが、 構造主義は、数学モデルに代えて(いや、数学に加えての方が正確か)、言語学を持ちだした(確かに文化を語るのに数学だけでは遠い)。
言語学といっても、F・ソシュールの言語学、ヤコブソンの音韻論。 構造主義は、それをベースに、社会の無意識的な規範・システム・認識構造などを解明しようとした。代表選手は、レヴィ・ストロース(サルトルと天敵関係の)。そして、バルト、アルチュセール、ラカン。前期のフーコーも入るし、ドゥルーズも分かりやすい解説を書いているので、(この解説を読むと)構造主義シンパだった時期があったと思われる。
彼等の活動期間、ではなく翻訳が出始めた時期と、僕らの学生時代とが重なっているので、本当は最も影響を受けた思潮のはずだ(が、その影響度は少ないか)。
しかし、(形而上学での)数学モデルに比べれば、恐ろしく短期間で、すぐにその可能性は掘り尽くされ、下火になった。
そして、現在、数学・言語学以上のモデルを探し求めている。それが表れれば、また飛びつくだろう。それほど、ヨーロッパ人にとって、理論モデルがないことへの不安の意識はたかい(フーコーと同じ言い方になったか)。
今まで、紛らわしい「構造」という言葉を使っていたので、今回、「構造主義」について説明しました(上記の「無意識の構造」「理性の構造」「構造主義の構造」で使用した「構造」概念と構造主義の「構造」概念とは無関係)。



形而上学    投稿日:2002年11月16日(土)

形而上学って、
実用的な立場で考えると、(前もって知らないことがわかる)予知学みたいなもので、将来が、絶対確実に予測できる学問みたいなものか。 人間社会のあるべき姿、将来あるべき姿、理想形、が絶対確実にわかる。 数学・物理学は、社会のあるべき姿、理想形などはわからないが、物理的世界では、それもノイズを取り除いた純粋世界では予想が100%当たる。
私たちの、免震装置などの実験では、(ノイズはあるが)100%近く前もっての予測が当たる=理論値とおりになる。この地震がくると、このくらい免震すると前もってわかる。
私は、意匠系の出身で、40歳はじめまで、純粋に意匠家だった。 そして、免震研究を始め、自分で運動方程式=(ニュートンの)微分方程式を立てて、コンピューターで解いて免震性能を予測する。初めは、工学系といっても意匠系の出身だから、まさかそれほど当たるものではないと思っていた。
それが実験結果とドンピシャで当たる。それは驚いた。本当に感動した。芸術も美しいと思うが(美しくない芸術もあるが)、こんな感動は初めてだった、これほど美しく合理の世界もないと思った。神の世界か、形而上学だと思った。そして、ニュートンは神だと思った。
この感想は、ニュートンと同時代の、17世紀の「理性の時代」の感想だったと思う。そして形而上学の基盤=理性(数学がモデル/カントの純粋理性のモデルは数学だ)になった。理性崇拝になった。



形而上学体験・理性体験 1    投稿日:2002年11月17日(日)

上記の話は、(近代・現代的な意味での)形而上学体験・理性体験か※。
僕らは、(物理現象に関して、特に力学が純粋状態の場合はスゴク良く合致するのは※※)当たり前のように感じるかもしれないが、17世紀に僕らが生きていてニュートンの理論に遭遇した場合、そのように、驚きをもって感じるであろうことを言わんとしている。
この衝撃的な感動が分からなくては、「理性」の意味も分からないし、カントの「形而上学」再興にかける思いも分からないと(事実、40歳前半まで、形而上学また理性というものが、体ではわからなかった)。
西洋近世近代の、このような、(僕のような素朴な民衆の)形而上学体験・理性体験がわからないと、デカルト以降の歴史がわからなくなる。「神が存在し、そういう合理性を自然に与えている」という感覚がわからなくなるだろう。そして、この感覚は、西洋に限った話では決してないだろう※※※。
そういう絶対的なるものをイメージできることは、イメージできない場合よりも、おそらく、「強さ」をもつだろう。その強さは、信仰というよりも、こころの、さらに、イメージ喚起力の「強さ」として機能するだろう。

※「解析」などと書かれると話が変わってしまう。
※※体験を通してでなく、記憶する科目のように頭に入ってしまっていると、何の感動もない。
※※※形而上的、絶対的なものへの崇敬を西洋ゆえと片付けてしまい、自然科学・工学の部分だけに崇敬をおくと、全て金銭に換算する経済的繁栄至上主義的になってしまう。現在の日本(人)の弱さは、絶対的なるものをイメージできない、こころの、イメージ喚起力の、「強さ」を失った、弱さだろうか。



主体の構造 (創造主体の構造)    投稿日:2002年11月21日(木)

無意識下に(例えば睡眠中に)他者の声※をたくさん聞き、その声を(知らず知らずのうちに)まとめる。それをどれだけ(意識下/無意識下に)まとめられるか。一人の心の中に、何人の他者がいるか、それが創造の豊かさの前提、そしてそれをまとめられる能力が、創造の力。
この歳になると、いろいろなことがわかってくる。(目覚めている自我では)絶対に想像できない夢の物語。しかし自分にとっては確かな物語。「存在」を感じる瞬間か。
この無意識を味方につけなければ絶対に損だ。恐らく自分の可能性の半分いや何分の一も使っていないことになる。
これも自我だ。主体だ。いや、これこそ自我だ!主体だ!と考えるなら、これは明らかにデカルトの「主体」とは全く違ってきている。

※ラカン「無意識は他者の声」



国宝探訪「待庵」    投稿日:2002年11月23日(土)

いま見ましたが、 建築的な視点で見れば、まず床(床の間)。 この床は、室床。コーナーを塗り込めて天井までも土壁。洞窟、闇の深さをだすつもりか※。
このデザインは、アーティキューレーション(分節)を重んじる、西洋、特に近代的なるものとは、正反対。 近代的なるものとは、第一にアーティキューレーション(分節)。特に垂直物と水平物の明瞭なる分節。また面(壁)と面(壁)との分節。これを推し進めると、ミースのバルセロナパビリオンになってしまう。洞窟なるものとは正反対。マスの否定、ボリューム構成へ※※。
黒楽茶碗「面影」「ムキ栗」、赤楽茶碗「無一物」も、登場するが、楽吉左衛門氏の言うとおり、 黒楽茶碗「ムキ栗」か。しかし、(確かに中底はそうだが)「ムキ栗」の矩形構成よりも洞窟を考えると「面影」が一番マッチングするか。やはり建築空間と茶道具とは一体融合のものか。理念としての「侘びる」の楽吉左衛門氏の説明も面白かった※※※。

※谷崎の「陰影礼賛」とはいきたくない。
※※しかし、茶室→ 数寄屋の「桂離宮」は、近代建築、特にミースに、そして近代建築の代表作バルセロナパビリオンに決定的に影響を与える。 待庵の床(床間)・壁デザイン以外は、基本的にアーティキューレーション(西洋の石造りに比べて)が顕著。そこがアンビバレンツ、面白さか。
※※※「侘び」=「less is more 」だって? ミースの基本思想に? 楽吉左衛門氏がミースを読んだのか。ミースが「侘び」をそのように解釈したのか。それにしても、うまくでき過ぎている説明か。



「less is more」とポストモダン    投稿日:2002年11月23日(土)

ポストモダンと言えばR・ベンチューリ。
ミース VS ベンチューリ、と比較しているくらい、ミースを意識した人。
ミースの「less is more」に対して、「less is bore」と言った(本人もわかってあえて使用していると思うが、含蓄のない言葉だ)。
しかし、ベンチューリの代表作の「建築の複合と対立」は、まだ読めるか。 これから、建築の「ポストモダン」が始まったという人がいるくらい重要な本か。
形態(パターン)の複合、対立形態の複合。形態における対立概念と複合概念の抽出。建築形態の修辞法へ。 しかし、この人も2分法が好きだった。この2分法(二項対立)は構造主義の専売特許とも言われる。
  ポストモダン=二項対立(2分法)
という図式をイメージし、ポストモダン=構造主義的方法(←二項対立)、と錯覚したくらいだった。 そういう意味で、当時(70年台)は、決して、ポストモダン=ポスト構造主義ではなかった。



侘び/モダン/ポストモダン 1    投稿日:2002年11月23日(土)

数寄屋(桂離宮)→近代デザインの原点だけでなく、
 「侘び」→「less is more 」という形でのミースの原点なら、
 「侘び」→近代デザインの原点
ともなる。 そこまで繋がるのは話はうますぎると思うが、考えて見る価値は十分にある。 ということは、逆にいえば、
「侘び」→ ポストモダンデザイン には繋がらない。 それは感じることも多い。 減算法、加算法という視点、
 減算法「less is more」:侘び※・近代デザイン
 加算法「less is bore」:ポストモダンデザイン
ということか。 そして、減算法の究極として、二畳茶室「待庵」。

※「縮み思考の日本」という視点(代表格として「俳句」)、楽吉左衛門氏の考えは近いような気もする。



フーコーの可能性の中心※    投稿日:2002年11月24日(日)

「構造主義+歴史主義というものが、構造(共時系列)と歴史(通時系列)の両方での決定論が出てくるのでは、思った時期があった。そしてフーコーも構造主義者だった時期かある。」と書いた。
フーコー本人は認めたがらないかもしれないが、
「言葉と物」(1966年)までは、構造主義者だった。
「言葉と物」は、明らかに、「構造主義+歴史主義」を考えた本だ。(フーコーの野心からすると)これはすごい可能性に満ちたものになるはずだった(ヘーゲル+構造主義※1 → 超ヘーゲル・大ヘーゲルか)。しかし、囂々たる鋭い批判を浴び※2、次作の「知の考古学」(1969年)から大きく変わり始める。そして、構造主義者からの脱皮へ。
だから「知の考古学」は非常に歯切れの悪い本だ。弁明書に近い。その当時の批判にさらされた状況がわからないと何を書いているかさっぱりわからない本だ(主著とわかっていてもこの本から読むべきではない)。そして、このときの大転換ゆえに、彼の一生の一貫性さえもが不透明なものになってしまった※3。
しかし、よくよく考えてみれば、いやどう考えてみても、「構造主義+歴史主義」が、フーコーの「可能性の中心」だったと思う※4。そして、(当時の読者は)続編の、主著としての「知の考古学」で、そのような理論体系が出てくるものと期待しただろう。しかし、期待外れのものとなった。

※ 長々と続けているお話は、結局、僕らの時代の「可能性の中心」について、おこがましくも書いている。「可能性の中心」という言葉も古い言葉だ。 脱中心と言っている人からみると。
※1 耐えがたい概念だが、一度は考えたい誘惑に誘われる。ただ、完全な構造主義なら、歴史の非連続を言わず、たとえ言ったとしてもその変化法則を示すだろう。だから「言葉と物」は不思議な書になってしまったことは確かだ。ニーチェアンとしての戦略に立つものとして位置付けたとしても(理解できないところのある)不思議な書だ。
※2 エピステーメーという「その時代の知を決定づける先験的構造=人間主体の超越論的支配」への批判。人間主体の通時系(歴史)・共時系(生きているその時代)両方からの支配。耐えがたい構造概念だ。それをニーチェアンの彼も、その時代に生きた人間にとって予測不可能な「非連続」を示しただけでは治まらず、結局はそのような構造支配を肯定できなかったのだと思う。そして以降「構造」という概念にも興味を失っていったようだ。
※3 そうでない限り、彼ほどの人間が、ドゥルーズに託すような文章は書かない。(時代はニーチェであり)ニーチェの後継者というには、フーコーは、歴史への思いが深すぎた。ニーチェの後継者にふさわしい人は、自分ではなく、ドゥルーズと感じたのだろう。
※4 西洋自体の「可能性の中心」だったのかもしれない。本来西洋哲学が形而上学なら、また西洋の思考様式の核なら、おそかれはやかれ、もっと完成した形でそのようなものが登場してくることは、想像できる。それが超ファシズムの書にならないことを祈るが。



夢のまた夢    投稿日:2002年11月26日(火)

日々、確固とした世界を築いているように思われる。それも睡眠中に。覚醒している世界とは別に。
話が連続している。しかも、毎日の自分の職業が違う。しかし、その職業(役割)ごとに、やはり、以前の話と連続している。この睡眠中の(思考というより見聞体験)作業は一体何を意味しているのか、このような多様な体験をなぜしている(させている)のであろうか、(もっと基本的な疑問をあげれば)人はなぜ睡眠を取らないといけないのか、若い頃からこのようなことを考えていた。何日間も寝ない訓練もしたこともあった。しかし、無意識が最終的に勝利することを認めざるを得なかった。それほど覚醒意識は脆弱なものだ。そしてある年齢から、積極的に、覚醒している世界に無意識を参加させること、それが最も効率的(≒創造的)だと感じるようになった。



















侘び/モダン/ポストモダン 2 =待庵と安土城 1    投稿日:2002年11月28日(木)

二畳茶室「待庵」が、減算法の究極なら、
安土城天守閣は、加算法で、ポストモダンデザイン?
ポストモダン全盛の頃に内藤昌氏が復元案を出したため(天守閣内部が4階分の吹抜、その上をブリッジが通る=まるで磯崎新氏のデザイン、さらに様式のハイブリッド=エクレクティシズム)、その先入観で語ってしまう。また、教科書的なブルーノ・タウトの二分法(将軍のデザイン/町人のデザイン)でも語ってしまうと、
 将軍=権力者デザイン:加算法「more is more」/日光東照宮・ポストモダンデザイン
 町人(市民)デザイン  :減算法「less is more」/侘び・数寄屋・桂離宮・近代デザイン
またまた二分法的思考ですね。



待庵と安土城 2    投稿日:2002年11月28日(木)

こういう二分法的「うんざり」することを考えて「反」をやったとするなら、それは切腹に値する。 それも、信長に対しては、決してやらなかった人間が。
おそらく、信長に対しては、全く処し方が違ったはずだ。
天寿を全うした信長に仕えた場合、どのように処したかが、本当のところだ。
絶対的愚鈍(聡明さ)に対する相対的聡明さでなかったと考えたいが。



形而上学体験・理性体験 2    投稿日:2002年12月 2日(月)

ニュートンの偉大さは、 動的な運きがわかる方程式=運動方程式(を発見し※)を解けるようにしたことだ。 つまり、物理学的世界では動的予測=未来予測ができるようになったこと。経験に基づかずに予測可能になったこと(例えば惑星軌道が予測可能に、これは当時驚愕したと思う)。
この「経験に基づかずに」が重要(≒理性=形而上学)。 それまでも、静的世界=幾何学・代数学の範疇では「経験に基づかずに」予測可能だった。しかしこれは時間概念が入っていない動的な未来予測ではない。
始めて、ニュートン※※から(運動方程式で表される領域は)動的な未来予測が可能になった。 そして、運動方程式に台座をおいた工学が、この後長足の進歩をとげる。
結局、デカルト以降の近世人が、夢にまで見た「経験に基づかず」(=先験的)総合判断は可能か、に答えられる領域が誕生はしたが・・・。そして、このことに刺激され、カントは形而上学を再興しようとした(だからあくまで数学のアナロジーだ)。
ニュートンの偉大さは、その後の近代文明の基礎となる工学の基盤を作っただけでなく、近代哲学へ啓示も与えたということにもなろうか。だから、近代文明以降は(工学の立場で見ていると)つまらないとも言えるし、逆に、フーコーの(「言葉と物」における)歴史観に興味を持つが、違和感も持つ。

※僕らが使っている形の運動方程式はダランベール
※※ライプニッツも同時に微分積分を発見。






2003年

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技術と芸術 1     投稿日:2003年 2月22日(土)

技術の進歩が、創造力を刺激して、芸術を勃興・興隆させる、という歴史がある。 「モダン」という概念は、そうかもしれない。 ロマネスクからゴシックへ移る時代、ゴシック建築はモダン建築といわれた。
ゴシック建築は、当時の画期的な技術の成果だった。 ルネサンス建築も、新しい技術の成果だ(ギリシア・ローマへの回帰と同等に→ブルネレスキ−※)。
そして、20世紀の近代建築も。
新しい技術の誕生が、芸術家の創造力を刺激して、新しい時代を誕生させる。 僕たちの、近代建築肯定(機能・材料・構造に忠実=技術に忠実=純粋な形式→「真正」なもの)のベースにこの考えがあったと思う(そうなると「真正」※※なものは時代の始まり、新技術の誕生〜確立期にしか誕生しない)。
そして、反建築(反古典主義)と唱えて、マニエリズム等に依拠し、(唯物論的なものから)観念的なものの表出を企てようとしても、この戦略が成功しなかったのは、マニエリズムという概念・言葉自体が、すでに古典主義を「正」とするその呪縛下のもの(単なるアンチテーゼ「反」)だったからだし、やはり辟易するほど二分法思考のものだったからだ。もう、これらの考え方を脱しないと、と思う。

※ブルネレスキ−は、絵画においては図法的透視画法の発明者であり、建築においては、(人文主義的)ルネサンス様式の発明者で、かつ(中世からの懸案であった)フィレンツェ大会堂のドーム構法・工法の発明者=ルネサンス建築様式の純粋モデルは集中形式といわれるものので、その中心はドーム。その集中形式のためのドーム構法・工法の発明者でもある。
つまり、絵画史における透視画法の完成者であり、建築史にけるルネサンス様式の人文主義的様式の発明者であり、その様式の中核技術(構法・工法)の発明者でもある。この人はすごい。 なぜか、この時代以降、技術と芸術とを分けたがる。当時は、芸術家であり技術家であった。また、その後裔であるアルベルティ、ダビンチなども、この「万能の人」をめざした。
※※近代建築の重要な価値観か



日本のルネサンスの意味?    投稿日:2003年 2月22日(土)

(中国の影響を脱して)日本の純化の最初のピークは、平安後期(藤原道長・頼道のころ)、文学では源氏物語の時代、建築では宇治の平等院のころか(このころの遺構は本当に少ない。応仁の乱でほとんど焼失とか。若いころ、この時代の建物を見て回った。本当に少ない。洛中にはまずない。宇治とか少し離れたところにある。数棟以内か)。
それを、ギリシア・ローマにおくと、 江戸初期・前期は、平安後期のリバイバルの様相、日本のルネサンスか。



技術と芸術 2     投稿日:2003年 2月22日(土)

その時代の技術レベルで、(考えたことの)可能性を捨てる(さらに言えば、考えるという行為自体を捨てる)。
(若いころから)今までに考えてきたもので、どれだけ、当時の(また現在の)技術レベルのために、その可能性を捨ててきたことだろうか(また、その時代が来るのを待ち続けてきたというべきか。またその技術を生み出すために時間を割いてきたというべきか)。
免震研究もそうだった。21歳のころの発明だ。しかし、当時、解析だけであきらめた。というのは、現在でも一般証明の解析のために、当時のスーパーコンピューター以上の70台のコンピューターで数時間かかったので、70年代初頭ではあきらめざるを得なかった(この時代まで待ったという感じだ。しかし、環境が与えられていれば、10年〜20年は早められたかもしれない。若き時代の悔しさが、またこみ上げてくる)。
だから、技術が創造を喚起するというより、技術が、具体的に考えることを、実現まで考えることを可能にする、つまり、(こういう場合は特に)、創造を可能にする、という思いを持つ。



技術と芸術 3 =古典時代の精神    投稿日:2003年 2月22日(土)

そういう意味で、技術が観念を誘発する(考える(創造する)可能性を拡大する)、ということは大いにある。
技術の勃興期が、そういう意味で、新しい芸術の胎動期になる。
つまり、考えることが(技術の限界で)封じ込められていた精神が解き放たれる。
そして、そういう時代には、(待ちに待った)解き放たれた精神は貪欲に創造する。後の時代の可能性を全てなくさせるほどに。それが古典(主義)時代か。



ルネサンスと古典主義リバイバル    投稿日:2003年 2月22日(土)

「ルネサンス」
この言葉の本来の意味だけだったら魅力を感じない。 この言葉に、「再生」だけでない、創造的な魅力を与えているのは、この時代の、ギリシア・ローマを超え出た芸術家のおかげか。
古典主義リバイバルは、18末〜19世紀にもあった。しかし、なぜかこの時代の魅力は乏しい。ブレ−、ルドゥ、ジリー(ギリ−)、シンケル等の建築家。20世紀後半になって(特に70年代になってか)、カウフマンの著書によって脚光を浴びた時代。この著書「理性時代の建築」のおかげで、魅力を感じるようになったが。フランス革命との関係、一大思想史上の革命(ヘーゲル歴史観の終局点)にもかかわらず、芸術上では、ルネサンスには及ばない。やはり観念(思想・哲学)だけではないのだ。
建築史で言えば、この時代が近代建築の胎動期とみなされるようになり、黄金期は、技術も成熟した20世紀に持ち越される。



ジェファーソンの建築    投稿日:2003年 2月22日(土)

独立宣言の起草者で3代大統領、彼はアメリカを代表する建築家だ。
しかし、彼の建築は、古典主義リバイバル。
思想上革命(実践)家も、芸術では古典主義。
それとも、民主主義の原点として、古代ギリシアにモデルをおいたのか。 しかし、独立宣言にはほど遠いものに。



ブルネルスキの建築とアテネの学堂    投稿日:2003年 2月22日(土)

絵画史上の革命(透視画法)が、どれだけ建築空間に影響を与えたか。 ブルネルスキの建築について、言えば、確かに一点透視強調(リズムをもった)建築。
しかし、ゴシックからもそうだったと考える(確かにゴシック以上に一点透視強調のリズミカルさをもつが)と、この観点からでは、彼の絵画史上の革命は、建築空間創造においてそれほど刺激を与えていない。
彼の建築における独創性は、(軽やかな壁体上のドームを可能にしたことによる)ドームを中心とした集中形式だが。これが透視画法とどれだけ関係を持つというのか?
透視画法は、ひとつの=一個人という人間の存在からの視点での絵画の統御。「人間一個人」の視点に根底的な意味を託した絵画か(この辺も無理を感じる時もある。単なる光学的描写法の発見の方が納得ということもあるが)。
それが、集中形式とどう結びつくのか。ドームが中心で、そこに建築の中心があることは確かだが。人間存在を意識し、それを強調した建築空間といえるのか。一視点による透視画法的世界とどう結びつくのか。
このことは、ラファエロの「アテネの学堂」を見ても納得するわけではない(アテネの学堂は、ドームを中心とした集中形式の建築空間にプラトン・アリストテレスなどが集っている)。
いまだに、ルネサンスの「人文主義的建築」についての定義などには納得していない。



レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロの建築    投稿日:2003年 2月23日(日)

レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロも、全て集中形式(ギリシア十字とその中心にドーム)の建築計画案を残している。
そのうち、ラファエロ、ミケランジェロは、実際にサン・ピエトロの計画に携わっている。
ほぼ現在のサン・ピエトロは、ミケランジェロの計画に基づき(ギリシア十字)、そのあとの建築家が長堂形式(ラテン十字)にしてしまった。
ブルネルスキの集中形式のモデルが、ラファエロ、ミケランジェロによって、サン・ピエトロにおいて実現している。
ラファエロの「アテネの学堂」は、実は、ラファエロ自身のサン・ピエトロ計画といってもよい。



サン・ピエトロ大聖堂    投稿日:2003年 2月23日(日)

現在に至るまで、あの巨大な空間を超えるものは現れなかった。
長さ約200m、高さ約45mのボールト空間(かまぼこ形状の天井)によるラテン十字形の内部空間。その中心に高さ約140mのドームによる内部空間(パンテオンというローマ時代の最大のドーム空間を高さ100mの高さまで持ち上げたもの)。圧巻としか言いようがない。
ルネサンス建築を代表するもの(バロック時代にもまたがるが)。
やはり、現代まで超えられなかった技術力の成果でもある(その原点は、ブルネルスキのフィレンツェ大会堂のドーム工法構法革命にあった)。
あの建築を見ると、ルネサンスの意味に混乱を生じることもある(「市民的」というレベルのものではない)。ルネサンスはフィレンツェまでかと思うこともある。しかし、あの建築を残したから、もう一回り大きいルネサンスにもなったと。
つまり、市民的レベルから、人間の(創造力の)可能性(芸術家=技術家=万能の人としての可能性)の限界に挑み、「人間の創造力」の証明、いや、勝利宣言に近い。フィレンツェという地域的なレベルを超えて「人類・人間の可能性」のレベルにまで持ち上げたことにもなる。これはミケランジェロの存在なしでは考えられないと思うこともある。



ルネサンス時代のモデル    投稿日:2003年 3月26日(水)

いつの時代も理想とするモデルがあるものだが、それがまだ希薄にしか見えない時代は弱く、それが明瞭に見える時代は強い(また強い形を持てるということか)。それは人にとっても同じことが言える、か。
ラファエロにとっては、理想とするモデルは古代ローマの建築だ。ラファエロの時代に、皇帝ネロの黄金宮殿が発掘された。なんとブドウ畑の地下深くに眠っていた。都市ローマには、当然古代ローマの建築がたくさんあると思っていたら、当時は(かなりの建築が)地下深くに眠っていたらしい(破壊しにくい石造建築なので、破壊せずにそのまま埋めてしまうらしい)。
ミケランジェロはというと、古代ローマの彫刻(もしくはローマに渡ってきたギリシア彫刻)だった。ミケランジェロの時代に、ラオコーン(これはローマに渡ってきたギリシア彫刻)が、地下深く黄金宮殿が眠るその上のブドウ畑から発掘された。農夫が偶然発掘した。ローマ市あげてそれを祝ったという。
なぜか、彼等が眼にしているのは、古代ローマ(またギリシアから渡って来たもの)なのだ。古代ギリシアはというと、1453年に東ローマ帝国が滅び、その後18世紀後半(だったと思う)までヨーロッパの建築家・芸術家はギリシアの地に足を踏み入れられない。
ルネサンスは、ギリシア(の地)を見ていない形での古代ギリシア・ローマの再生だ。古代ギリシア建築(特にパルテノン)は18世紀後半になってからヨーロッパ人が眼にし、その影響が古典主義(古代ギリシア建築)リバイバルとなる(しかしこの時代は、古代ギリシアの本物を見ているにもかかわらず、迫力・創造力がない。単なる複製に終始してしまう)。
ルネサンスというのは、精神の「古代ギリシア・ローマの再生」だけでなく、このような発掘による古代ローマの「発見」が、そしてまだ見ぬゆえに、より理想化された古代ギリシアの「憧憬」が、この時代にあった。
現在、ローマ市で古代ローマの遺構をたくさん眼にするが、それはルネサンス時代以降の発掘によるものだということを知らねば、大きな誤解をしてしまう。
ルネサンス時代の芸術家は、創造家と同時に、考古学者(=発見者)でもあった、そして(それゆえに)想像家でもあったのだ。
最近、自然科学の研究(観察=発見)を同時にやっている。(発明=創造と同等に、場合によるとそれ以上に)「発見」というものがいかに大切かが、この歳になってわかってきた。
そして、最近、毎日が発見の連続だ。
「観念」が強いと「発見」を見落とす。「発見」というのは透明な眼を要求される。



古代ギリシア・ルネサンス・グリークリバイバル・モダニズム    投稿日:2003年 3月29日(土)

過去との関係で考えるか、過去との関係を切り独自をめざすか。
ルネサンスは、原点たる古代ギリシアが不透明なおかげで(古代ローマさえも発掘して徐々に発見してゆくわけで)、結果として(想像→創造という領域が入り)前者でもなくなり、後者でもなかった(だから良かった)。
だが、古代ローマの発掘がすすみ、原点たる古代ギリシアも明瞭に見え(想像→創造で補完せずに済む)、古典主義リバイバルの時代(古代ギリシア建築=グリークリバイバル)は、完全な前者だった(そのため、想像→創造で補完する必要がないため創造性に欠ける時代となった)。
そして、1920〜30年代のモダニズムの時代は完全な後者(1970年代後半からはやったポストモダンの時代は前者)。モダニズムという用語自体が「過去との関係を切り、その時代の独自をめざす」意味をもっているらしい。
ル・コルビュジェ達近代建築家は、古代ギリシア、ルネサンス、そしてそれに比肩するものとして自分たちの時代の建築を考えた。そのためには、再ルネサンス(再古代ギリシア再生)ではなく、独自な建築様式を考えるしかなかった。
古代ギリシア→ルネサンス(古代ギリシア再生)→グリークリバイバル(古代ギリシア復元)→??(次に来るのは、古代ギリシアの関係ではないだろう)
コルビュジェ、ミースも、本当は、「バルテノン(古代ギリシアの代表作)」が大好きだが、その彼らが、独自性を目指した。目指さざるを得なかった。
そして、過去(歴史)との関係を完全に切り、独自な様式をつくった。しかし、精神的には「バルテノン」、すなわち、「オリジンの創造」をめざして。



「モダニズム」に対する精神的構え    投稿日:2003年 3月29日(土)

「オリジンの創造」、また、「バルテノン」に比肩し得るものを目指したと書いたが、コルビュジェ達がそれに成功したかどうかは、わからない。
「モダニズム」をそのように考える限り(そのような「精神的な姿勢」と考える限り)、
僕らが、(現状の)モダニズムに非常な不満をもち、そのために新しい創造を目指す必要があるとするなら、現状のモダニズムの、その不十分さ、その未完成さ故に、再度「オリジンの創造」をめざしたものでないと思ってきた。モダニズム革命は終了し、後れてきた世代としてやることがなくなったから、「反」を目指すというものでは決してないと、若いときから思ってきた。



ルネサンスとモダニズムとの差異と近代精神    投稿日:2003年 3月29日(土)

ルネサンスを近世近代の始まりと考えても良いが、近代精神はというと、デカルトの定式化「我思うゆえに我あり」からか。
ルネサンスは、過去との関係で考えた。
モダニズムは、過去との関係を切り離した。
この違いに(上記の話に加え)近代精神がはいる。「私の存在根拠は、私が考えること」。そこには、私しか存在せず、他者との関係もなければ※、当然過去との関係もない※※。

※近代哲学のここが一番の問題。現代哲学はそのことに傾注する。そこでラカンの言葉「無意識は他者の言語(言説=ディスクール)」が刺激的になる。
※※近代建築のここ(反歴史性)が一番の問題に。ポストモダンはそのことに傾注、当然、歴史主義に。
※+※※僕たちの世代が若いころにラカンをやったのはこの点だった。



グリークリバイバル(新古典主義)と近代精神    投稿日:2003年 3月30日(日)

このような考え方に、つまり、思考する精神と建築様式との関係に、疑問をもつとしたら、 やはり、代表的な「近代精神の時代」、アメリカ独立戦争及びフランス革命時代、その時代の建築がどうだったか、を検討しなければならなくなる。
例えば、ジェファーソンの建築のどうだったか(独立宣言の起草者で3代大統領、彼はアメリカを代表する建築家だった)。
ジェファーソンの建築(2月22日記載)もそうであったように、この時代は、古典主義リバイバルの時代(古代ギリシア建築=グリークリバイバル、新古典主義)の時代だった。
そこで、1920〜30年代の近代建築成立以降、特に18世紀後半〜19世紀初頭のこの時代の、このような領域(思考する精神と建築様式との関係)の研究が進んだ。
戦後脚光を浴びたのが、E・カウフマン(H・ゼーデルマイヤーとも関係)の研究。 また、脚光を浴びた建築家は、フランス革命時代の建築家ルドゥー、ブレ−、ギリ−、シンケル、ソーンか。
彼らの建築は、70年代の僕らの学生時代に特に流行り、なぜかポストモダンの潮流に利用された。 そして、この時代を近代建築の(精神においても)胎動の時代と位置づけるようになった。



新古典主義の時代    投稿日:2003年 3月30日(日)

この新古典主義の時代(18世紀後半〜19世紀初頭)は、フランス革命時代だけでなく、産業革命の時代でもある。 この時代に、新時代の建築が胎動してもおかしくない。
確かに、技術史的な建築史では、この時代を近代建築の始まりと位置付けた。
そして、E・カウフマンの研究により、(思考する)精神と建築様式との関係でも、近代建築の始まりと位置付けられるようになった。



新古典主義の時代・・・「人間の出現」    投稿日:2003年 3月30日(日)

この新古典主義の時代(18世紀後半〜19世紀初頭)は、フーコーに言わせれば、(賭けてもいい、波打ちぎわの砂の表情のように消滅する)「人間」の出現の時期と重なる(ニーチェの「神を殺す人間」の出現)。
フーコーは、ルネサンス以降2回大きく西欧のエピステーメーが変わっていると言う。その2回目のエピステーメーの大転換点と重なる。



「古代ギリシアの発見」と「人間の登場」    投稿日:2003年 3月31日(月)

18世紀後半〜19世紀初頭の「古代ギリシアの発見」と「(神殺し※に至る)人間の登場」とは、偶然の一致なのだろうか。
非常に単純に書けば、キリスト教社会以前のヨーロッパの始原の発見。それが、(キリスト教の)神殺しに至る「人間」を登場させて何がおかしいであろうか。ニーチェも古代ギリシア研究家であった。このころから本格的な古代ギリシア研究が始まる。

※王殺しも入るか。フランス革命は、王権神授説にたてば「神の代理人」たる王の殺害だ。フランスの歴史では、この「王殺し」の正当性を、近代の「神殺し」につなげたくなるようだ。


古代ギリシア復活とルネサンス〜モダニズム    投稿日:2003年 3月31日(月)

西洋建築史をやっていると、キリスト教系の歴史(ロマネスク・ゴシック)と、ギリシア・ローマ系の歴史が混在する。
結局、ルネサンスからモダニズムに至る歴史は、ギリシア・ローマ系(特に古代ギリシア)が復活し、(キリスト教系ではない)ヨーロッパの始原(オリジン)を再創造する歴史。



新古典主義時代と伝統論争    投稿日:2003年 4月 1日(火)

この新古典主義の時代に、イギリスでも、自国の始原(オリジン)に関する論争、伝統論争があった。ゴシック(中世のキリスト教会様式)なのかギリシア・ローマなのか、大英博物館は、ギリシア・ローマ様式で建てられ、国会議事堂は、ゴシックで建てられた。結局、英国の伝統は、ゴシックとしたのである。
各国の国会議事堂が何様式で建てられているかにより、その国が自国の伝統として何様式を選択したかがわかる。ヨーロッパ系の諸国の多くは、ギリシア・ローマ様式を自国の伝統としたようだ。
この新古典主義の時代以降、ヨーロッパ系の諸国の伝統論争が起こったようだ(それまで確定していなかったようだ)。民主政体による国会の創設と民主的な伝統論争(国会議事堂等の様式を決める上で)、当然起こるべくして起こる話か。
そして、ジェファーソンはと言えば、(伝統・歴史のないアメリカ合衆国においては)、国会議事堂案をつくるにあたって、民主政体=古代ギリシア様式と考えたようだ(現国会議事堂はジェファーソン設計のものではない)。



様式折衷主義    投稿日:2003年 4月 1日(火)

この新古典主義時代のあと、様式折衷主義の時代が来る。建物の用途に応じて様式を変える(ドイツを代表する建築家シンケルなどはそんなこともしている)だけではなく、様式をまぜこぜにする。そこに(様式選択と折衷に)創造があるかのような錯覚を感じた時代。建築家オットー・ワグナーを指導者とするセセッション運動はこの時代・様式を批判の対象にする。
パリのオペラ座(1875年竣工/設計者シャルル・ガルニエ)がその代表か。この時代をモデルのひとつにしたのが1970年代後半からのポストモダンの時代だ。
また、明治の建築家、東京駅を設計した辰野金吾、赤坂離宮(迎賓館)を設計した片山東熊らは、この様式を学んだ。だから、建物の用途に応じて様式を変える。辰野金吾は、奈良ホテルのように和風もやっている。



19世紀 (1)    投稿日:2003年 4月 2日(水)

19世紀は、変な時代だ。いろいろな時代の様式が建てられた。全てネオだ。ネオギリシア、ネオローマ、ネオゴシック、ネオルネサンス、ネオバロック等々。自分達の時代の様式をもたないために、過去の時代の様式ばかりだ。「お客様、いつの時代の様式になさいますか」「いつの時代といつ時代の折衷になさいますか」という世界だ。
西洋を旅行すると、(こんなところにギリシア神殿があると思うと19世紀のものだったりして)いつの時代のものかが、19世紀の建築のためにわからなくなる(しかし、ローマの遺跡も多い)。
19世紀は、建築の世界では本当に評判が悪い。
そして、20世紀の時代に「自分達の時代の様式を」となる。それがモダニズム様式(近代建築)だ。



19世紀 (2)    投稿日:2003年 4月 2日(水)

フーコーは、「言葉と物」の中で、ルネサンスからの歴史を
@ルネサンス      :デカルト以前
A古典主義=バロック :カント以前
B19世紀前後〜    :ニーチェ以前
とみており、ルネサンス以降のエピステーメーの大転換を、デカルト革命、カント革命、ニーチェ革命(まだ成就していないか)としているのか。
中世ヨーロッパからの脱却を、(歴史には形而上的な意図があるという)歴史主義に取り込まれないように、手の込んだ形で、不連続として示そうするが、ニーチェをベースにした(終着点に向けての)意図は見え見えだ。つまり、神から離脱する「人間」の物語だ。
その中で、本当は、この19世紀(18世紀末からの)がもっともスリリングなのだが。 建築の歴史では、19世紀後半(特に末)から20世紀初頭にかけての歴史がもっともスリリングか。



19世紀 (4) パリ大改造    投稿日:2003年 4月 2日(水)

現在のパリは、19世紀に作られた。ルイ・ナポレオンの第二帝政期に、セーヌ県知事オースマンのパリ大改造計画によってである。 旧市街を破壊して、放射状の大街路を通した。その放射状の中心には凱旋門、オベリスク等が配置された(また、配置されるように放射状の大街路を通した)。さらに、街並みを構成する建築の外観(ファサード)だけがまず造られた。ファサード建築だ(建築の本体は当初なかった)。虚構的な街つくり。そのおかげで、現在の美しい街並みができた。
また、完全な強権発動による街つくりだ。市民の手による街つくりではない。



19世紀 (5) ウィーン都市改造    投稿日:2003年 4月 3日(木)

もうひとつ代表的な19世紀の都市改造がウィーンだ。 市街地を囲んでいた城壁を壊し、その跡地にリングシュトラーセ(環状道路)を造った。 この街路沿いにはフォーティフ教会(19世紀の考古学的ゴシック再興)、議事堂、市庁舎、オペラ座、ブルク劇場など公共文化施設が多数建設された。そして、それらは19世紀の特徴である様々な時代様式のものだ。
ウィーン行くと、その過去の時代からの借用様式(本物の時代のものでも贋物に見え始め)とその軽さに、なぜかやりきれない、落ち込んだ記憶がある(天候も災いしたのか)。



19世紀 (6) 首都ワシントン建設    投稿日:2003年 4月 3日(木)

フランス人ピエール・ランファンによって都市計画された。国会議事堂とホワイトハウスを中心とする放射状の街路、パリと同じだが、こちらのほうがはやい。東京でもこういう放射状の街路の都市計画が明治時代にたてられた(東京駅が放射状の中心で、東京駅から国会議事堂が見通せる計画だった)。
首都建設が始まったのは、1800年ころからか。 国会議事堂、1815年から再建。 大統領官邸、1800年に完成。 ワシントン・モニュメント=巨大なオベリスク(高さ166m)、1885年に建設。



「自律」と「有限」=18世紀末から    投稿日:2003年 4月 5日(土)

フーコーは、「言葉と物」(1966年)の中では、18世紀末から転換した19世紀のエピステーメーを、「有限性(としての人間の登場)」というキーワードで、
E・カウフマンの研究(20世紀前半)では、18世紀末のルドゥーらの新古典主義の特徴を、「自律性(反他律性)」というキーワードで説明している。
フーコー、カウフマンともに、カント革命を引き合いに出して、天上の世界から切れた「有限性」を、天上の世界とつながらない、もしくは関係のない「自律性(天上世界に依存した他律ではない)」を抽出している。
古典主義とは、バロックのことだが、天上世界とつながった依存した「他律」だ(無限の表象秩序、無限への展開)。
(建築の場合は、建築の意味中心たるドーム形状が、バロックの場合、楕円ドームで、その2中心=現世と天上の2中心が、すでに天上世界との分裂を暗示している。その点、ルネサンスは、完全円ドームの1中心だ)。
それに対して、18世紀末フランス革命下のルドゥーらの新古典主義は、天上世界(神・また代理者の王)との関係を切った、切ろうとした「自律」だ。非常に明瞭なものとして、ルドゥーの計画案に、完全な球の建築がある。それは完全な「自律」を意味している。そして、この「自律」は20世紀の近代建築(特にコルビュジェ)までつながり、だから、この時代を近代建築のはじまりと考えることができるというのだ。
僕らの若いころには、この「自律」は、インスピレーションを刺激する用語だったが、それに対し、「有限性」は決して刺激的な用語ではなかった。
18世紀末に対するイメージ、19世紀に対するイメージは、このキーワードにより出来上がり、この「有限性」のキーワードのせいか、19世紀の興味を(建築の学生時代は)無くさせられた。



自律的形態と純粋形態    投稿日:2003年 4月 9日(水)

「自律」と同じく、「純粋」も近代のキー概念。
自律的形態を純粋形態と考えると、セザンヌへ、そしてキュービズムへ。また、コルビュジェのピューリズムとも繋がる(こちらの方がキュービズムより一直線に繋がるか)。
この「純粋」という言葉も、インスピレーションを刺激する用語だったが、
ともに、プラトニズム(反プラトニズムを含めて)というものを意識してから、大きく変化し始めた。



プラトニズム    投稿日:2003年 4月12日(土)

何でも、(西欧を考えるとき以外でも、西欧的思考をしないときでも)プラトニズム的に考える、また、プラトニズムと繋げる時期が、僕の中にもあった。
確かに、(人類共通の)思考法のひとつなのだろう。
歴史を見ると 、プラトニズムが、西欧の基盤的思考になったのは、古代ギリシアの末期からで(決して古代ギリシアの支配的思考法ではない。実は逆だ)、特に、キリスト教によって(そういう思考法が)大普及したらしい(必ずしもキリスト教=プラトニズムではないが)。
ルネサンスが、中世社会からの脱却を目指しての古代ギリシアへの復帰とするなら、どうも本当のところは(また目指すべきところも)、プラトニズムへの回帰ではなかったようだ。
しかし、歴史は、そうは進まなかったらしい。



18世紀後半から19世紀 古代ギリシアへの回帰    投稿日:2003年 4月13日(日)

18世紀後半から19世紀、古代ギリシア回帰の時代は、アメリカ独立戦争及びフランス革命からはじまる西欧各国の民主体制確立の時代でもある。民主政体発祥の地は古代ギリシアなのだ。

※一般的な近代建築史をみると、18世紀後半から19世紀は、産業革命の時代となる。そちらに目を奪われすぎると、材料革命・構造技術革命・機能主義革命の時代、その結果、ザッハリッヒカイト、つまり、唯物論で形態を決めることになり、味も素っ気もない時代がはじまる。



18世紀後半から19世紀 古代ギリシアへの回帰、そしてニーチェの登場    投稿日:2003年 4月14日(月)

ニーチェ(1844〜1900)は、古代ギリシアへの回帰だが、プラトン(ソクラテス)以前の古代ギリシアだ。
プラトン(ソクラテス)から古代ギリシアの衰退を見る。
また、大衆化したプラトニズム=キリスト教に西洋の根幹の問題をみる。
それらを転覆させること。それが、ニーチェがめざしたもの。
18世紀後半の古代ギリシアの発見と19世紀の古代ギリシアへの回帰、それが、ニーチェの中に、西洋の根幹を破壊するようなエネルギーを生み出したというべきか。



ニーチェと古代ギリシア    投稿日:2003年 4月18日(金)

つまり、プラトン(ソクラテス)以前の古代ギリシアに戻れ!だ。
ただ、ニーチェのこの思想も歳とともに変わっていく。
ニーチェの若いころは、アポロとデュオニソスの二元的相克(アウフヘーベン的=ヘーゲルの影響下の)世界だったが、晩年には、デュオニソスのみの一元的世界に傾斜していく。さらに(古代ギリシアの政体である)民主主義に嫌悪さえ抱きはじめていく。このころには、古代ギリシアからも逸脱し始めていたかもしれない。ニーチェを見ていて、古代ギリシアという感じは全くしない(非常にあこがれただろうが)。永遠回帰のインスピレーションを得た場所こそが彼本来の場所で、これは全くギリシア的でない。非常にヘビーな世界だ。そのアンビバレンツがニーチェの魅力かもしれないが。



ニーチェとブルクハルト    投稿日:2003年 4月20日(日)

ブルクハルトの『ギリシア文化史』を読んでいると、あえてニーチェが書かなかった部分がわかる。ブルクハルトの『ギリシア文化史』を読んでいないと、結局、ニーチェの前提としている古代ギリシアのイメージがわからなくなる。
ブルクハルト→ニーチェというような一方的影響ではないみたいだが、ブルクハルトの古代ギリシア史観あってのニーチェを考えておくべきだろう。



近代    投稿日:2003年 4月28日(月)

近代とは、ニーチェが考えたように、プラトニズムをのり越えて、古代ギリシア精神を再生しようとしたのであろうか。それこそが真の意味での中世社会から脱却し、そしてルネサンスの延長としての近代の完成か。
しかし、20世紀の近代は、これとは違う方向に向かう。



20世紀の近代    投稿日:2003年 4月29日(火)

20世紀の近代とは、(そういう芸術運動があったにしろ)精神の近代ではなく、産業の近代か。
建築の場合は、産業生産体制にどうしても基づかざるを得ない(生産体制生産効率に基づかざるを得ない--機能主義--というのも20世紀的近代の論理だったかもしれないが)。産業生産体制が優位であれば、コルビュジェのロンシャンよりサヴォワ邸であり、ミースのユニバーサル空間だ(そのため未だにロンシャンは人気があっても評価されていない)。20世紀の近代は、産業の世紀、大量機械生産の時代、どうしても、産業生産様式の近代化が前面に出てしまわざるを得ない時代だったのか。



20世紀の近代 建築の評価    投稿日:2003年 4月29日(火)

宇宙船地球号で有名なバックミンスター・フラーのダイマクション・ハウス(1927-29年)とコルビュジェのサヴォワ邸(邸(1928-29年)とどちらが近代的か。

産業近代史では、ダイマクション・ハウスだが、建築史では無視状態。やはり古典主義を学んだコルビュジェのサヴォワ邸に軍配※。 変な話だが、建築史ではダイマクション・ハウスだけでなく、ロンシャンも評価されず、サヴォワ邸が近代の代表的建築にされている。
建築学界はバランスを図っている。
産業の近代史では、フラーを評価したいし、精神の近代史ではロンシャンを評価したいが、建築史はその間を取った中庸の評価に落ち着くみたいだ。産業合理主義だけでは評価せず、産業合理主義を否定したものも評価しない。そんなところなのだろう。

※コーリン・ロウ著『マニエリスムと近代建築』の「理想的ヴィラの数学」参照
レイナー・バンハム著『第一機械時代の理論とデザイン』参照



産業主義的建築 VS 古典(的教養)主義的建築    投稿日:2003年 4月30日(水)

僕らが大学の入ったころは、70年の万博直後、60年代の高度成長のピーク。しかしオイルショックの直前だった。
60年代的傾向が強く、高度成長の産業主義的建築の真っ盛りの時期。メタボリズム等の産業主義的建築の時代だった。
その時代に、バックミンスター・フラーは花形に思えた。
しかし、オイルショックとともに、産業主義的建築の流行もあっけなく過ぎさった。
バックミンスター・フラーは宇宙船地球号のおかけで、次のエコロジーの時代にも生き延びたかに思えたが、時代は(エコロジーの時代というよりも)ポストモダン建築(古典(的教養)主義的建築)の時代に。フラーにとって全く縁遠い世界だった。



ダイマクション・ハウス VS サヴォワ邸    投稿日:2003年 5月1日(木)

しかし、バックミンスター・フラーのダイマクション・ハウス(1927-29年)の前では、コルビュジェのサヴォワ邸(1928-29年)の近代性も(その革命性を語ること自体も)、色あせてしまうと思うときがある。それほど衝撃的なものだったと思う。産業主義的建築でくくってしまうのは惜しい気がする。



二人のコルビュジェ    投稿日:2003年 5月 5日(月)

コルビュジェの作品は、いとこ同士のシャルル・ジャンヌレとピエール・ジャンヌレの合作(チャンディガールまで)。 二人はアポロ(ピエール)とデュオニソス(シャルル)の関係にたとえられるか。
戦前の作品はアポロ優位、戦後はデュオニソス優位か。
シャルルも戦前はデカルテジアンでアポロ優位、戦後はニーチェアン(もともとニーチェアン)というよりデュオニソスそのものに。シャルルの戦前はデカルテジアンでかつニーチェアン(そういうものは同居する?)。戦後は反デカルテジアンでニーチェアン。
その結果、
戦前の代表作のサヴォワ邸
戦後の代表作のロンシャン教会
というように大きく作風が変化する。
ピカソの作品の変化とは異にする。



ピカソの3段階変化    投稿日:2003年 5月 6日(火)

ピカソは、純正のニーチェアン、いやツァラトゥストラだ。
ツァラトゥストラの 「ロバ(駱駝)」(青の時代まで)→「獅子」(キュービズムの時代)→「幼子」(それ以降) を地で行った人だ。それごとに変化する(奥さんごとの変化だという説もあるが)。
コルビュジェの大きな転向(転進)とは違う。



ピカソの超人    投稿日:2003年 5月 6日(火)

ツァラトゥストラの幼子は超人らしい。
しかし、ピカソの超人(幼子)は、そのあとも変化する(奥さんとの関係で)。



コルビュジェの超人?    投稿日:2003年 5月 7日(水)

ニーチェのもうひとつの「超人」の定義は、デュオニソス(超人の父だとも言われる→幼子)だ。
コルビュジェは、ロンシャン教会のさらにあと(チャンディガールの都市設計※のあと)、ピエール・ジャンヌレと分かれて、純粋のデュオニソス?になってから、作品が作れなくなり、海で帰らぬ人になったと言われている。



















コルビュジェの「三百万人の現代都市」    投稿日:2003年 5月 7日(水)

コルビュジェの「三百万人の現代都市」
http://www.arch.oita-u.ac.jp/a-kei/urban/storiva/reseach/cg/cg.htm 
  http://www.arch.oita-u.ac.jp/a-kei/urban/storiva/reseach/pase.htm
新宿の副都心超高層街の原型・モデル。これを1922年に計画しているのは早い。
現代都市計画の計画原則ともなった「アテネ憲章」(1928年)も有名。 都市の機能を「住む」「レクリエーション」「働く」「交通」の4つとし、その相互関連で計画するという都市計画の原則を出した。
都市計画の機能主義。



ブラジリア    投稿日:2003年 5月 8日(木)

僕ら建築家の夢のひとつは、自分のデザインで都市設計すること。何から何までデザインし尽くすこと(・・・・・という時代もありました。ポストモダン以降は一人のデザインで、都市はデザインし尽くすべきでないという考えが主流になりつつありますが)。
その近代都市設計の代表が、チャンディガールとブラジリアです。

その幸運な都市計画家はルチオ・コスタで、建築設計はオスカー・ニーマイヤーです。
この新首都ブラジリア建設のために国家財政は破綻し政変が起こり、オスカー・ニーマイヤーは国を追われて亡命という運命になりました。建築家も大変だ。



空中都市    投稿日:2003年 5月 9日(金)

ここで私の空中都市を紹介。→ http://www.iau.jp/k/kutyu_1.htm

大学時代の3年生から卒業設計にかけて制作したもの
 1973年 @ http://www.iau.jp/k/pic_kutyu1_h900.htm
      A http://www.iau.jp/k/pic_kutyu2_h480.htm



と、大学院〜時代にやったもの
 1978年 @ http://www.iau.jp/k/pic_kutyu3_h480.htm
      A http://www.iau.jp/k/pic_kutyu5_w500.htm




当時、コルビュジェの「三百万人の現代都市」(1922年 上記参照)を見せられて、「今から50年前の計画(丁度50年だった)。これ以上の都市構想が出来なくてどうするんだ」と言われて、自己存在の可能性をかけて頑張ったもの。
あれからなんと30年が経ってしまった。
今、実現しているのは、 1973年版の空中都市の最上層の「空中戸建て住宅」で、1980年代に「人工土地型住宅」として実現し、建設省建築研究所の敷地に本物を建てた。
→構想案 @ http://www.iau.jp/k/pic_flex1_w500.htm 
       A http://www.iau.jp/k/flex_3.htm


しかし、まだ普及には至っていない。
そのあと空中都市の超高層版も30歳台の後半に計画=4000人の住まう立体都市を東京都営住宅で計画。
       @ http://www.iau.jp/k/pic_tyoukousou2_w500.htm 
       A http://www.iau.jp/k/tyoukousou_2.htm



そして、空中都市の脚元についていた「免震」は、40歳台に、10年近く時間をかけて実現、現在普及に向かっている。 実現また普及には、なんと時間のかかることか。

しかし、コルビュジェ35歳の計画「三百万人の現代都市」を、彼が実現したのは、ユニテ・ダビタシオのみで、60歳を越えていた。 それだけ時間がかかる、といって慰めてはいけないが。



空中都市(2)    投稿日:2003年 5月11日(日)

空中都市には格別の思い出がある。
あれは、3年生の第四課題。新宿副都心現都庁敷地での劇場計画の課題だった。
突然、劇場全体を浮かしたくなって、気がつくと、空中都市になっていた。劇場は、写真の空中に浮いた円盤状の物体。
評価の先生は、驚いて、「完全な課題違反だ。点数がつけられない」と。
僕らの大學では、設計課題だけは、全四課題のうち一課題でも落とすと進級できなくなる。それだけでなく、翌年、全く違う敷地等の条件下で全四課題(一課題にびっしりと書き込んだA1図面約20枚)を計画し直して提出しないといけなくなる。2年上のT先輩はそのため非常に苦労した。
しかし、特別の評価?で進級できた。これは本当はかなり危険なやり方だった。
評価の先生は、高名な建築界を代表する大先生で、今でもこのことを思い出すと感謝感謝。




空中都市(3)    投稿日:2003年 5月11日(日)

この話は冷や汗ものだが、
当時は、難しい本を読まずに、乱暴な(デュオニソス的)エネルギーで、何でも計画していた。
しかし、この歳になると、逆に、このことは非常に重要なことだと思い始めている。
おそらく、これがツァラトゥストラの「幼子」の世界なのだろう。
「ロバ(駱駝)」→「獅子」の段階を経て、それができればければ、ということらしい。
難しい本ばかり読んで頭が鈍くなると、大學3年生のこの「空中都市の冒険・飛躍」を思い出すようにすべきなのだろう。



空中都市(4)    投稿日:2003年 5月11日(日)

本当は難しい本など読まずに創作するのが一番良いと思う。自分の意識・無意識に全て託して。

ただ、建築・都市はそういうわけにはいかない。
建築は、大抵他人の住まい・活動の場、都市はさらに不特定多数の人々の活動・住まいの場。その活動・住まいの(入れ物)器の設計を、私という個人の思いだけでは作れない。
前記、30歳代後半の4000人の住まう立体都市=東京都営超高層住宅計画(http://www.iau.jp/k/pic_tyoukousou1_h480.htm  http://www.iau.jp/k/pic_tyoukousou2_w500.htm)では、東京都住宅局全体での委員会となった。公的な器の大変さを味わった。



また、30歳代10年間かけての「空中戸建て住宅」(http://www.iau.jp/k/pic_flex1_w500.htm)、これはプロトタイプなので、より大変だった。建設省、建設省建築研究所、住宅都市整備公団、民間各社との委員会で、月2回ペースで10年近く討議を重ねた。


ただ、当初はこれほど時間がかかるものとは思わなかった。 「空中都市」発表当時、大学の先輩・先生に、「これから(このプロジェクトを)どうするの」。「どれかがやるでしょう」。「そういうわけにはいかない。言い出しっぺが責任をとるものだ」といわれた。
それから、30年間が過ぎた。



空中都市(5)    投稿日:2003年 5月12日(月)

このように建築また都市の「形」には、(公共性が高いほど)客観性・合理性というより大義名分が必要なる。委員会という形をとるのもそのため。
ここで、なぜ「空中都市」かについて、触れておきます(3年生の課題で「劇場全体を浮かしたくなって」というのも本当だが、もう少しきちんとした理論的なものがあった。また評価の先生は、丹下健三と並ぶ高名な都市計画家でもあり、「コルビュジェの『三百万人の現代都市』は、今から50年前の計画。これ以上の都市構想が出来なくてどうするんだ」というのは、その先生からの刺激でもあった)。
「空中都市」計画当時、都市論として、そのころ流行の「都市はツリーではない」「市民参加の都市計画」とも関係するが、結局、「形」の大義名分の問題について、都市は「一作家が計画・設計するものではない」という考え方が基本にあった。 ⇒ 原点1
しかし、低層都市(平面都市)の時代には、市民参加の都市計画は可能であったが、都市の集積化が進み、立体都市の時代になると、大きな権力による計画化が進む。つまりテクノクラートによる計画。そして、テクノクラートの考えることは、都市の「形態(意味)」の客観性、イデオロギー的「意味」の消去として、匿名性というか画一・均質という形態が無難なものと考える。そして画一的な同一形態の住戸による住棟が多数建てられる。オフィースビルも同じ。そして都市の画一均質化が進む。日本中どこに行っても同じ都市また建築形態というように。それは世界中にも言える。そのような60年代の都市・建築の画一化・均質化の後だった。
この「空中都市」の意味するところ、都市の立体化の時代に、都市への市民の「参加」の復活であり、個の回復、個々の多様性の回復だった。


その手法が、「公共骨組」と「個」の分離。「公共骨組」は「個」の自由を保証し、自らは形態としての意味を発生しないインフラストラクチャ。「個」のみが意味を発生。そして「個」は個々の人が作る(http://www.iau.jp/k/pic_flex1_w500.htm)。そして、市民の「参加」、「個」が埋没せずに個々の意味を発生する、立体都市が形成される(http://www.iau.jp/k/pic_kutyu5_w500.htm)。というもの。



















築地のビル計画    投稿日:2003年 5月21日(水)

ここで苦労話(人の金で芸術を作る苦労話について)というか、恥ずかしい話をひとつ。
築地にビル(93年設計〜97年竣工、晴海通りに面している)を建てた。
このビルの計画は当初、 @(下写真左) http://www.iau.jp/k/pic_bigaku13_h600.htm の形態だった。
そして、現在のこの形に、A(下写真右) http://www.iau.jp/k/pic_bigaku_daruma03.htm になってしまった理由について、


当初、施主からの要望は、黒く光る建物のイメージだった(黒御影石のイメージだったかもしれない)。 そのため、@を最初に計画しながら、徐々にイメージを展開させていく風に、Aを第一案として提示した(そのあと第二案を出すつもりだった)。
ところが予想に反して、@案でも斬新過ぎるとして、親戚を集めての一族会議となった。 そして、反対意見が続出。一時は更迭になりかかった。しかし、若い人たちの意見というか、彼らのすごい努力によってOKとなった。 そのため、結局、Aのあと用意していた@の計画は出せなくなってしまった。
非常に恥ずかしい話、今でも思い出すと後悔する。



















脱構築(1)    投稿日:2003年 5月24日(土)

当時(1993年)は、記号論と構造法研究を同時にやっていた。
新構造法研究は、80年〜90年代初頭まで続いた。

大梁をなくすこと、柱を無くすこと。
つまり、近代のラーメン構造(柱+大梁でできた構造)→近代的形態(コルビュジェのドミノシステム→サヴォワ邸 http://www.h4.dion.ne.jp/~ta-hp/ma01.htm )を破壊することだった。
つまり、ラーメン構造からくる(ディノテーション的)形態、及びモダニズム的統辞法を破壊することだった。これはパルテノンからの古典主義形態及び統辞法を破壊することでもあった。



脱構築(2)    投稿日:2003年 5月24日(土)

コルビュジェの「近代建築の5原則」は
1. ピロティ(柱だけの構造)
2. 自由な平面計画
3. 自由なファサード(立面)
4. 横長水平連続窓
5. 屋上庭園
これは、ラーメン構造(柱+大梁でできた構造:コルビュジェはドミノシステムと言っていた)から自然に生まれる造形。

彼が比較対照としている構造は(レンガ造等の)壁式構造で
1. 壁を取れない。建築の足元を開放できない。
2. 壁に拘束された平面計画
3. 壁の一部分だけに窓を設ける壁に拘束されたファサード(立面)
4. 縦長窓
5. 屋根
となる。
それから、サヴォワ邸のような造形が生まれた。

特に流行したのは、ラーメン構造と軽快感を与えるピロティか。
しかし、この構造が、(ピロティだけでなくラーメン構造も)建築を弱くした。阪神大震災でピロティ建物また筋交不足の建築が多く破壊したのは有名。
何も無理して地震の少ない地域の建築デザインを、(明治時代の建築家のように)真似ることはない。



脱構築(3)    投稿日:2003年 5月25日(日)

阪神大震災以降、無様に斜材補強したモダニズム建築がやけに目につく。
東海大地震は、阪神大震災のエネルギー規模で16倍、東南海・南海地震は128倍。阪神大震災クラスでも多数倒壊した(上記様式の)モダニズム建築が、これほどの巨大地震ではもつわけがない(免震でもしない限り)。

地震との関係を見るなら、欧米においても地震のない国は少ない。
古典主義発祥地のギリシアは特に地震が多い。何故にか、古代ギリシア建築は「柱+大梁」の構造を採用した。しかし、そのため地震によってよく倒壊したとも言われている。
古代ギリシア建築は、欧米建築の規範モデル。
合理的精神の持ち主にもかかわらず、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエも、その古代ギリシア建築に範をおき、古代ギリシア建築の最高峰パルテノンをめざした※。
そして、世界中に地震に弱い建築を蔓延させた。

その(脆弱な)古典主義形態・美学の影響を脱し、それに代わるモデルを生み出すこと。
それは、構造法での脱構築を伴った美意識の脱構築でもある。
それは、日本の場合、緊急性を要する課題だ。

※コルビュジェのサヴォワ邸は、「機械時代のパルテノン」(「建築をめざして」参照)。
ミース最晩年のベルリンの20世紀美術館はまさに「20世紀のパルテノン」。柱はギリシア建築のオーダーそのもの。
シーグラムビルも参照。彼の場合、新古典主義の大建築家シンケルもモデルに。



脱構築(4)    投稿日:2003年 5月25日(日)

以下に述べたシリーズは、それに答えるものだった。
建築1
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku13_h600.htm
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku15_h600.htm
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku16_h600.htm


1993年

1993年

1993年

建築2
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku3_h480.htm
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku4_h480.htm


1993年

1993年

建築3
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku6_h480.htm


1993年

建築4
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku7_w500.htm


1993年

大梁のない、柱のない建築シリーズ
とんでもない建築シリーズに聞こえるが。 大梁がないため階高が低く、内部は無柱空間、しかも地震にめっぽう強い。

コルビュジェの「近代建築の5原則」
1.ピロティ(建物を弱める)
2.自由な平面計画?(大梁・柱に拘束された平面)
3.自由なファサード?(大梁・柱に拘束された立面)
4.横長水平連続窓
5.屋上庭園
(6.弱い構造)
と比較すると、

私の「現代建築の5原則」    
1.ピロティも自由自在で足元解放できてめっぽう強い、何階分吹抜けピロティも可能
2.自由な平面計画(内部は大梁もなく柱もない空間、吹抜け自由)
3.自由なファサード(大梁拘束のない自由自在な立面)
4.横長水平連続窓といった拘束もない(窓形状の自由)
5.屋根でも屋上庭園でも自由に
(6.強い構造)



脱構築(5)    投稿日:2003年 5月25日(日)

もう少し、詳しく書くと。
近代建築は、その古典主義美学のために、建物を脆弱にしているだけでなく、近代建築の原則といわれるものに違反している。
現在のオフィースビルの基本的なタイプとなった、ミースの代表作のシーグラムビルのファサード(立面)は、柱・梁構造の美しさを表現したものである。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/2188/MiesvanderRohe/images/seagram9.gif
柱・梁構造の美しさのためにファサードに斜材(ブレース)を入れていない。代わりに中央部(EV・設備等のコア)にブレースをたくさん入れている。構造力学的には中央部のブレースの効きは良くなく外周部(ファサード)の方が効きが格段によいのだが、古典主義美学(それも、2000年以上前の建築モデル)のためにそれをやっていない。
近代建築の規準のひとつに、「形態は機能に従う」というものがある。これは近代建築家が全て守ってきたと言ってよいほどの第一の規準なのだが、それに違反している。さらに「構造」は最も重要な要素であるが、その第一の機能に忠実でないこと、それは最も致命的な問題である。それにはコルビュジェ、ミースを含めだれもが見ぬふりをしてきた※。

※ただ米国を代表する建築家ルイス・カーンは批判していた。



脱構築(6)    投稿日:2003年 5月25日(日)

次に、近代建築の規準といわれる「機能主義」を批判すると。
機能主義は、ディノテーション、コノテーションという記号論的区分けでは、(機能という)ディノテーション以外を削ぎ落としていく。シニフィアン、シニフィエという区分けでは、(機能という)シニフィエに忠実なもの、つまり意味の派生が多岐にならない、シニフィアンを求める。=というものである。
それは、記号論的には全く面白みのないものである。記号的豊かさとは無縁のものである。
詩的言語の面白みとは、コノテーションであり、シニフィアンの豊かさである。
それを制限することは、記号論的には、単なる交通標識(ひとつの意味にひとつの形)同等に建築を貶めるものである。
意味の多様な派生を求めること、それが本来、(詩的言語としての)形の選択基準なのだが。



宮城県沖地震M7.0    投稿日:2003年 5月26日(月)

18時24分宮城県沖地震M7.0 が来ました。



また大地震から    投稿日:2003年 5月29日(木)

いつもそうなのだが、こういう地震が来ると、(精神的)大パニックとなり、結局今までやってきたことを長期にわたり中断することとなる。
脱構築(1)〜(6)って、阪神大震災1995年までに考えていたこと(いざ実現!とまで考えていた)。
http://www.iau.jp/k/pic_bigaku13_h600.htm
この構造法では追いつかなくなり(免震を足元に据えれば別だが)、免震構造法にのめりこんだ(無我夢中だった)。それから9年が立とうとしている。
今回も、このことを語り始めると、地震がきた(大地震の前触れのように。どうもそうらしい)。
しばらくパニックで、本当に免震普及に向けて奔走しなければいけないと。
芸術は、こういう緊急的課題の前には、実に(時間配分的に)弱い。 今しばらく、どうも奔走しないと、という感じになってきた。



















1900〜1920年代という時代    投稿日:2003年 6月 7日(土)

19世紀後半〜現代までの(狭義の)近代デザイン史について、
特に19世紀末からわずか20年くらいで、近代デザインは完成する(僕らの建築デザインでは20年代に近代建築は完成とする のが一般的)。
すごく早い。早すぎる時代。
アーツアンドクラフツ運動からアールヌーヴォーまで50年間、
アールヌーヴォーから未来派・ロシア構成主義・ディスティル・ピューリズムなどを経て近代デザインの完成までは20年間くらいか。
その中で、ロシア革命と結びついたロシア構成主義、その前のロシア・フォルマリズム、これは20世紀哲学・芸術に相当な影響を与えている(これを書き始めると話がそれる)。

1900年前後から1920年代までの時代。
一度きちんと書かないとと思っている。
キュービズムからピューリズムというような話ではなく、ニーチェからフロイト(フロイトにニーチェを帰結させてはいけないが)、アインシュタイン(ニュートン以来の物理学の大革命というよりは)、ライト兄弟(人類がはじめて空を飛んだというよりも)、エジソンとフォード(電気の時代、自動車の時代をもたらしたというよりも)・・・。
20世紀の歴史は、1920年代までにほぼ決まった。その後の運命が形作られた。本当に急速に、わずか20年くらいで。



脱構築(7)    投稿日:2003年 6月 9日(月)

19世紀後半〜現代までの(狭義の)近代デザイン史=モダニズムデザイン史について、
モダニズムには2つの側面がある。
(1)新時代の造形へ
新しい造形、自分達の時代の造形へ
過去の時代の繰り返しでない自分達の時代の造形へ
それは、19世紀後半〜1920年代までの時代に成し遂げられた。
(2)合理的な造形へ
合理主義、機能主義、産業効率主義にマッチした造形へ
それは、1900年前後から1920年代までの時代に成し遂げられた。

問題なのは(2)の方の話。 脱構築(6)の話につながる。



















1907年    投稿日:2003年 6月27日(金)

1907年、フォードはフォード社の株式支配権取得、翌年T型フォード発表、1913年にはライン生産方式に、27年製造中止するまでに1500万台のT型フォードを生産。規格化(少品種)大量生産の時代へ。
1907年、ドイツ工作連盟結成。製品の「規格化」、また、「インタナショナルスタイル」へ。
1907年、パリでセザンヌ(1839-1906)回顧展。
1907年、ピカソ「アヴィニョンの娘たち」発表。キュービズムへ。
1900年から10年頃にかけて、マティスらがフォーヴィスム開始。
1907年、ユングがフロイト「夢判断(1900年)」を読みフロイトを訪問、精神分析学建設への協調態勢へ
1907年、ソシュールの一般言語学講義一回目(「一般言語学講義」は、1907年〜1911年間の3回にわたって行われた講義を弟子たちがまとめたもの)
1908年、プルースト『失われた時を求めて』の執筆をはじめる。
1909年、マリネッティが未来派宣言発表。
1910年、カンディンスキーがはじめての抽象画。
1910年、ストラヴィンスキー「火の鳥」初演、「ペトルーシュカ」(1911)「春の祭典」(1913)
それ以外に、
1903年12月17日、ライト兄弟、初飛行に成功
1905年、アインシュタインの「特殊相対性理論」、1916年には「一般相対性理論」

すごい時代、科学・芸術・生産(デザイン)様式における20世紀のほとんどが準備される時代。
これを見ていると、ブランクーシのロダンとの訣別は、「不毛の大樹から」というより「具象彫刻から」の決別という感じがする。新時代をもたらすさまじいエネルギー連鎖(核反応)の時代における核分裂の一つか。



1907年 (その2)    投稿日:2003年 6月29日(日)

1907年頃のデザイン動向。

1903年 チャールズ・レイニー・マッキントッシュ 「ヒル・ハウス」
1904年 ルイス・サリバン 「カースン・ピリー・スコット百貨店」
      F.L.ライトの師匠、すでに現代建築と変わらないデザイン
      機能主義「形態は機能に従う」を提唱
      彼は天才と感じることが多い。上記の絶対的愚鈍のガウディとは違ういわゆる「天才」。
1906年 オットー・ワグナー 「ウィーンの郵便貯金局」 
1909年 ペーター・ベーレンス 「AEG電気会社タービン工場」
1906年〜1910年 アントニオ・ガウディ 「カーサ・ミーラ」  →ガウディは、世紀末ではなく意外と遅く、近代建築の幕開けの時代にこのようなデザインをやっている。絶対的愚鈍の世界。これも天才。



1907年 (その3)    投稿日:2003年 6月29日(日)

どのような方向へも展開可能な時代。
20世紀、いや20世紀以降のグランドデザインを形作る時代。
もう一度戻りたい時代。もう一度この時代に戻したい。この後の展開が楽しみな時代。
しかし、結果は、これほどの高まりを暗示させておいて、クライマックスを描けない作家のように。
という歴史に対する認識で、学生に「1907年からのスタート、20世紀の可能性の再(脱)構築」という課題を与える。



モダニズムの再構築、またはポストモダンの再構築    投稿日:2003年 6月29日(日)

まず、ポストモダンという概念の再構築を試みれば、
ポストモダン幕開けの書である、R・ヴェンチューリの「建築の複合と対立」(1966年)ではわかりにくい。特にラスベガス(「ラスベガスに学ぶこと」)にまで飛んでしまうので、普通の人には、余計わからなくなる。

詩的言語に関しての区分

@「一元性」「純粋性」「絶対性」「主体性」「モノローグ」
A「多元性」「他者性」「無意識(他者の声)まで含めた主体性」「多声性」「対話性」※※
が、
(狭義)モダニズム※とポスト(狭義)モダニズムの区分を考えた場合。一番わかりやすい区分かもしれない。これは、ニーチェ、フロイト・ラカン、さらにはM・バフチンにおっている。

また、このことは、4月28日の「近代」に関する論考
「近代とは、ニーチェが考えたように、プラトニズムをのり越えて、古代ギリシア精神を再生しようとしたのであろうか。それこそが真の意味での中世社会から脱却し、そしてルネサンスの延長としての近代の完成か。 しかし、20世紀の近代は、これとは違う方向に向かう。」
このことに関する、
つまり、モダニズムの再構築に関する、答の一つにもなる。
これは「主体」の定義の問題※※※、「理性」の定義の問題に由来する。


※1920年代確立のモダニズム、コルビュジェはすでにAか。
※※「カーニヴァル」を追加すると、昨年からのこの論考は、Aのほうでやるつもりだったが、現在はモノローグ的になってしまっている。
※※※主体の定義の区分からでは、
@「一元的主体性」「純粋性」「絶対性」「モノローグ」
A「無意識(他者の声)まで含めた主体性」「多元性」「多声性」「対話性」
がわかりやすいか。



「建築の複合と対立」    投稿日:2003年 7月 1日(火)

R・ヴェンチューリの「建築の複合と対立※」(1966年)、「ラスベガスに学ぶこと」(1972)、
学生時代に遭遇した本だった。当時全く面白さを感じなかった(特に、最後の章のヴェンチューリの建築作品には閉口した)。ただ、西欧の歴史建築には、これをきっかけに興味をもった。
当時歳をとると面白みを感じるかと思ったが、今読んでも全く面白味を感じない。
当時、M・バフチンの詩学理論(1963)が出ていたのだから、さらに遡って、ロシア・フォルマリズム、ローマン・ヤコブソンの詩学理論をも参考にすべだったのだろう。
本当は、M・バフチンを参考にしていたのかもしれないが、面白みが全く伝わらない。ソ連との冷戦状態がアメリカにロシア文学理論を伝わらなくさせたのか。

※題だけは気にいっていた。しかし、邦訳の題は「建築の多様性と対立性」=題で意味がわからなくなる。



















街の記憶から「空中都市」、そして「近代」    投稿日:2003年 7月17日(木)

このような話を書いていると、子供時代に感じた開発=大破壊(いや近代化?)によって、取り返しのつかないことをしているという感じが、まざまざとよみがえってくる。

基本的には、「近代」という概念には、過去を否定し、新時代にあったものを創造するという概念をもっている。そのため、人を高揚させる部分もあるが、戦後は、特に「過去の破壊」という、その否定的側面を見すぎたのかもしれない。
それも敗戦国特有の「近代化(過去=悪ゆえに全面否定、が含まれた)」という概念だったのかもしれない。

実は、(大学3年の終わりに提出した)空中都市http://www.iau.jp/k/pic_kutyu1_h900.htm には、複雑な思いがある。
前年の学年(2年から3年の途中)までは、地下へ計画した建物ばかりだった。これ以上、地上を荒廃させてはいけないという思いから。
そして、ある日、飛翔する。(歴史の蓄積ある)地上を開放すればよい。そして地上高く都市を作ればよいと http://www.iau.jp/k/kutyu_1.htm
それによって救われた思いもあった。地下への計画ばかり作っていた頃には、もう建設系→開発系の学科は、やめようと思っていたからだ。
これによって、「近代」という概念の、肯定的側面を見ようとしたのかもしれない。というより、人間の、過去から現在、それを常に超え出ようとする本質を見ようとしたのだと思う。
過去を否定(抹殺)することなく、飛翔する部分、「近代」というものは、そうでありたいと思った。



















「近代化」について (特に都市・国土の)    投稿日:2003年 7月19日(土)

多かれ少なかれ、全ての国は、過去の歴史との相克をもった近代化に遭遇した。
スムーズに近代化に向かった国、新都市を作って旧都市を保全した国、ヨーロッパでは後者のほうが多かったかもしれない。戦争で都市が破壊し尽くされた場合は、前者にならざるを得ない。
近代化が進んだ国でも、積極的な意味では(わざわざ破壊して)少なかったかもしれない。また、近代化が進んだのは、世界的に見ても、大量破壊後の戦後だった。
日本は、戦争による被災国なので、当然前者かもしれないが、積極的な意味でも前者だった。
これはヨーロッパ人から見て珍しく思われた。
このことは、ヨーロッパの近代主義者(建築家・都市計画家)からは羨ましがられた。

実は、近代主義の代表選手であるコルビュジェは、フランスでは全くの不遇だった※。チャンスは与えられなかった。彼にチャンスを与えたのは、イギリスから独立したばかりの新生インドだった(上記チャンディガール参照)。独立したばかりのインドは、大英帝国の様式に代わる、新生の名に値する様式を必要としていた。

※コルビュジェは、パリの街並みが大嫌いだった。旧都市を一掃したパリ大改造を構想していた。
http://www.arch.oita-u.ac.jp/a-kei/urban/storiva/reseach/cg/cg.htm 
  http://www.arch.oita-u.ac.jp/a-kei/urban/storiva/reseach/pase.htm ※※
それが、パリの人に、フランス人に大いに嫌われた。彼はスイス人であった。

※※パリ改造計画が見当たらないので、代用。このようなものをパリのど真ん中に作ろうとした。
 真正の近代主義者は、過去を全否定する信念を、狂信的に持っている。



「近代化」について (2)    投稿日:2003年 7月19日(土)

日本の場合、「近代化」というものが、二回にわたり、大津波のように襲ってきた。
一つは、明治維新。二つ目は、敗戦により。
ともに、過去を否定する方向での、ルサンチマン的な「近代化」だった。
一つは、幕藩体制に。もう一つは、敗戦を招いたというより戦争を招いた戦前の体制に対してのルサンチマン的な「近代化」。
(ともに)その後の近代化は、近代という概念自体を(先人を含めて)自分たちの手で培ってきたものではないから、ルサンチマン的な意味を除いてしまえば、そして経済優先(簡単に言えば、食うために)という視点も除けば、本当の意味で、過去の遺産を否定・破壊するほどの価値があるものなのかと言われれば、自信などあろうはずも無い。
この借り物の「近代化」というものに、自信を持ちえたはずも無い。それが戦後の「近代化」、いや明治維新後を通じての「近代化」に対しての、日本人の本当のところではないか。
それが、学生時代の(デザインするに当たっての)出発点だったような感じがする。



「近代化」について (3)    投稿日:2003年 7月20日(日)

「近代」の形態論的特質(シニフィアン的特質)は、それは「理性」その基盤の「数学」それの形態化「幾何学」である。とするなら、そのようなものによって、過去を葬り去らせる権利・価値などはない。
「近代」の意味論的特質(シニフィエ的特質)が、「機能主義」であるとするなら、(下記の「機能主義」に関する論考に述べた以上に書きたいことが山のように出てくるが、結局、経済優先、単純に言ってしまえば「効率化」だが)、そのようなことで過去を葬り去る資格など全く無いと言いたい。
以上が「近代」の全体像なら、そのような「近代」はクソクラエだった。

これら以上のことが、学生時代の出発点での感慨だったような感じがする。
要するに、真の肯定的な意味をもって、行動したい、設計したいということだった。



機能主義    投稿日:2003年 7月21日(月)

機能主義について、補足しておきますと(5月25日の脱構築(6))、

結局、機能主義では、「あれもこれも」は許されていない。一神教みたいなものだ。
機能効率だけ考えて、後は好き勝手な装飾、装飾だらけというわけにはいかない。「機能」からの(純粋な)形まで要求される。
結局、(自分のイデー以外を排除する)排除主義なのだ。「何々と、何々と、何々と、何々と、・・・」というふうに加算的にはゆかない。「これだけ」ということなのだ。
アドルフ・ロースの「装飾排除」と結びついて、機能主義美学は完成するのだ。
そして、ミースの「Less is More」に行きつくのだ。決して「More is More」ではないのだ。

このことは、近代的思考全般に言える(「我思うゆえに我あり」に発する)。



















「複合と対立」    投稿日:2003年 8月 4日(月)

複合における「対立」は、補色的な考え方にたてば、お互いの良いところを増幅・強調しあう関係。しかし、単なる「複合」では弱める場合もある。結局、「複合と対立」は、最も単純な形(古典主義的形)には(強さという点では)負ける場合もあるが、(意味の派生という)面白さでは勝つ場合が多い。
そういう意味で、前方後円墳は、成功しているのではないだろうか。
そして、経年的な自然への同化の必然に対しても、「複合」ゆえの(強さを弱め)同化を促進させる要素をもちながらも、自然には無いその「対立的な複合」ゆえの、その記号を発見させる仕掛けをも持つ。
これは巧妙なやり方かもしれない。
前述(上記)のように経年的な過程によるアンビバレンス、そして、「複合と対立」によるアンビバレンス。
実に気を惹く造形だ。



縄文   投稿者:反デカルテジアン    投稿日:2003年 8月 4日(月)

ノマド(遊牧民)と定住
ソクラテス(プラトン)以前と以降
縄文と弥生
ディオニュソスとアポロ
リゾームとツリー
爆発と去勢
これ、ニーチェ・ドゥルーズ(岡本太郎も混じっているか)的紋切型になってしまうが。

封じ石としての応神・仁徳天皇陵。何かを終わらせた。
それは倭(和)国の大乱なのだろうか。戦国時代の終焉? 侵略戦争の終焉?
ディオニュソス・ノマドエネルギーの封印か。
その封印を解かれる日、先延ばしのための巨大すぎる封印。

農耕文明のスタート、そして(2000年にわたる文明の)終焉。
果たして、今後、
定住からノマドへ
ソクラテス(プラトン)以降から以前へ
弥生から縄文へ
アポロからディオニュソスへ
ツリーからリゾームへ
去勢から爆発へ
に向かうのだろうか。
これは、(岡本太郎みたいな)ニーチェの予言。
いや、ニーチェみたいな岡本太郎。岡本太郎もニーチェアンだったのだ。



















伝統論争、「縄文」、岡本太郎の登場    投稿日:2003年 8月 9日(土)

建築史は、弥生系、伊勢神宮系、平安寝殿造り→数奇屋系(≒近代建築)を、日本の本流に考えてきた。
縄文系は、無視されてきた。
そして戦後伝統論争での「弥生か縄文か」でも、やはり弥生系、伊勢神宮系の確認のようなところがあった。そこに果敢に、縄文の大論陣を張ったのが、岡本太郎。
縄文が、現在のような評価に至ったのはこの人のお陰。

岡本太郎、この人の見方は、視野が広かった。
友人バタイユ※とともにニーチェに心酔した人。
だから、縄文が良く理解できた。そういう意味では、非常に現代的な視点を当時はやくも持っていた。

※「芸術は爆発だ」は、友人バタイユが関与とか。



岡本太郎の「縄文」    投稿日:2003年 8月 9日(土)

それゆえ、いわゆる「縄文」は、岡本太郎を通しての、それはさらに、その台座(エピステーメー)としてのニーチェに大きく依拠したものだ。
そのことを、>反デカルテジアンさんが、上記に、「ニーチェ・ドゥルーズ(岡本太郎も混じっているか)的紋切型になってしまうが」と断りながら(「紋切型」と強調して)、うまく整理している。
ただ、その当時の「縄文文化」に対する知識と、現代までに発掘されたことによる知識とでは、かなり差が出てきている。縄文の前期から中期でも、定住、それもかなりの規模の集落で定住が始まっていたようだ。
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/joumon/1/joumon1.htm
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/joumon/1/joumon4.htm
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/joumon/1/joumon5.htm
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/joumon/jou-home.htm
おそらく、民族という視点を入れないと「弥生」との差は理解できないかもしれない。また、その後、混血も進み、現代日本人には両方の側面を持っているかもしれない。
古代史は、本当のところはもう少し時間がたって(ブームが去って)落ち着いてこなければわからない。過熱気味のときは、報道だけでなく考古学者さえも過熱してしまう。この前の捏造事件がそれを象徴している。三内丸山遺跡も(復元に関して)やりすぎの観がある。
そういうことに振り回されるよりも、芸術家はそれによって自由にイマジネーション、インスピレーションを刺激された方が良いと思います。



岡本太郎作品集    投稿日:2003年 8月10日(日)

気になったので、探していると、
無料で公開しているのですか。
岡本太郎作品集(これは立派)
http://www.new-york-art.com/Tarou-sakuhin.htm
縄文の写真も
http://www.new-york-art.com/tarou-sakuhin-syasin-joumon.htm
これは太陽の塔だ(実は縄文)
http://www.new-york-art.com/taro-syasin-clay-4.htm



縄文?    投稿日:2003年 8月11日(月)

縄文を抜きで、岡本太郎は語れない。
そののちの「沖縄文化論」も、その系統か。
おそらく畿内に大和朝廷系が入ってきて、南北に分かれたのだろう。



アアルトの「複合と対立」    投稿日:2003年 8月12日(火)

ニューヨーク博フィンランド館(1939)は、アアルトの傑作。
アアルトの作品は、「複合と対立」が入っている。
ただ、歳とともに(「複合と対立」要素が減り)単調になってきているような気もした。



装飾否定の論理    投稿日:2003年 8月15日(金)

装飾の否定、近代の発想。
これは、未だにしっくりいっていない。
A・ロースでは納得しない(「野蛮」な論理に彼の論理自体が思えてくる)。
納得いく論理をだれも発表していないのでは。
縄文と弥生の差、この論理で果たしてはかれるのか?

20世紀が、フォルマリズムまたは構成主義であって、なぜそうでないのか。
シニフィアンであって、シニフィエでないのか。
20世紀の「装飾の否定」については、この話の方がわかりやすい。
近代とは、(装飾による、装飾という)寓話性・物語性の否定のようなところ、(絶対的な意味に通ずる)シニフィエの否定・拒否のようなところ、そして、シニフィエの喪失(またはシニフィエの多義性・個別性)。そしてシニフィアンの独り立ち(歩き)。それが可能な仕組み。

この論理でいけば、
弥生と縄文の差について、(民族性・宗教性の差をおいても)
シニフィアンの過多は、シニフィエの過多、特に、自然(超自然)に対するシニフィエ(思い)の過多と関係あるのだろう。そして、確かに、生存の不安定性と、このことは、深く関係するのだろう。

ということは、生存の安定さが、(絶対的な意味に通ずる)シニフィエ離れをさせた。そして、シニフィエの喪失(またはシニフィエの多義性・個別性)、そしてシニフィアンの独り立ち(歩き)か??

いや、近代の「シニフィエ離れ」は、生存の安定さにも当然由来するが、それだけではない。やはり神に代わる理性、科学・・・等々が、最終的に、神殺し=「シニフィエ離れ」に加担した。



「力の意志」と「爆発」    投稿日:2003年 8月20日(水)

岡本太郎は、バリ時代において、バタイユ、P・クロソウスキーらが参加する(反ナチス)秘密結社に、主にニーチェの勉強会だったらしいが、参加していた。
ニーチェの、一番の核心、「力の意志」についてのクロソウスキーの解釈は、
「衝動、情動、パトス」※。
この翻訳が、「(感情の)爆発※※」。
つまり、岡本太郎の「爆発」は、ニーチェの「力の意志」、
「芸術は、爆発だ」は、「芸術は、力の意志だ」と言っていることになる。
そして、縄文についても、
彼は(今まで無視されていた)縄文を発見した。評価した。というより、彼個人にとっては、縄文土器の中に、彼が希求していた「力の意志」を発見した。そして、彼の芸術が始まった。そういうことになるのだろう。


※わざと反「理性」的概念を出している。
※※「神への情熱がほとばしり」だけではない。ニーチェの「力の意志」ではこの概念は否定されているので、単なる「衝動、情動、パトス」。



近代・現代絵画    投稿日:2003年 8月21日(木)

近代・現代絵画は、本当は底の浅さに嫌になっている(シニフィエを充満できないからシニフィアンが多様に派生する構造をもたないというか、シニフィエなしでやっていける構造をもたないというか・・・)。

この前、TVで抽象絵画の比較をやっていたが、サルか象かが描いた抽象絵画?の方が、ある巨匠の抽象絵画より良かった(そのように思う人が多かったというか、巨匠の作品を言い当たられない人が多かった)。抽象絵画になると、その辺の話になる。本当に名前を消されて比較されるとわからない。
20世紀絵画の行き着くところがこれでは困る。
時間がたって作家の名前がわからなくなり、サルのものが真で、巨匠のものが贋作だと思われても困る。ゴミか作品かの区別がつかないのも困る。自分の作品がそう扱われるのは実に困る。
結局、コンセプチュアルというか観念のアイデアを抜いて比較されると、こうなるのは実に情けない。



ピカソのアフリカ彫刻との出会い、そしてキュービズム    投稿日:2003年 8月23日(土)

岡本太郎と縄文の出会い。それ以上の出会いがピカソにもあった(岡本太郎はピカソを意識している。岡本太郎はそういう出会いを求めていた。日本に帰ってそれを求めた※※)。
ピカソはアフリカ彫刻に出会い、代表作「アビニョンの娘たち」(1907年)を描き、なぜかキュービズムが始まった。※※※※
本来は、アフリカ彫刻の(インスピレーションを感じる)いい角度だけを描きたかった。その寄せ集めの絵を描いた。そして、それら(部分同士の)の関係付け(こじ付け)※が必要だった。それが、セザンヌの構成手法により刺激を受けた(マチスによって命名される)キュービズムだった。


※下記「キュービズムの意味」参照。物語としてではなく、形の構成手法として。
※※「縄文」(イコン※※※)は発見できたが、「キュービズム」(構成原理・構成システム)のようなものは発見できなかった。その差は芸術家として大きい。
※※※イコノロジー、イコノグラフィーでの対象(図像の単位)、聖画像に限らない、単なるシンポルと置き換えても良いか。岡本の場合は「力の意志」を現しているシンボルか。
※※※※「われわれがキュービズムをやっていた頃、実はわれわれはキュービズムをやろうとなどという意識はおよそ持ち合わせていなかったのだ・・・。」ピカソの後年の述懐。そして、キュービズムは彼らの意図と違う方向で動き出した。彼らの意図に即したキュービズム(キュービズムという用語は本来ふさわしくない)の再構築。



キュービズムの意味    投稿日:2003年 8月23日(土)

近代・現代絵画の困難性※※(上記8月21日記載
「シニフィエを充満できないからシニフィアンが多様に派生する構造をもたないというか、シニフィエなしでやっていける構造をもたないというか」の、
「シニフィアンが多様に派生する、(一元的)シニフィエなしでやっていける構造=システム」※※※
つまり、一元的シニフィエ喪失以降の絵画システムの構築。
それを発見した※※。


※写真技術によって、完全に近い模写が可能になって(模写という)絵画の役割(実用的な面での)の終焉ということもあるが、この方が近代・現代絵画にとって根源的困難性か。
※※多視点というようなものは二次的なもの(インスピレーションを感じるいい角度だけを描くためのもの)。キュービズムが具象的表現否定→抽象の始まりであることも派生的なもの(※参照)。
※※※キュービズム以外にキュービスト(ピカソ・ブラック)が生み出したコラージュという手法もこれに当たる。



結局、近代を    投稿日:2003年 8月23日(土)

(一元的)シニフィエに代わる新しい「イコン」の発見※と(それに見合った)新しい「構成原理・(シニフィアン)手法」の発見だった。とするなら、

その中で、キュービズムは
「多元的なシニフィエの表出と、その多元性を束縛しない構成(シニフィアン)手法」
成功した例だ。

ただ、「その多元性を束縛しない構成(シニフィアン)手法」ばかりにエネルギーを注ぎ込まれ、「多元的なシニフィエを表出」させる方向でのエネルギーはさほど注ぎ込まれなかった。


※結局のところ、イコン無しでやっていけるのか、シニフィエなしでやっていける構造をもてるのか。喪失より多元性をキュービズムは選択した。それは、近代という時代(民主主義の時代)にマッチしたものだった。



築地本願寺    投稿日:2003年 8月29日(金)

伊東忠太(1867〜1954年)設計、1934年完成、浄土真宗の本願寺にしては奇妙な建物。
ポストモダン時代に特に人気のあった建築家。明治以降の巨人とまで評価されている場合もある。
幸田露伴・尾崎紅葉・夏目漱石・正岡子規・南方熊楠と同い年。
法隆寺を「発見」した建築史家(「法隆寺建築論」(1898年)を発表して、法隆寺研究の道をひらく。中門の柱のエンタシスがギリシア起源とするあの有名な話)。雲岡の石窟寺院の「発見」も。
代表作は、築地本願寺以外に明治神宮、靖国神社、平安神宮(拝殿左右の蒼竜楼と白虎楼は面白い)、湯島聖堂、大蔵集古館、祇園閣(1928年)(京都東山に祇園祭の山鉾が建っていると思ったら、これは建物)、東京都立慰霊堂(旧震災記念堂)、一橋大学兼松講堂、阪急梅田駅の阪急ビルディング、明善寺(山形市)、亀岡文殊(山形県高畠町)。

これほど多様な作品群は、一作家としては珍しい。



多様性と近代主体以前or以降    投稿日:2003年 8月30日(土)

「多様性は浅さに起因する。深く多様というのは難しい。」近代的主体にとって、このことは言える※。
こういう論理に立てば、伊東忠太は近代主体でないか(以前か、以降か、その差は大きい)、その作品は浅いか、のどちらかになる(もう一つあるが神で無い人間には難しい)。

結局、ポストモダン時代に人気があったのは、近代主体以降を探求するために、であった。
しかし、実際の多くは、近代主体以前であることが多い※※。


※下記「近代主体と多様性」参照
※※下記「19世紀の多様性」参照



近代主体と多様性    投稿日:2003年 8月30日(土)

近代主体は理性であり、それも理性の存在基盤が数学的なるもの(ニュートンを代表とする近代科学=数学を基盤とする科学)なら、分析的さらに微分的にならざるを得ない。
また、近代主体の原点、「我思うゆえに我あり」に立てば、(他者存在が思うことは否定された)「我」が、自己存在の根拠である、自己存在をかけて思う範囲のこと。それもこのような分析的理性が思う範囲のこと。
そういう観点に立てば、近代主体における多様性は、悲観的にならざるを得ない。
そこから、結局のところ、Less is More. になる。しかし、Moreは、深さ(深さに由来する豊かさ)であって多様性ではない。



19世紀の多様性    投稿日:2003年 8月30日(土)

忠太の活躍した19世紀から20世紀初頭は、西洋においては過去の様式百花繚乱、折衷(エクレクティシズム)、様式の借物の時代(上記「19世紀(投稿日4月2日)」)、借物の多様性の時代だった。
多様性という観点、自己主体における「借り物でない」多様性という観点はあったのだろうか。



多様性    投稿日:2003年 8月31日(日)

個人の多様性は、
結局、個人の中に、何人の他者がいるか、これに起因する。
M・バフチンの考察したドストエフスキー、
彼は、(癲癇による?)えもいわれぬ恍惚・至高の時間を持つ。
他者なのか、彼は絶対他者との遭遇とも思っていたふしもある。
伊東忠太も、幻視の人であった。そういうものとの遭遇をもつ。
作品の豊かさ(この場合、多様性)は、そのような他者(それも自己から遠ければ遠いほど)の存在に、依っている場合が多い。



多様性(多様な他者)と近代主体 (1)    投稿日:2003年 8月31日(日)

しかし、
このような多様な他者、
それは、近代主体が、取り込めていない、処理に困っている領域。
つまり、自己という一元的理性に、取り込めず、処理に窮する領域。
本来、多様性は自然(DNA集団)がめざすもの※。
脳の中では、無意識が、それらを受け持ち処理に当たっている。その無意識からの情報を拒否することが、近代主体なら、これはいびつな主体(になる)といわざるを得ない。

※「多様性は宇宙ががめざすもの」という言い方もできるかもしれない。ただし、(ビッグバンによる)膨張宇宙論での話。 下記「宇宙論と形而上学」(9月7日)参照。



多様性(多様な他者)と近代主体 (2)    投稿日:2003年 8月31日(日)

無意識をどう始末するか、20世紀に入ってからの一番のテーマかもしれない。
そして、無意識という大きな存在を「発見」し、(生きる)力の根源であると肯定したのが、ニーチェ、その弟子とはいえないが(「生きる力」を「セクシュアル」に置き直したのが)フロイト。
もう一度、原点の原点、(フロイトではなく)ニーチェに戻れという方向を、ラカンはなぜ取らなかったのか、惜しまれる。
そして、ニーチェと(M・バフチンを経由しての)ドストエフスキー、この2人は、「近代以降の主体」を指し示すものとして、(20世紀以上に)ますます輝き出している。



宇宙論と形而上学    投稿日:2003年 9月 7日(日)

宇宙論と形而上学は相関性を持つ。
ニュートンの宇宙論までは、絶対空間という、空間自体は絶対安定した世界。
アインシュタインそしてビッグバンによる膨張宇宙論では、(相対空間という)空間自体もひずみゆがみ、宇宙自体が刻々膨張し、絶対安定的な世界ではない。
アインシュタインの「相対空間」と「(絶対なるものを喪失した)相対的な価値観」、また、
「膨張する宇宙」と「進化し発展する歴史観(ヘーゲルというより資本主義社会)」とは、繋がる(この逆の「収縮する宇宙」では、終末論的な「退化し、退歩する歴史観」となるのかもしれない)。
ニュートンまでの絶対空間=「絶対安定的宇宙観」と「中世までの世界観」とは、繋がる。そういう意味で、ニュートンは、空間概念においても、彼が体現した「理性」という理念(「理性」自体が神の代理として過渡期的なもの)においても、過渡期的存在なのかもしれない。



















レオナルドとミケランジェロ    投稿日:2003年10月 2日(木)

ルネサンスの歴史的価値は、「彫刻」でなく「絵画」だ。古代ギリシア・ローマの復興なら「彫刻」かもしれないが、古代ギリシア時代に「彫刻」は極致までいっている(ルネサンス期がそれを超えているかはわからない)。それゆえルネサンスの歴史的価値は、「絵画」になる(当然、古代ギリシアを超えている)。それゆえ、「絵画」の完成者としてのレオナルドに軍配。ミケランジェロはやはり彫刻家なのだ。レオナルドを超えているとは言いがたい(システィーナ礼拝堂の「天地創造」「最後の審判」などの巨大な絵画は書いているが、レオナルドを超えるためには大きさで勝負なのか)。



フェルメール    投稿日:2003年10月 3日(金)

レオナルドを写真機以前の画家。写真機以降の画家(写真機の発明を意識した作家)として、印象派の画家、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、そしてキュービズムの画家をあげられるが、その彼等に影響を与えた画家として北斎をあげることは可能だが、
西洋の中で、レオナルド以降、写真機以前の画家の中で、興味深い画家がいる。
彼の名は「フェルメール」。
正確な描写、写真のような描写と思われている画家だが、実は、デフォルメ、複数視点の画家として有名。
 ・The Milk Maid 写真的な透視画法絵画に一見みえるが、複数視点絵画だ(セザンヌかと思われるほどだ)。
 ・View of Delft 当時の現実の風景をデフォルメ、アレンジしている。

ダリが最も評価した画家。シュールではないが(言い換えれば、自然なシュール、無意識が自然さを感じるシュール)、この不思議な世界は、一つには現実にはありえない構図(複数視点もその一つ)によるものだ(しかしダリがこの点に気付いていたかは不明。というのは、ダリの作品に複数視点絵画が存在するかどうか調べていないが)。
 ・ダリが最も好きだった絵画 「絵画芸術」



フェルメールと17世紀のオランダ    投稿日:2003年10月 4日(土)

記憶に間違いが無いかと調べたら、
フェルメール(1632〜75年)とスピノザ(1632〜77年)は同じ年にオランダで生まれている。また、2年の差で亡くなっている。そしてレンブラント(1609〜1669年)もスピノザの近くに住んでいた。また、デカルト(1596〜1650年)も、1628年にオランダに移り住み1649年までオランダの中で転々としている。この当時のオランダは黄金時代か。また鎖国後(1633年鎖国令〜1641年鎖国完成)の日本のヨーロッパ唯一の貿易国。キリスト教禁止令の国が唯一国交をもった国だけあって、思想宗教には寛容=自由があった。
また、哲学史では、この17世紀は「天才の時代」と呼ばれ、非常に重要な時代だが(フーコーの「言葉と物」の分類では「古典主義の時代」」(17世紀後半からか)、芸術史では「バロック」)、オランダが果たした役割が非常に大きい。思想言論の自由を許容し、彼等に活躍できる場を与えた意味は大きい。



一視点透視画法から一元的主体    投稿日:2003年10月 4日(土)

(ブルネレスキーが図法として完成した後)レオナルドが一視点透視画法絵画を完成し、その世界から超え出ようとしなかったことはあきらか。
当時から一孔写真機(立体的世界を平面へ投影。印画紙に定着はできない)みたいなものはあったらしいが※、その一孔写真機によって得られる完全な投影世界を、それを使用せずに自分達の力で描こうとした(時代が下って北斎の場合も、富岳100景(36景の方ではない)にそのようなもの(投影の世界)が出てくる)。そして完成させた。それに不十分さ(物足りなさ)を感じるのはもっと後の話。

そして、デカルトはルネサンス期に確立されたこの一視点という見方から(一個の視点という見方に自信を持ったというべきか、原理的にはこの「一個の視点」しかないと感じたというべきか、またその可能性に自信を持ったというべきか)、一元的主体という考え方を発展させる。それが、ルネサンスからはじまる近代世界を支える。モノローグ世界観とM・バフチンがいう世界。


※今日のHVのフェルメールの番組でそのようなものをフェルメールが使ったという話(イギリスの論文)が出ていたが、そのようなものは別に17世紀の産物ではなくルネサンス時代にもあったらしいが、本当にそれを使っているなら(また使ってしか描けない人なら)、上記のような複数視点絵画を意図して描けたかどうか。自分の感覚を信じている人だけができることだ。⇒「セザンヌ」参照



フェルメールとレンブラント    投稿日:2003年10月 4日(土)

フェルメール(1632〜75年)、レンブラント(1609〜1669年)ともにオランダ人でほぼ同時代人だ。
レンブラントぱ「光の魔術師」といわれるが、これもルネサンス期に確立した規則を違反しはじめている。
それは光の当て方だ。自然な平行光の世界でなく、作者が必要するところにどこからか光がさしてくる(光の出所不明、実は魔術などではなく自然の規則の違反によって成立している)。
 ・夜警  参照
フェルメールが複数視点とするなら、レンブラントぱ光の複数照射だ。
多元的視点と多元的照射。ともに(本当は)不思議な世界だ。
しかし、多元的視点と多元的照射と言っても、一元的世界観から大きく踏み出したわけではない(本当にこそっという感じで、全面的に多元的世界に踏み出したわけではない)。
だから、ルネサンスに次ぐ時代(マニエリスムの後)のバロックに位置付けられている(バロックという割り当ても奇妙だが)。フーコーの「言葉と物」の分類では「古典主義の時代の始まり」(仏文学では17世紀後半からが「古典主義の時代」) 。この時代区分もわかりにくい。



カラヴァッジョとレンブラント    投稿日:2003年10月 5日(日)

「光と闇の巨匠」といえば、カラヴァッジョ(1573〜1610年)。
レンブラント(1609〜1669年)より先輩にあたる。イタリア人。
 ・聖マタイのお召し
 ・聖ペテロの磔刑
 ・聖パウロの改宗
こういうイタリア絵画を見るとバロックだという感じはわかる。



フェルメールとカメラ・オブスキュラ    投稿日:2003年10月 5日(日)

調べてみると、写真機のようなものと書いたのはカメラ・オブスキュラという。
フェルメールの時代には、すでに携帯用のレンズ付きカメラ・オブスキュラがあった。
スピノザはレンズ磨きで生計を立てていた。
フェルメールの作品のボケは、確かに針孔写真機のものではなくレンズ付の写真機のものだ。
それを見て描いているようだ。ピントをぼかしたレンズで見た映像。確かに細部を全て描けるわけではない。それをどのように省略するか。ゴヤ、ベラスケス的な省略法ではなく、CGのような描き方をしている。一々ぼけたレンズを通して描いたのだろうか。当時の最新技術(技術の眼、理性の眼:顕微鏡、望遠鏡)を使って描いている。そこに現代的な新しさを感じるのだろうか。変なやり方に見えるが、当時の最先端技術、現代で言えばCGを使っているようなものか。
 ・水差しを持つ女
しかし、上記に書いたように構図にその写真機を使ったとは思われない(ルネサンス期の画家で使っていた人はいるみたいだが)。
 ・フェルメール全作品36点



そしてニュートン、17世紀    投稿日:2003年10月 5日(日)

レンズといえば、望遠鏡(顕微鏡も当時発明されていた)。
ガリレオ(1564〜1642年)
ケプラー(1571〜1630年)
ニュートン(1642年〜1727年)の時代が近づいている(フェルメール(1632〜75年)と生年にさほど差は無い)。ちなみにニュートン力学は、1664年頃に考えはじめ、研究を中断、1680年頃から再開、微分積分法を発見、『プリンキピア』を著し出版(1687)。
やはり、17世紀はすごい時代だ。
レンブラント(1609〜1669年)、フェルメール(1632〜75年)、デカルト(1596〜1650年)、スピノザ(1632〜77年)、ガリレオ(1564〜1642年)、ケプラー(1571〜1630年)、ニュートン(1642年〜1727年)が活躍した時代。
「天才の時代」よく言ったものだ。「古典主義の時代の始り」もうなずける(芸術史では「バロック」、よくわからない。こういう観点からでは時代を表していない。バッハ(1685〜1750年)は17世紀にまたがるが活躍は18世紀)。その後の18世紀は啓蒙主義の時代、「理性信仰」もうなずける。

当時の日本の芸術家と比較、
長谷川等伯(1539〜1610年)、俵屋宗達(?-1640年)、本阿弥光悦(1558〜1637年)、尾形光琳(1658〜1716年)



理性の時代へ    投稿日:2003年10月 5日(日)

ルネサンスの時代から17世紀までは、
写真的な透視画法、カメラ・オブスキュラ、望遠鏡(顕微鏡)、そして幾何学にべースにおいた哲学
全て視覚に関係がある(バッハ=音楽は遅れた※※※)。
絵画※から数学・物理学(自然科学)へ※※。
そして、理性概念(カント、哲学はいつも後付けだ)の誕生、理性の時代へ。

※上記「レオナルドとミケランジェロ」(10月 2日)に書いた、レオナルドまた「絵画」の価値はこのように後世に現れる。
※※このような観点からだと、オランダの画家達、澄み切った「透明な世界」、その代表的な画家としてのフェルメールはもっと評価されないといけないかもしれない(場合によるとレンブラント以上に)。近代のキー概念としての「透明性」、理性につながる概念。バロックという見方が邪魔になってくる。
※※※バッハも、数学(理性)という観点で考えるべきで(上記「バッハ」(9月28日)参照)、同様にバロックという見方が邪魔になる。



写真機以前、写真機以降    投稿日:2003年10月 6日(月)

というテーマで書き始めたつもりだが、
フェルメールをどう処理するか、
彼は、実は写真機以降の作家だったのかもしれない。
だから新しく感じるのかもしれない。
「フェルメールとスピノザ」、今回は書けなかった。



彩色    投稿日:2003年10月11日(土)

古代ギリシアの彫刻は彩色していたとか、パルテノンも極彩色だったとか。
ルネサンスの彫刻家は、色がはげた古代ギリシア彫刻を見たせいか、無彩色。
ルネサンス?以降、彫刻に色を塗らなくなった。

デッサンと彩色。
いつも不思議に思うのは、デッサンを下地に彩色。しかし、完全なデッサンをした後、それを消す形で、色を塗る。この(上塗りで消去していく)感覚は耐えられない。
レオナルドの作品で、完全なデッサンをしたために彩色しなかった(できなかった)作品がある(単にこのデッサン以上に彩色できる自信が無かったのかもしれないが)。
それゆえそれ以降は、デッサンを細部まで完成させずに彩色に入ったと思われる。
結局、デッサンは彩色前の下地では無く一個の独立した芸術、別の芸術のような気がする。ルネサンスの無彩色の彫刻。これは(彩色しない方が)近代的な感覚。また、(彩色前の下地としてではなく)デッサン自体も芸術として認める感覚も。これも現代的感覚かもしれない。

レオナルドのその後、この一件からか(彩色できなかったことをすごく恥ずかしいと思ったのか)、完璧なデッサン以上の彩色作品ができるようになった(そう努力したというべきか)。
デッサンより彩色が劣る時期、そして上回る時期。そうでないと彩色ができない作家になる。
そう考えると、古代ギリシア彫刻は、どうだったのだろう。完璧な無彩色の彫刻。そして彩色。本当に無彩色の彫刻の迫力を超えられたのだろうか(極彩色パルテノンもどうだったのだろうか。宇治の平等院、最も好きな作品だが、これも極彩色だった。コルビュジェの作品、当初は無彩色に近いが、彩色されていく。サヴォワ邸などは彩色されている。無彩色よりも良いかも)。

運慶の彫刻。無著世親像などはガラス玉の眼を入れている。これは平安末期の京都の作家に見られない特徴らしい。当然、古代ギリシアの彩色彫刻でもそこまではやらなかっただろう。
この感覚は、新しい。生き生きと感じる。
代表作の東大寺南大門の仁王像(1203年 ミケランジェロのダビデ1504年完※よりも300年も前、7月24日勧進上人重源の沙汰、完成10月3日。2ヶ月あまり)。運慶、すごい人だと思う(奈良文化財研究所の学報)。




ボッシュ(1450頃-1516頃)    投稿日:2003年10月11日(土)

ボッシュ(1450頃-1516頃)
この作家、ルネサンスとは思わなかった(プラド美術館の中世画の部屋にあったような気がする)。レオナルド(1452-1519)とほぼ同時期に活動か。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/B/Bosch/Bosch.htm
プラド美術館にありますが、さほど実物とイメージの差は無かった。絵(シニフィアン)というより物語(シニフィエ)を見ているせいか※。
モナリザのように、ルネサンス期はシニフィエを否定していない(新しいシニフィエを求めているといった方が良いか)。
18世紀の新古典主義の時代は、(古代の憧憬という強い思い、また想像力による)シニフィエの存在を強く感じない(古代ギリシアが見られるようになった。「古代ギリシア・ルネサンス・グリークリバイバル・モダニズム」(3月29日)参照)。すでにシニフィアンの戯れに(古代の復元のようなもの)。

※結局、現代に近づけば近づくほど、シニフィエ(意味)よりもシニフィアン(色と形)を見ているということか。実物とコピーの差を感じる。特に色は全く違う。しかし、色は時間がたつと退色はやむをえない(その点、セラミックは強い)。光琳の「紅白梅図屏風」の退色問題、結局最初がどうだったのか不明。現在のイメージとまったく違った可能性がある。



クロード・ロラン(1600-1682) 17世紀    投稿日:2003年10月11日(土)

17世紀、バロック、古典主義。
フランス古典主義を成立させた。
この作家で、古典主義がわかる(古代ギリシア・ローマへの憧憬)。
レンブラント(1609〜1669年)とほぼ同時期の活動か。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/L/Lorrain/Lorrain.htm



パラディオ(1508-1580)    投稿日:2003年10月11日(土)

ロラン(1600-1682)を見ると、パラディオ(1508-1580)を連想するが、100年程度ずれがある。パラディオは、ミケランジェロ(1475-1564)と重なっている。しかし、彼はすでにマニエリズムの時代の人。
http://www.fujiso.com/pa1hp/pa1.html
http://www.fujiso.com/pa2hp/pa2.html
http://www.fujiso.com/pa3hp/pa3.html
http://www.fujiso.com/pa4hp/pa4.html
http://www.fujiso.com/pa5hp/pa5.html
http://www.fujiso.com/pa6hp/pa6.html
ポストモダンの時代にすごく流行った人。
ロシアフォルマリズムとパラディオが流行った。
シニフィエからシニフィアンへ、表層の戯れ。
本当に浮ついた時代「バブル」のシンボルになってしまった。
落ち着いて、再考しなければ。

実物を見てきました。
マニエリズムの時代のものは抵抗があったが、すごく良かった。建築的には面白く、迫力を感じた。イメージが変わった。



モナリザの謎 1    投稿日:2003年10月11日(土)

レオナルドが一生涯、手を入れ続けたというか、身近においておいた理由が、実物を見て、わかったような気がした。すごい。これは一体何なのだろうか、しかし未だにわからない。永遠の謎。シニフィアン絵画ではない。シニフィエの存在。この辺が近代絵画と違う。シニフィエを否定していない。
写真機以前であり、シニフィエの時代の人。しかしキリスト教シニフィエではない。いわゆる神=シニフィエではない。
シニフィアンの究極の探求というよりも、シニフィエの探求。この点が、近代絵画と大きく違う。近代絵画は、シニフィアンの探求だ※。

しかし、この絵画、モデルは究極の存在とは一見思えないが、一体何を求めたのか。
それもレオナルドの後半生の時間をかけて一体何を求めたのか(ゲーテのファーストに匹敵しうるものなのか)。
そこが永遠の謎。
しかし、実物を見て感じる(実物を見てしかわからない)、すごい何かがある。
恐らく写真では表現できず、絵でしか表現できない何か。
こういう絵を見ると、写真は絵を乗越えられないと感じる。


※こういう絵画を見ると、(フェルメール以降かもしれないが)近代絵画に弱さを感じてしまう。シニフィアンの探求だけで、シニフィエの探求がされていない。それが弱さに通ずる。中世までのシニフィエでないシニフィエの探求。それは当然あってしかるべきだが。



モナリザの謎 2    投稿日:2003年10月12日(日)

モナリザは、「人間とは」に答えようとした。
結局、ルネサンス人にとって究極の存在は「人間」。
そこが、ルネサンスの時代精神の核、可能性の中心だった(「人間中心主義」※)。それに答えようとした。
そう考えると、腑に落ちるが、
しかし、これはきれい過ぎる結論。

また、そうなると、(制作年月日はモナリザよりも後の)洗礼者ヨハネは、彼の人生にとって蛇足、迷いになってしまう。
実は、このヨハネのほうが、モナリザよりもっと不思議な存在。


※「人間中心主義」の基準。「人間が万物の尺度」、そこからデカルトの「我思う我あり」は、至近距離、つまり「私が万物の尺度」。



モナリザの謎 3    投稿日:2003年10月13日(月)

モナリザ、それ以上に、 この洗礼者ヨハネと、フェルメールの絵画1とを比較するのは面白い。この違い。ルネサンスのシニフィエと、既に近代に入りつつある時代のシニフィエとの違い。
ルネサンス人の濃密な、「人間」または「人間とは」に対する思い(シニフィエ)が伝わってくる。分厚いシニフィエ、軽快なシニフィエの違い。
しかし、フェルメールの方、シニフィエの軽快さに現代性を感じてしまう。



モナリザの謎 4    投稿日:2003年10月13日(月)

人間について、不透明な時代(いや、可能性に満ちた時代)
          透明な時代 (可能性が限定された時代)
デカルトにより、カントによって最も限定、そしてヘーゲルによってまた可能性の拡大。
しかし、時代と共に、限定されていったことには変わりが無い。
レオナルドの時代、そういう意味で、(人間の)可能性に満ち溢れていた。
それゆえの不透明さ、分厚さ。
フェルメールの透明さは、既に近代に入りつつあることを表している※。


※デカルト後の人。デカルト(1596〜1650年)、フェルメール(1632〜75年)、デカルトも1628年にフェルメールのオランダに移り住み1649年までオランダの中で転々としている。上記「フェルメールと17世紀のオランダ」(投稿日2003年10月4日)参照。
デカルトの理性は、特に幾何学に、またこの時代は光学の発展した時代(上記参照)でもあり、数学(幾何学)的、光学的(視覚的)な透明さと言っても良いか。



モナリザの謎 5    投稿日:2003年10月13日(月)

分厚い不透明さ、ルネサンスの時代には存在していた。
それが、時代と共に徐々に、軽快な(薄っぺらな)透明さに。
近代化とは、このように人間を(科学的に)分析解剖して、透明な存在、いや薄っぺらな存在にしていく過程。
わずか400年程度で、そのような存在に。
本当にそのような存在なのかどうかは実にあやしいのだが。

モナリザを見て感じる凄さは、その人間存在の(本来の)分厚さ不透明さを感じることができる(現代という時間の中で唯一に近い)体験なのかもしれない。



モナリザの謎 6    投稿日:2003年10月13日(月)

上記の話、またきれい過ぎたかもしれない。
一番一般的な見解、レオナルドは、女性、それも究極の女性を・・・(それは当然入るだろうが)。
しかし、この話、ニーチェの女性論、真理論を参照すれば、面白い※。
そうなると、女性というより、モナリザは、レオナルドの「真理」に対する思いを描いた。レオナルドは、モナリザで「真理」を象徴した。ということにもなる。
そう考えると、「真理」の基準、万物の尺度としての「人間」。ルネサンスの時代精神の核、可能性の中心だった(「人間中心主義」の)「人間」、それを描いた話につながる。


※デリダの「尖筆とエクリチュール」参照。



モナリザの謎 7    投稿日:2003年10月13日(月)

ここで、やはり、ラファエロの「アテネの学堂」(1510〜11)にゆかざるを得ない。
ここでのプラトンは、レオナルドをモデルにしたといわれている。
レオナルド自画像(1511)参照。「アテネの学堂」(1510〜11)は、この自画像(1511)の制作時期とほぼ同じ。この自画像はモナリザ(1503-1506)と洗礼者ヨハネ(1513-16)の間に描かれている。このヨハネはレオナルド(1452〜1519)最晩年の作。それにしてはこのヨハネ、なまめかしすぎる。)
このラファエロの「アテネの学堂」は、ルネサンス精神を、最もよく表している。
「万物の尺度」としての「人間」を、レオナルドをモデルにして描ききっている。

そして、実は、モナリザもレオナルドが自分自身をモデルにしているという説がある。



モナリザの謎 8    投稿日:2003年10月15日(水)

ルネサンス時代の自然科学者、エンジニア、発明家、そして芸術家。
自然科学者、エンジニアをやっていると、知らず知らずに人間を物的に観察している。
医学の友人の話を聞いたときも、全て化学用語で人体を説明してくれる(そばで聞いていればそれが人間の肉体の話とは誰も思わなかっただろう)。
人の死に立ち会ったときも、もう時間の問題であることを化学用語で説明してくれた。
確かにそれが肉親に近い場合には、感情がこの説明でなぜか抑制された(いいかどうかわからないが)。
死体を何十体も解剖したレオナルド、そのような眼差し、それも非常に鍛えられた客観的な眼差しをもっていただろう。
そういう眼をもったレオナルドが、ひとたび芸術家の眼になったとき、どういう意識が作用するのだろうか。



モナリザの謎 9    投稿日:2003年10月15日(水)

自然科学、友人の医学者もそうだが、やればやるだけ不思議な世界に出会う。結局、現在の自然科学がわかっているのは、ほんのかけら。
(そういう体験を通した後において)芸術といった場合、対象は、このような、自然科学(彼の場合「工学」に近いが)では解き明かせぬもの、より不可知な領域に向かう。
それゆえ、芸術家レオナルドの眼差しは、「存在」特に「人間存在」の分厚さ※を射抜く眼差しになった。
そう考えたいが、事実はどうでだったであろうか。

※下記「モナリザの謎(10)」参照



モナリザの謎 10    投稿日:2003年10月15日(水)

ルネサンスの、「存在」の未分化ゆえの不透明なる分厚さは、全ては捨象されていない(包含されている)ゆえの分厚さ。フーコーの見解(「言葉と物」)とは一見に異にするようにみえるが、次の17世紀の古典主義の時代の「透明さ」(フェルメールの時代)を考えれば納得か。しかしフーコーのルネサンスの説明は非常に面白くない。

結局、ニーチェの登場によって暗示される現代のエピステーメーの大亀裂は、この分厚い不透明な「存在」への回帰か(希望的すぎるか)。16世紀には持ちえていた、このような(分厚い不透明な)「存在」が希薄化していく過程が近代化(古典主義時代を経由しての近代化)。

「存在」をといった場合、唯一所有していたいのがこのモナリザ。僕も(レオナルドと)変わらない気持ちになる。



モナリザの謎 11    投稿日:2003年10月16日(木)

存在の不透明なる分厚さ、捨象されていない(包含されている)ゆえの分厚さについて
・ニーチェの「デュオニソス」
・フーコーの「狂気」※
・ハイデッガーの「存在」
といっているものに相当するか。

フーコーの「言葉と物」が、なぜルネサンスの終わりから書き始めているのか、なぜ中世の終わりからでないのか。今回書いていたわかったような気がする。
レオナルドの晩年(モナリザの制作時期)は、ルネサンスの終わりに差し掛かりつつある。モナリザとフェルメール絵画との対比はルネサンスの終わりと古典主義の時代の対比に丁度なるか。しかし、フーコーはこういう対比はしていない。
フーコーがあげている古典主義の時代の絵画の代表はベラスケス(1599〜1660)の「ラス・メニーナス
フーコーの「ラス・メニーナス」の説明は、古典主義の時代をわかりにくくしているような気もする。
フーコーの「言葉と物」における舞台は、フランスの歴史。突然スペインの話に飛ぶのは。またレオナルドの同時代人がスペインではボッシュ(やはり分類はゴシックに入れられていた)、その次の時代のベラスケスを古典主義の時代の代表としてあげるのはいかがなものか。


※「モナリザの謎 12」参照



モナリザの謎 12    投稿日:2003年10月17日(金)

フーコーの「狂気」について
ルネサンス以降の古典主義の時代(「理性の時代」の始まり)から、狂気の分離が行われるようになった(理性の欠如者として、社会からの分離)。
「精神疾患と心理学」(1954)そして「(古典主義の時代における)狂気の歴史」(1961)の続編が「言葉と物」(1966)、フーコーのキーワードに「狂気」がある。「理性」の対語、非理性、言うまでもなく「無意識」が視野に入っている。

構造主義と「無意識」
このように、構造主義のキー概念に「無意識」がある。構造主義の「構造(=システム)」は「無意識のシステム」を対象にすることが多い。
この「無意識」は、ニーチェの「デュオニソス」に非常に負うところが大きい。どちらかといえばフロイトは批判的対象。
このことは、構造主義だけでなく、ポスト構造主義にも(ポスト構造主義ほど濃厚に、と言えるかもしれない)。

そういう意味で、狂気の分離以前の絵画、特にルネサンス期の絵画。それも理性による「狂気の追放」直前の、(理性が芽生えて)渾然一体の時代のものに興味の対象が。
モナリザ」、例えば、この絵画は、左と右とで視点がずれている(顔だけでなく、背景も、背景は右と左で別々の世界か)。(このように数学的=透視画法的におかしいだけでなく)見れば見るほど不思議(変な)絵画。決して、(理性時代の)理性的に割り切った絵画ではない。



















実存と構造    投稿日:2003年10月26日(日)

久しぶりにメルロ・ポンティを読んだ。
「実存」という概念、久々だった。
この概念は、ニーチェから来ている。
同じニーチェアンのドゥルーズ、フーコー、デリダと遠く隔たっている。
ポンティ、サルトルとドゥルーズ、フーコー、デリダとの間に、構造主義がある。
ドゥルーズ、フーコー、デリダらは構造主義を経ている。

「実存」という概念、「構造」という概念。
特に、「構造」=システム(共時的、通時的)という概念だけでなく、無意識の「構造」というものの付加は、大きい。

芸術家の論理として、「実存」と「構造」どちらが大事か。
それは、「実存」かもしれないが、何のベースもない「実存」は大変。
そういう意味で、「構造」は力になる(ベースになる。またベースの分析になる)。
しかし、「構造」※ばっかりやっていると、超え出る力を失う。そういう意味での「実存」は重要。



構造    投稿日:2003年10月26日(日)

「構造」と言った場合、「無意識のシステム」に視点が移り、そして「無意識のシステム」としての「リゾーム構造」を出した瞬間、主義としての「構造」は、霧散霧消してしまった感がある。
広義の「構造」といった場合、もっと堅固な(数学のような)システムある(恐らくこれが伝統的な「理性観」だろう)。多くの場合こちらの方によっている場合が多い。
もう一つ「構造」と言った場合、共時、通時があるが、ソシュールに源を発する「構造主義」では「共時」の方で、「通時」ではない。フーコーのように、通時的には「共時の構造」は不連続になる。歴史の不連続性を強調する※。
時代の境目に生きている場合、このような歴史の不連続を強調するだけの構造主義は何の役にも立たない(それをわかっているフーコーは「言葉と物」の最後の下りで(構造主義を逸脱し)黙示録的になる)。


※まず、直線的歴史観を捨てている。中世の人(末期の人は別にして)がルネサンス以降の近代を予測しえたであろうか。古代ローマ(盛期)の人が、中世を予測しえたであろうか。
近代社会だけを見ても、新しい「発見(システムの基盤となる核の発見)」が、時代の(共時)システム(エピステーメー、パラダイム)を構築しなおす、という考え方がある。そのために未来は予測不可能になる。



構造と創造と実存    投稿日:2003年10月27日(月)

結局、「創造」と言った場合、過去の概念を破壊し、創造すること。最大の創造とは、過去の「構造(エピステーメー、パラダイム)」概念の破壊し、創造することかもしれない。そう考えたら歴史は不連続になるに決まっている。 ニーチェ曰く、「人間」とは「超え出る存在」=「実存」とするなら、そうなる。



自然科学・直観・理性    投稿日:2003年11月 1日(土)

自然科学の発展は、常に、人間の直観(発見)の数値化・方程式化であった。
人間の直観を、方程式化するのに凄く時間がかかる。また現在の数学水準では、方程式がない場合もある。また方程式が作れても解けない場合もある。また解けたとしてもその解が正しいかどうかの検証に多大な時間がかかる。このように、方程式が作れること、解けること、そしてその検証、その3つがないと、自然科学は発展しない。そのために膨大な時間がかかる。
具体的な例でいえば、
私達の免震も世の中に運動方程式が無かった。運動方程式を作り出した。そしてそれを解いた(コンピューターで無理やり解く手もある)。またさらにその方程式また解が正しいかどうかの検証に凄く時間がかかった(実大実験で地震波を1000波近くいれた)。私の40歳台後半はそのために費やされた。
このように自然科学のやり方は凄く時間がかかる。
それを一歩一歩やっていく。それでは(東海地震等のいつ来てもおかしくない)大地震に間に合わない。地震は待ってくれない。そのため、 今回のやり方は、自然科学の方法と人間の直観と両方を使用している(そして徐々にその直観を数値化しつつある。しかし、人間の直観の、方程式化・数値化には膨大な時間がかかる。これはコンピューターの処理スピードの問題ではない。いくつ人生があっても足りない。1000歳くらい欲しい。これが実感)。
そういう意味で、「人間の直観」そして「理性」を疑ってはいない。
ただ、近代以降の「理性」≒数学(幾何学)ベース(透明な理性)、とはかなり感じは違う。これからの人間の直観は無意識に大きく依存していくであろう。



人文科学・直観・理性    投稿日:2003年11月 1日(土)

恐らく、人文科学という概念があるとするなら、この「直観」方法と差はない。
「人文科学」と「自然科学」の直観方法に差はないと思っている。
恐らく、(人文科学また自然科学の両方に使用できる直観方法)それが「理性」概念に一番近い。
しかし、「人文科学」に使用する直観の検証は、自然科学の比ではない。何百年、何千年か。これは自然現象における実験のように人工的に実験が出来ないためだ(時間の圧縮が出来ない)。そのために検証に恐ろしく時間がかかる。しかし、検証に関してはそれにゆだねるしか方法がない。
ただ、直観方法には差はないと思う。



夢・直観・理性    投稿日:2003年11月 1日(土)

夢の中でのように思考する。
夢の中では多くの発見、発明、デザイン、(当然、多くの思考)をする。
起きてそれを書き留める。起きている時間では、ただそれだけをやっている可能性がある(無意識下で)。
起きている時間は、ただ、夢の記憶を呼び起こすこと(またそれの定着)だけに費やされている可能性がある(それを「直観」と称している可能性がある)。
「我思うゆえに我あり」なんてとんでもない。
起きている時間において(いや起きている時間だけで、それを契機として)、どれだけ絶対的なるもの(=理性)に到達できるというのだろうか、相当に疑問だと思っていた(夢の記憶を呼び起こすことによって、それをきっかけとしてはありうる)。
夢の中での活動だけが、「我あり」(また「本来の我あり」)につながる可能性がある。
人はなぜ眠るのか。ずーと疑問だった。
ずーと起きぱなしの体験もした。結局、思考停止状態、真っ白状態に陥るだけで、何の意味も無かった。逆に眠ることの大切さを理解・体得できた。
夢の中では(思考構造は特に)自由だ。何の拘束もない。しかも純粋だ。その上に超高速だ。
そういう状態を、起きている時間においてどれだけ長く持続できるか。
それが(若い時からの)課題だった。
結局、夢は宝庫だ。直観・理性の宝庫だ。
ただ、寝てばっかりいては実際の(定着)作業はできないし、宝庫なる夢への(大量の情報の)インプットもできないが。

夢が、大地に繋がる(ニーチェ)、他者に繋がる(ラカン)。それは実感できる時が多い。



直観・理性・夢(無意識)    投稿日:2003年11月 2日(日)

結局、人間の可能性の問題。
森羅万象(のその原理)を知り得る能力は、人間には与えられている可能性はある。
 自然科学は、外界の自然一般。
 人文科学は、(自己も当然だが)他者問題から社会一般。
  この他者問題は、近代(近世)以降の概念らしい。それ以前は他者といった場合は、絶対他者=神だった。それも入るかもしれないが。
その知り得る能力が、「直観」。
当然、最初は感性(情報の入口・センサー)。それを鍛えること(まず自分を偽らぬこと。自分に正確であること。そしてこのようにして自分(の判断)に自信をもてること、そして、外界の情報を正確にキャッチできること)。
そして、それら(の情報)の総合判断(個々の分析判断を通しての)。
総合判断が、一番難しい。いろいろな正しい情報・知識がベースになるが、あまりにも間違った情報知識が多い。「懐疑」それが重要。全て疑ってかかる。そして正しい情報・知識だけを選択する。
ここで、自分の固定観念等が一番問題になる。固定観念を持たないこと。先入観を持たないこと。それが「懐疑」の基本かもしれない(固定観念が知らず知らずに白黒の判断を決定している。非常に危ない)。
「自由」な思考とは、この固定観念(完璧に検証されていない判断にもかかわらず、正しいと思ってしまっている判断。似非形而上学=似非宗教=**主義は一番問題※)の撲滅かもしれない※※。
「直観」といった場合、この固定観念、また天からの啓示みたいなものに、惑わされやすい。一番危険※※※。
いかに、ずーと「直観」に恵まれるか。それは、この「自由」=「心の自然状態」にかかっているといっても良い。
そして「心の自然状態」が得られるのが、起きている時間よりも、寝ている時間(自己に正直な時間)の方が得やすい(寝方にも問題があるが)。
そして「夢」=無意識となる。
夢が、大地に繋がる(ニーチェ)、他者に繋がる(ラカン)、万物そして宇宙と繋がる(プラトニズム)。もしそうだとするなら、これを使わない手はない。このことは実感している。


※自分が完成されていない間は、近づかないことが一番。
※※哲学の意味はこの辺にある。「外(から)の思考」ができること。自分の時代・社会の外からの思考ができること。時代・社会を超えるというよりも、通時性・共時性における客観性に近いか。
※※※デカルトはこの辺の注意をたくさん書いている。



大脳(旧皮質・新皮質)・直観・理性    投稿日:2003年11月13日(木)

万物そして宇宙と繋がり、それを判断するのは大脳、それも大部分が旧皮質(古皮質)で、新皮質はほんのわずか。
その大脳を生かすこと。旧皮質のベースと新皮質、それらのコンビネーション。
旧皮質は、何億年かの歴史を持っている。新皮質は数百万年か。
その旧皮質を無視するような「直観」「理性」は無い。
夢また無意識はその(旧皮質の情報の新皮質への)橋渡しか。
「夢が、大地に繋がる(ニーチェ)」とはそういう意味か。
「万物そして宇宙と繋がる」と考えれば、プラトニズムか。



思考法について    投稿日:2003年11月13日(木)

ここで、最も基本的な話、思考法について。

論理的思考が大事なのではない。
「直観」を増す思考法が大事なのだ。
それには、心の自然状態、自由な思考が大事なのだ。
それは決して、自然な思考を矯正した思考法(論理的と言われている思考法)ではない。



大学・知    投稿日:2003年11月23日(日)

最近、毎日のように、数十人の人と合う。
昨日は、久しぶりに大学の先生と会った。
「乞食は3日やったら、大学教授は1日やったらやめられない」と先輩が大学に職を探しているときによく言っていたが、
そんなことを思い出してしまった。
なぜ、この世界には競争原理が働かないのだろうか。
知識集約型社会の、本来は核の役割を果たすはずだが、機能していない。
「大学教授は1日やったらやめたくなる」くらいの知的競争原理が働けばと思うが、(教授にさえなれば、一生の安泰さが保証される)永久就職の場だ。
生きるに疲れたら(食うに困ったら)、大学教授とは言わないが。
そういう先生も多いが、本当に激しく頑張ってらっしゃる先生も多い。

数年程度のテーマ、一つの時代のテーマ、数百年程度のテーマ、永遠のテーマ等の、テーマにも大から小まであるが、大学は、民間企業ではできない大テーマに臨んでもらいたいが、それと悠長な時間感覚、また時代遅れを感じさせる情報摂取とは違う。時間がこの世界では止まっているという感じを持ってしまうのは大問題だ。この人たちは、時代から遅れていると感じさせるのはさらに大問題だ。
僕の(専門としていない分野の)蔵書と専門の先生の蔵書が同じレベルでは困る(インターネットのため確かに本は減ったが、プリントアウトしたものは大幅に増えた)。またコンピーターも一時代前のコンピーターが並んでいるようでは困る。最新の設備は全く無いようでは。
数年前かもっと前かの新聞に、理工系の学生は、学部卒業の後、大学院にゆかなくなり、民間の研究所にゆくという話が載っていたが、確かに研究する環境面ではそうだと思う。
本来の大学の、特に大学院に残る意味は、フィロソフィー(ドクター)※だったが、現状ではよりそうならざるを得ないか。フィロソフィー傾斜。物質的な研究環境が不十分なためそうならざるを得ない。困ったことだが、これは民間では出来ないことだ。しかし、より現代社会と乖離していくのでは困る。

何か、(大学という環境に)多くの問題を感じた数時間だった。


※フィロソフィードクター=Ph.D=博士号、というより、「外の思考」ができること。その時代のエピステーメー・パラダイムから外部の思考ができること。それが真の客観性か。



大学・知 2    投稿日:2003年11月24日(月)

学生から大学院、助手、助教授、教授、生え抜き主義。
学生時代と変わらない思考では? 一回外部(社会)に出て、そして戻ってくる。それが必要。
建築家安藤忠雄が東大教授になった。
彼は、東大出ではない。大学も出ていない。
しかし、東大教授になった。
その点、(外部の血・知を求めた)東大はえらいと思う。西部氏たちが東大をやめた頃と変わったのかな。



大学・知 3    投稿日:2003年11月24日(月)

学生時代と変わらない思考では、と思ったのは、
僕らの学生時代は、
高度経済成長(もう終わりかけていたが)、そしてマルクス主義だった。
そして時代は、
縮小経済、そしてポストマルクス主義というよりポスト構造主義の時代。
大きくかけ離れてしまっている。

僕らの世代(現在の、教授・助教授世代)にとって、不幸なのは(幸福なのは)、大きく二つの時代にまたがっていることだ。
マルクス主義時代とその崩壊。
成長経済社会とその崩壊。
学生時代から30歳代くらいまでの考え方が、大きく崩壊して、40歳代そして50歳代を迎えている。そして、もっと実質的な意味では、コンピーター社会の到来。
40歳代後半から、パーソナルコンピーター(ウィンドウズ)の普及、インターネットの時代(携帯電話も入るか)、これの方が(長期的には(情報・知的)インフラの)大革命かもしれないが。

それに大学の「知」(また環境)が追いついていない。



大学・知 4    投稿日:2003年11月24日(月)

技術とか機械というものは人間の能力の延長物だ。
そういう意味で、コンピューター等の情報革命は、人間の「知」の能力の延長物の革命だ。
これを有意義に発展活用しないと。
人間の本来思考構造は「ツリー」ではない※。後天的に矯正された結果だ。
そういう意味で、「ツリー」でない思考を活性化するコンピーター※※は大いに有意義だ。


※夢とか無意識がその典型か。蜘蛛の巣状とか、セミ・ラティスとか、リゾームとか、横断性とか、接木とか、ゲリラ的とか、いろいろ言われるが、いろんなところに速やかに接合・ジャンプする能力か。
※※「ツリー」でない思考を活性化し、ツリー的な整理にも役立つ、両方の機能をもたせることは可能。



大学・知 5    投稿日:2003年11月24日(月)

恐らく将来、ツリー的な組織は、ツリー構造だけの組織は特に、(競争力という点からも)解体するだろう。
そういう意味で、大学も、ツリー的な学問体系から脱しないと、時代に対応できなくなる。
時代は、イノベーション(創造)の加速に向かう。また物質依存を脱した創造に向かう(より地球資源を使わない方向か)。
イノベーション(創造)は、ツリー思考ではない。より無意識の構造に近い。



ツリー構造 (知 6 )    投稿日:2003年11月24日(月)

ツリー構造※は、掘り下げるには、有用な方法。
サーチとリサーチとは違うと、よく言われる。
ツリー構造はリサーチ(分析)の方法。サーチ(創造)の方法ではない。
しかし、真にリサーチするときも、ツリー構造だけには頼っていない。「全体」はツリー構造によって捉えられない場合が多い。

※一番分かりやすいのは、系統樹(言語による価値のヒエラルキーが入る)、軍隊の指令系統。



ツリー構造 2 (知 7 )    投稿日:2003年11月24日(月)

学生時代、研究はリサーチだといわれて、この思考法に転換したときがあった※。
この思考を続けると、頭の硬直化をもたらす。
自由な発想は、正反対だ。
自由なジャンプ、接合だ。
単純作業は機械にやらせればよい。機械でもできるし、格別に人間のやる作業ではない。

これを長く続けていると、取り返しがつかなくなる。人を駄目にしてしまう。
はやく、この思考法から脱出することだ。
組織も同じだ。硬直化に向かい、競争力を失い、滅びてしまう。



ツリー構造 3 (知 8 )    投稿日:2003年11月24日(月)

サーチ(創造)といった場合、無限のバリエーションの中から、最適解を見つけ出すこと。
これをツリー的にやったら、すさまじい時間がかかる。
現代では、ツリー的に無限のバリエーションの中から最適解を、コンピューターにやらせる手はある。
しかし、人間がこの方法でやったら、機械(コンピューター)に負ける。機械の時代になるだろう。人間の頭脳を機械(コンピューター)に任せることになる。
人間は機械に負ける運命なのだろうか。



ツリー構造 4 (知 9 )    投稿日:2003年11月24日(月)

自然界は人間が考えるほど単純ではない(しかし、単純化しないと人間は考えられない)。
理想的には、自然を(当然人間もは本当は複雑怪奇なものだが)、そのまま捉えられること。
しかし、人間にはその能力が与えられていない(自分自身を把握することさえも)。そのため一個一個単純化して考えていく。
その過程で、自分自身までも単純化していく(知らず知らず単純化されていく)。
自分の中の未分化なものを(既成の)言葉で表していく※=単純化。
そういう作業を「成長」という時間の中で繰り返していく。次第に時間と共につまらない自己が形成されていく。自分自身が、既成の概念で整理されていく※。なんと言う、恐ろしい作業だろうか。

思考法を型に嵌める。それは、自分の独自の発展を阻害するという意味で、恐ろしいことだ。
個々の情報が型に嵌っていく現状の中で、さらに、思考法までもが型に嵌る。
それは、成長と共に、一切の可能性がなくなっていくことを意味する(歳を重ねるごとにつまらない人間が増えていく)。
それを早くやめること。


※下記「ツリー構造5(知10)」参照。



ツリー構造 5 (知 10 )    投稿日:2003年11月24日(月)

無意識までもが、言語化される(ラカン)※。型に嵌った言語で、既成の概念で、自分の大脳、無意識までもが構造化される。これが一番恐ろしいことかもしれない。
そのために「言語」で考えない。言語構造で考えない。「視覚」でしか考えない(言葉で記憶しない=音声そのもので記憶する)※※※。ルネサンス革命の意味もこの点で考える必要がある※※。それは生かされていない。

※言語は意味・価値にヒエラルキー化されてしまう。
※※中世的神からのヒエラルキー呪縛(=意味=言葉の呪縛)から脱すること。自然そのものへ。
※※※シニフィエからシニフィアンというより、「意味」と結びつけずに記憶する。



ツリー構造 6 (知 11 )    投稿日:2003年11月29日(土)

(「人間は」といいたいが、他の人の頭の中を知らない、だから「僕は」となってしまうが)言語で考えていないことは確かだ。
「視覚」というのとも実は違う。
言葉を知らない幼少期の記憶のように、映像(シニフィアン)で大抵記憶していることは確かだが。
言葉(シニフィエ)などではほとんど記憶していない。
そのためか、ヒラメキ(直観)は、決して言葉(シニフィエ)でなく、映像(シニフィアン)が多いが、映像でないときも多い。その場合は、(霊感的な)感情としか言いようが無い。
ニーチェの「力の意志」の翻訳となった「衝動、情動、パトス」※に近いか。
「力の意志」と「爆発」(2003年 8月20日) 参照
感情を殺したような「理性」とは違う。
だから、(自然を解き明かす)「直観」=「力の意志」=「(豊かな感情に満ち溢れた)理性」≠「(感情を殺した)理性」となるか。
この「理性」という難しい概念、誰もが体験しにくい概念。
言い換えればで、感情を殺した「数学」ではなく、豊かな感情に満ち溢れた活性化した「数学」(もっとわかりにくくなってしまったか)。
さらに言えば、自然の神秘を解き明かす「直観」「理性」というものは、感情(感性)豊かな世界の後にしかこないということ。それを前提としているということ。
それは、与えられた(既成の)概念(シニフィエ)などによってではなく、与えられるというより、能動的に発見していくことによってしか。発見し生み出していくということによってしか。そのためには(意味内容にいたるプロセスを)常に組みなおす必要があり、「シニフィエ」で記憶しておくことは(硬直化をもたらし)致命的であり、「シニフィアン」で記憶する必要があるということ。



ツリー構造 7 (知 12 )    投稿日:2003年12月 2日(火)

中世的シニフィエの呪縛からの脱却、「我思うゆえに我あり」の意味もここにある※。結局、中世的シニフィエの専制に取り込まれないように、だからシニフィアン記憶なのだ。
いつからこのような習慣がついたのか。「意味(シニフィエ)の呪縛」を超えることを思い立った時からか。それが近代人の自覚として。
しかし、デカルトの「我思うゆえに我あり」の自己閉塞を超えること。そして、「他者とのつながり」「大地とのつながり」「万物そして宇宙とのつながり」の維持。そこで、何億年かの歴史を持った(大脳の)旧皮質のベースと新皮質とのコンビネーション。夢・無意識の尊重。且つ、無意識を「(型に嵌った言語で、既成の概念での)言語化」させないこと。何億年かの歴史というシニフィアン記憶をシニフィエに転化しない状態でよみがえらすこと。大脳を「宇宙そのもの」にすること。

※「懐疑」という意味でも良いが、「シニフィアン」状態で記憶し、安易に「シニフィエ」につなげないということ。



近代空間 VS 中世空間 (1)    投稿日:2003年12月 4日(木)

意味※を求めると、ツリー思考=ヒエラルキー思考(垂直思考)になりがちに。

中世空間は、ヒエラルキー空間(意味空間)
近代空間は、均質空間(意味消去空間)
という説明、上段は正しいが、下段はおかしい(説明しきれない)。

中世空間は、シニフィエ空間
近代空間は、シニフィアン空間※※
というほうが正しい。


※意味を求めると、最終的・究極的には、「絶対的意味」に。
※※下記「近代空間 VS 中世空間 (2)」参照



近代空間 VS 中世空間 (2)    投稿日:2003年12月13日(土)

中世空間は、シニフィエ空間
近代空間は、シニフィアン空間
について、
近代空間が「意味(シニフィエ)の宙吊り空間」という解釈自体が、中世的シニフィエの専制支配下。また、意味(シニフィエ)を求めると、「機能」(機能主義)となるのではさびしい。さらに、装飾否定(意味消去)を「装飾→野蛮」という論理(A・ロース)では情けない。そして、近代空間を「意味消去」→「均質空間」※と規定するのでは、(デカルトからの)近代の戦いの意味が全く分かっていないことになる。

※下記「近代空間 VS 中世空間 (3)」参照



近代空間 VS 中世空間 (3)    投稿日:2003年12月13日(土)

「均質空間」という概念規定は、ニュートンの空間概念だけを取り出している。
ニュートンの「均質空間」→「意味消去」と考えると、とんでもない大胆なことを当時ニュートンは言っていることになる。
また、「シニフィエ」「シニフィアン」の概念区分けは、F・ソシュールだが、中世と近代との区分けに使えるほど大胆な概念。このようなエピステーメー概念を記号論のベースにおいている。
これぞ天才二人。一人は自然科学、もう一人は人文科学(人文科学のモデルか。人文領域では、「科学」は成立しないと思っていたら、「この人を見よ」だ)。



近代空間 VS 中世空間 (4)    投稿日:2003年12月13日(土)

ソシュールの「シニフィエ」「シニフィアン」の区分けは、あたりまえのように思うかもしれないが、記号(言葉)とは意味だという観念のほうが強い。ソシュールのこの概念区分けは、「はじめにロゴス(言葉)あり」を大きく超えている。この観念を打ち破ることは近代概念の中核だったかもしれない。
聖書(ヨハネ伝福音書)に「はじめに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき」のように、中世では「言葉は神が作った」と考えていた。
また、「(この宇宙の)はじめに言葉あり」から考えると、ニュートンの空間概念である「均質空間」とは「宇宙の開闢(はじめ)に、意味など無い。均質なる空間が存在するだけ」と言っているようなもの※。

※ここで、ガガ−リンの人類初宇宙飛行時の言葉、「地球は青かった。しかし、宇宙のどこにも神はいなかった。」が思い出されるが、
確かに、このニュートンの「均質空間」によって、中世的空間は破綻させられている。しかし、形而上学的なもの全体が破綻させられたかというと、そうでもない。ニュートンの、万物の運動の絶対真理の発見は、これは神の存在証明に等しいもの。また人間の理性(神に与えられた絶対的な精神)の存在の証明に等しいもの。17世紀では、実は逆に捉えられている。力学計算上、均質であるが、あまねく真理(ニュートンの発見した力学)が宇宙に行き渡っているのだということ。逆に、形而上的世界に対する「存在」の期待を強化したのかもしれない。



近代空間 VS 中世空間 (5)    投稿日:2003年12月14日(日)

西洋の中核概念について、この「ロゴス中心主義」があげられる。
「ロゴス中心主義」とは、簡単に言えば、「最初に神によって意味が与えられている」また「言葉に神が宿る」というようなこと。
ソシュールの「シニフィエ」「シニフィアン」の区分け※によって、これを完全に否定し、一義的関係などないと、関係を相対化している(一義的関係=絶対化されていたものを相対化=任意的関係としている)。
このようなエピステーメー概念※※を、記号論のベース・中核においた。すごいことだ。
近代言語学の始まりという意味は、エピステモロジー的な観点で言えば、ここにある。
ソシュール革命といわれる所以である。

※この区分けができる理由は、一義的に結びつかないためである(シニフィエとシニフィアンとがイコールなら区分けなど必要ない)。任意な結びつきであるためである。
※※シニフィエとシニフィアンの結びつきの相対性と、シニフィエとシニフィアンのこの関係は時代また文明によって(共時的には)結びつきが決まる(任意性)という視点は、「構造主義」の基本的な原理となる。



知 13    投稿日:2003年12月14日(日)

頭が固いか、やわらかいかは、このシニフィアン状態でどれだけ記憶できるかにかかわってくる。
歳をとると頭が固くなることが増えるのは、このシニフィアンをシニフィエにしてしまっているからだ。
現象を意味(シニフィエ)だけで記憶してしまっているからだ。
記憶の間違いが生じるのも、意味に置き変えてしまって、その意味から記憶(現象)を呼び出そうとするので、すり替わりが起こる。
だから、記憶の正確さも、どこまでシニフィアン状態で記憶しているかにかかわってくる。
さらに、発想の豊かさ、創造力もこのことに大きくかかわってくる。
シニフィアンをシニフィエにおきかえることは、既にそれまであった価値・意味に取り込まれることを意味する。まだ解き明かせぬ現象を、何らかの既成の概念で整理してしまっていることになる。
それが、つまらぬ発想につながり、創造力を縮小させることにつながっている。
幼い時には豊かだった想像力が歳とともに減退していく。それは既成の意味への置き換えのせいだ。独自のものが、歳とともに次第に既成の意味へ置き換えられていく。本来は違うものかもしれないのに(独自なものかもしれないのに)、ということ。
自然科学をやっていると、意味(結論)を性急に求めない習慣がつく。また、結局は、実験による検証によって覆されることがあまりに多い。だから、シニフィエ記憶は厳禁なのだ。「発見」は、どれだけシニフィアン状態で記憶できるかにかかわってくる(最近は多くの現象(シニフィアン)をコンピューターに記憶させる、一瞬にして意味(シニフィエ)を発見する情報処理もできる。それも何回も何回も試行できる)。

なぜ、中世は発展が止まったのか※。以上のことからだ。人間の成長・発展も同じだ。

※大文字の「シニフィエ」は、既成の価値の代表的なもの。長年にわたり聖職者達が作り上げていく。本当の大文字の「シニフィエ」かどうか分からない。
近代の中核概念「懐疑」の意味もここにある。つまり安易に「シニフィエ」を求めないこと。大文字の「シニフィエ」は最大の「懐疑」の対象になる。つまりそれまではシニフィアン記憶であり、(シニフィエの)保留となる。



知 14    投稿日:2003年12月14日(日)

実は、以上の話は、西洋近代の根幹の話なのだ。
以上の話を、西洋人の視点で書くと、「ニヒリズム」の克服という大変大きな話になる。そして、ニーチェを含め現代哲学者の一番悩むところとなる。
しかし、僕ら非西洋人には、そのような悩みはわかりにくい。
そして、以上の話の方が理解しやすいかもしれない。
僕ら自然科学者(また哲学する者も)にとっては、「直観」にどれだけ至れるか、
また、僕ら芸術家・デザイナーにとっては、豊かな創造力・発想が得られるか、
ということの方が。
そして、毎日豊かな感性がえられるような状態に身をおくことの方が。「他者とつながり」「大地とつながり」「万物そして宇宙とつながり」が得られることの方が。大脳を「宇宙そのもの」にすること、宇宙・万物と一体になることの方が。
重要なのだ。



知 15    投稿日:2003年12月15日(月)

しかし、僕の頭って、漠然と漫然と映像で考えているな。全く理詰めではない。映像なのだ。
いつも何も考えずに文章を書いている。ただ、最初に映像らしきものだけがある。
「はじめに言葉ありき」ではない。「はじめに映像ありき」である。
「はじめにシニフィエありき」ではなく、「はじめにシニフィアンありき」なのだ。



知 16    投稿日:2003年12月16日(火)

素晴らしい出会い(人・物)のために、また、それらを創造するために、そしてそれらによって、美しい思い出をたくさんつくるために、生まれてきている。
それがシニフィアンであり(シニフィアン生活そのものであり)、それだけで充足すればよいのに※、
なぜか(不安の意識からか)、人間は、シニフィエを求め、そして迷える子羊になり、牧童に取り込まれる。また、シニフィエ(特に大文字のシニフィエ)のために戦争をする。それも最も凄惨な戦争を、尽きることのない終わりのない戦争をする。
シニフィエは牧童によって与えられるものではなく、自分でつかみ取るもの。
自分をアンテナにし(シニフィアンの受像装置にし)、宇宙そのものにし、そして自分でつかみ取る。つかみ取れなくても、宇宙との一体感で満足、充足か。
掴み取ろうとするから、充足できないのか。結局、宇宙からの映像・音(シニフィアン)の流れに身を任せる。その事のほうが、映像・音がどんどんと入ってきて、充足が得られるか。
ちょうど、宇宙を旅行しているような感じ。多くの発見がある。そして充足感も。
しかし、意味(シニフィエ)を求めたとたんに、何かに取り込まれる。要注意。そんなものか。

※しかし、現代人には、受動的シニフィアン生活者が多い。受動しているだけで人生が終わる。能動的シニフィアン生活者にならないと、結局、単なるシニフィアン受像機で終わってしまう。結局、不安の意識を大量の受動で紛らわせただけのことか。



知 17    投稿日:2003年12月18日(木)

シニフィアンは、夢の(映像の)世界に近いか。決して意味を求めない映像としてのみ存在し、それのみで足りる(それのみで充足を与える)。



知 18    投稿日:2003年12月18日(木)23時02分

これまでの「知の体系」の中核は、「言葉」であり、それも「シニフィエ」であった。決して、「映像(造形)」ではなく、なおかつ「シニフィアン」ではなかった。



思考 1 (知 19)    投稿日:2003年12月19日(金)

本当に、言語で考えているのかは疑問。
そのことはいつも疑問に思っていた。
言葉で表そうとすると10倍100倍かかる。
伝達のために言語に翻訳しているが、言語では考えていない(外国語への翻訳の苦労に近い)。
今までの苦労は、伝達のための苦労で、おそらくそのために100倍以上のエネルギーを使っている。1%のひらめきと99%の汗(エジソン)との関係みたいなものか(それくらい伝達には苦労している。このままでは、人生の99%を伝達のため時間に費やされるという危機感ももっている)。
本当は1%のひらめきに全エネルギーを傾注したい。
ここで書いている話は、「現前」とか「直観」の話。
「現前」とか「直観」にもっとエネルギーを。
それこそが「知の構築」か。



思考 2 (知 20)    投稿日:2003年12月20日(土)

若い時ほどでないが、制作中、発明中、その直後は、失語症に悩まされた。言葉を忘れてしまうというか、言葉が出なくなる。制作中、発明中(また物理学数学をやっているときも)、言語脳ではない別の頭脳が思考しているようだ。これはいつも感じていた。長く制作(そういう作業を)していると、全く言葉を失い。リハビリが大変だった。リハビリのために制作後、大量の本を読み、言葉を回復した。その繰り返しだった。その習慣はいまだに残っている。僕が本を読んでいるとしたら、そのせいだ。本を読む習慣がついたのも、失語症からの回復のためのものだった。
言語に頼らない思考。それはいまだに僕にとって本質というか基本的なものだ。



思考 3 (知 21)    投稿日:2003年12月20日(土)

事象、現象に直接に接する、そして一挙に把握する。「直観」という行為。これをどのように表現すべきか。言語を経由していないことは確か。言語化の作業はその(直観の)後だ。
その後の作業としても、言語化よりも、そのものの状態で保存する方が重要。
そうなると映像(また音声)になる。
容量を食うかもしれないが、次の「直観」を得るためにもその方が重要か。



思考 4 (知 22)    投稿日:2003年12月21日(日)

人間以外の言葉をもたない動物、思考というものがあるとしたら、映像(また音声)だろう。
恐らく、人間までに進化する過程も、映像(また音声)に基づく思考であったであろう。
夢も、そのためにベースは映像(また音声)であろう。言葉だけの夢を見ている人は少ないであろう。
思考(特に直観)の核は、(起きている時間というより)夢の時間、恐らく膨大なデーターを整理している。それも恐らく映像(また音声)で。



思考 5 (知 23)    投稿日:2003年12月21日(日)

言葉はその代替方法であった。
容量の圧縮を含め(伝達も含め)。
コンピーターの歴史もそうであった。
しかし、PCの大容量化は、容量の圧縮をそれほど気にせずに、そのものの保存にむかえるようになった(映像時代の幕開けとも言える)。
人間はといえば、もともと太古から、映像保存(記憶)の歴史のほうが長い。



思考 6 (知 24)    投稿日:2003年12月21日(日)

言葉はその代替方法であった。そのための苦労も多い。
僕などは、その時間のほうがかかっている。
また、正確に代替はほぼ不可能。
その問題が、人類の歴史に大きく災いをもたらしている。
真理(神の言葉)と、その(代替物による)伝達。(個々の人間の伝達時の)差異が、さらにそれらの伝達過程でまたその差異は増幅される。宗派の分離(学生運動でもそうであった)。キリスト教とイスラム教の根元は同じ。しかし、宗教上の争いは絶えない。歴史上どれだけの人間が殺戮されたか。また中世の宗教裁判も同じ。どれだけの真理をつかんだ人間が葬り去られたか。



思考 7 (知 25)    投稿日:2003年12月21日(日)

この代替物(特にシニフィエ※)のために人類特有の災いがはじまった。
言葉をもたない動物達はこの種の殺し合いはない。
人類の禁断の木の実は「言葉」であった気がする※。

僕などはこの言葉の習得のために、現在もなお悪戦苦闘している。
左脳、右脳の違いがはっきりしてきているが、未だに僕などは左脳開発のために(より正確な表現のために※※)膨大な時間をかけさせられている。

※安易に、不完全に、単純化したシニフィエの問題。また、シニフィエ特有の、意味内容の圧縮に伴う問題というべきか。
より正確な表現という場合には、代替物から「そのものへ」となる。代替物はあくまで代替物だ。代替物でしか伝達可能でなかった時代から、より「そのものへ」の時代に近づきつつある。言葉からよりそのものの映像・音声へ。シニフィエ優位の時代から、シニフィアン優位へ。この概念整理も古くなりつつあるか。
※※ただ、言語脳を使えば使うだけ、右脳の減退を感じるときが多い。



思考 8 (知 26)    投稿日:2003年12月21日(日)

例えば、免震の原理などは小学校のときにひらめいているが、
これを言葉で説明出来ないために、また証明できないために、40歳代になるまで待たされた。
観念というべきか(僕の場合は「映像」)、言葉では表されない何かが初めにある。
「はじめにロゴスありき」といった場合、僕の場合は「映像」だ。シニフィアンになってしまう。
これを言葉に変換して記憶していたら、40歳代まで(内容を)持続できなかっただろう。映像だから、何十年たっても詳細が分かる。
これと同じような話を、志賀直哉も書いている。「暗夜行路」の最後のくだり(大山でのくだり)を書くときに、同じく映像で記憶していたから(体験から何十年もたっていたが)、詳細が書けたと言っている。



思考 9 (知 27)    投稿日:2003年12月21日(日)

結局、どれだけそのもの(出来事そのものを映像等)で記憶しているかによる(そうでないと創造に繋がらない。また、変換したその言葉の誤差で振り回される)。
また、言葉(特にシニフィエ)に頼りすぎるのは危険。言葉が重要なのではなく、その出来事が重要(その出来事そのものの保存・記憶のほうが重要)。
そして文明は、「そのもの」を保存できる方向に向かっている。代替物としてのシニフィエ(特に大文字のシニフィエほど危険なものはない)というものに頼らず、そのものへの接近へ向かっている。



思考 10 (知 28)    投稿日:2003年12月21日(日)

シニフィアンは、シニフィエの多義性を許容する(保証する)。
作品の表現(シニフィアン)は、鑑賞者の多様なイマジネーション(シニフィエ)を刺激する。
制作者(創造者)にとって、その多義性は、作品の豊かさの証明。



思考 11 (知 29)    投稿日:2003年12月21日(日)

結局、創造者はシニフィアンを創造するのであり、シニフィエは、鑑賞者にゆだねられる。
これは、不安な作業である※。
時代がたてば、その制作当時のコンセンサスは得られなくなる。
時代を超え出られるかは、シニフィアン次第だ。

※不安ゆえに、シニフィエからシニフィアンをつくったらどうなるか。本末転倒も良いところ。直観そのもののシニフィアン(映像)を、変換された後のシニフィエからつくるというのか。



思考 12 (知 30)    投稿日:2003年12月22日(月)

言葉を経由せず(言葉に変換せずに)、一気に「直観(ひらめき)」を表現する。
それが、歳とともに(何らかの知識のためか)、言葉に頼る※。
原点の、「一気に直観を表現する」事を忘れては、(創造家を)廃業すべきだと思う。
常に一気に表現することを心がけてきた。
本を読めば読むほど、そのことが弱さになるときがある。
それは、他者のシニフィエに影響され(振り回され)、自己のシニフィアンによらないためか(自己のシニフィアン=「直観そのものの映像音声」さえもシニフィエに変換した段階で弱くなる)。

※「言葉とは、他者の言葉」



思考 13 (知 31)    投稿日:2003年12月24日(水)

クリスマスの前の日に、感じたこと。
掘り下げ力の強さは、絶対的なものに向かい合った(<立ち向かった)人間のほう方が強い。
常々日本人として、そのことへの弱さは感じる。



思考 14 (知 32)    投稿日:2003年12月24日(水)

絶対的なものはあるかどうかは別にして、絶対的なものをあるとして、それを前提とし、それに挑みかかる人間のほうが、掘り下げ力は強い。そして持続力もある。
自然科学をやっていると、自然という途方も無い分厚さにいつも圧倒される。
しかし、非常に美しい透明な部分を垣間見せてもくれる。



思考 15 (知 33)    投稿日:2003年12月25日(木)

自分のシニフィアン(直観の映像・音声)を信じろ※。しかし、安易にシニフィエを求めるな※※。
「近代精神」の要約に近いか。

※中世的シニフィエ支配からの解放。個の解放。「自由」。さらに言えば、全ての人が、(宇宙=森羅万象からの)シニフィアン受像機=直観、個々にその共鳴の仕方は違う。それを許容しあうこと。(唯一絶対だというシニフィエを振りかざして)排斥しあわないこと。
※※唯一絶対という大文字の「シニフィエ」に対して、懐疑も大文字の「懐疑」。デカルトからカントへ。「懐疑」そして「先験的総合判断」の限界。



カントとセザンヌ 1 (セザンヌ 1) (年齢 2)    投稿日:2003年12月27日(土)

今回の話は、記号論的に(最もシンプルに)どれだけ、近代のエピステーメーを語れるかだった。
実は、根底に、カントとセザンヌをおいている。
この二人、気になっていたが、この年齢(彼らの本格的活動期の年齢)になるまで、取っ掛かり、接点が見つけにくかった。
上記、「掘り下げ力の強さは、絶対的なものに向かい合った、いや、立ち向かった人間のほう方が強い。」の代表的モデル。
テーマが、立ち向かい方が、大きければ大きいほど時間がかかる。
カントは47歳から主著を構想。そして『純粋理性批判』(57歳)、『実践理性批判』(60歳)、『判断力批判』(66歳)へ。
セザンヌは51歳にエクス・アン・プロヴァンスに隠居。そして近代絵画の冒険が始まる。
僕らもその年齢に。いよいよ本格的な挑戦、冒険が始まる(ここで?はつけない)。



カントとセザンヌ 2 (セザンヌ 2)    投稿日:2003年12月27日(土)

セザンヌの凄さは、上記「掘り下げ力の強さは、絶対的なものに、立ち向かった人間のほう方が強い。」の典型であり、近代人でも、絶対的なるシニフィアンは否定していない。いや、絶対的なるシニフィアンを求めているといっても良いか(上記「自分のシニフィアン(直観の映像・音声)を信じろ」)。
カントの偉大さも、あの時代によくぞ、「先験的総合判断」の限界=形而上的世界への到達の困難性という形で、唯一絶対という大文字の「シニフィエ」に対して、明証なる「懐疑」をつきつけた(形而上的世界は認めながら、宗教的権威の否定に繋がる)。



カントとセザンヌ 3 (セザンヌ 3)    投稿日:2003年12月28日(日)

セザンヌは、老齢になるとともに、
「自分の絵の新しさは、目の障害によるものではないか、自分の一生は、身体の障害に基づくものではないか」
と自問するようになった※。
この話、「個人の差異性と思われているものの中に、絶対的(普遍的)なものがある。そして、それを否定しないこと」の重要性を示している。

※M・ポンティ『意味と無意味』から。



カントとセザンヌ 4 (セザンヌ 4)    投稿日:2003年12月28日(日)

シニフィアンで、まず重要なのは、(個々の、様々な角度の)「視点」「見方」「パースペクティブ※」である。
そして、セザンヌはそれを提示した。

※ニーチェも同様に「パースペクティブ」というキー概念を提出している。






2004年

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カントとセザンヌ 5 (セザンヌ 5)    投稿日:2004年1月4日(日)

いかに、シニフィアンからシニフィエに飛べるか(それも大文字同士の)。
カントは、ただ、困難性だけを説いた(先天的総合判断の困難性ということにより)。ヘーゲルは他者の存在(アンチテーゼの存在)を介して飛べる可能性を説いた※。



エチカ    投稿日:2004年1月 7日(水)

スピノザは純粋でいい。清々しい。
そういう年齢をこえてしまっている。最近は(作者の)政治性が哲学を読んでいて感じる年齢になってしまった。一番感じるのは、ヘーゲル。あれは哲学というより、政治理念の哲学化か。あれから哲学が政治闘争の道具になってしまった。また、個人の内面の世界の探求に、哲学を取り戻すべきかとも思う。そう思うとスピノザの「エチカ」は良い。

スピノザの「エチカ」は、(無矛盾性を含めて)純粋な世界を求めると一つの帰結だろう。ひとつの数学的美的(完結)結晶の世界だろう。あのくらいの年齢まででないと恐らく構築できない。
しかし、まだ構築力がある間に、「エチカ」のような、純粋構築物を作り上げておきたいとも思う。
これは、自分が若い時にめざした「建築」の世界に近い。「形而上的建築」の世界に近い。



エチカ/数学    投稿日:2004年1月 8日(木)

建築をやっていなければ、数学か哲学か。そして、スピノザはその両方の感性の人。
数学も哲学も実はもっとも重要なのは、感性。感性→直感→直観。
理性といえば、数学※。そして、数学は、宇宙(天上の世界)につながるイマジネーションだった。デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ニュートン、カント※※の時代まではそうだったのだろう※※※。


※ここで、数学といっても、高校までの数学を思い出してしまえば、何の想像力も喚起しない人が多いのではないか。受験数学がこの国では災いしている。
※※数学は先天的総合判断のモデル。
※※※ニーチェになると完全な数学オンチだ。数学を軸に哲学史を考えてみると面白い。ヘーゲルもオンチに近づいている。この辺から「理性」の意味も変わりつつある。



エチカ/数学+哲学    投稿日:2004年1月 8日(木)

スピノザは、人の生という短い時間の中で、どれだけ無限性を獲得できるかに賭けた。
それには数学。しかし、数学は、無限拡大性を獲得できるが、「人間」そのものには迫まれない。
そして、数学を内包した哲学へ。万物森羅万象を包含する構想。
それに成功したかどうか。
一つの成功事例だろう※。
彼の後では、方向転換せざるを得なくなる。
カントのように。ヘーゲルのように。ニーチェのように。

※下記「ニュートン」参照。



ニュートン    投稿日:2004年1月 9日(金)

ニュートンは、哲学の領域ではないが、数学の世界を一歩踏み出して、森羅万象を包含する物理界での大成功事例だろう。数学以外の(カントの)先天的総合判断のモデル。
ニュートンの世界は、経験によっていない。直観的方法。
数学モデルも自らが作り出す。微分積分。ちなみに、アインシュタインには、純粋「直観」モデルとして数学モデルが存在していた。リーマン。そういう意味でも、ニュートンは凄い。



カント    投稿日:2004年1月 9日(金)

経験によらず、総合判断は可能か。
つまり、先天的総合判断は可能か。

その代表選手は、数学。
そして、(ニュートン力学を代表とする)物理学。
そして、人文(哲学)の世界でそれは可能か。
それにカントは答えようとした。
「純粋理性批判」で、
その回答は、否!
その限界を突破したかに見えるヘーゲル。可能性を感じると同時に、大いなる疑問をもつ時がある。この問題は大変難しい※。

そういう意味で、スピノザの時代は面白い。
17世紀、そしてオランダ。この話は、「フェルメールと17世紀のオランダ」(投稿日2003年10月4日)の続編になってしまうが。
デカルトがいた。レンブラントがいた。フェルメールがいた。そしてスピノザがいた。狭いオランダの中で、同時代に。
そして、(「言葉」ではなく)「視覚」という意味で共通している。

※下記「ヘーゲル」参照



スピノザの清々しさ    投稿日:2004年1月10日(土)

哲学の話を書くと、悩み深き話になりますね。
スピノザ、カント、そしてヘーゲルからは悩み深くなりますね。
なぜ、スピノザは清々しいのか。その辺の話を本当は書きたいのですね。



ヘーゲル    投稿日:2004年1月10日(土)

ヘーゲル哲学は、先天的総合判断の限界の突破口として、可能性を感じると同時に、大いなる疑問をもつ。

1.無矛盾による論理展開の限界の突破(矛盾性の包含と克服)という点では面白い。と同時に、大いなる疑問を感じる時がある。それ自体だと、先天的総合判断のベースとなる「数学的宇宙」の破壊である。「数学的宇宙」は存在し得ない。
 →ただ、低次の数学空間レペルで矛盾に見えても、もっと高次の数学空間が発見されれば、矛盾ではなくなる。そのことを言っているとすれば、間違いではない。しかし、(動的に考えずに)静的に考えれば、矛盾は数学的宇宙では存在し得ない。
 
2.政治体制の大変革期の論理を求められた時代の哲学(政治の哲学化。哲学の政治化)。純粋直観(「観想」)と無縁の時代の人と思える時がある。
 →政治の大激動の時代、対立激化・克服の時代には、永遠の相のもとでの「観想」の暇がない。17世紀は、そういう意味で「観想」の時代でありえたか(対立の時代の次の時代には、また「観想」の時代になるのかもしれない)。



直観    投稿日:2004年1月11日(日)

先天的総合判断また直観の話は、(カントとかではなく)ニュートンに書いてもらうのが一番だったかも。
直観について言えば、
ヒラメキを掘り下げる作業(ヒラメキそのものへの到達)であり、他者の意見を媒介としてできるものではない(他者も全く同一のヒラメキをもてば別だが)。
デザインもそうだ。人の意見ばかり聞いていると、わけのわからない作品になる。
建築のデザイン、また芸術も合議制をとらない(コンペで選ばれた優秀賞の何人かの合議制で作品を創らせない)。
ヒラメキの吟味には、長年の蓄積は役に立つかもしれないが※、あくまで、「自力での掘下げ力」だ。そのことは、レオナルドの手記にも非常に強調されている。発明発見する力にどれだけ他者が介在するか。このことには否定的に思うことが多い。
強い信念のようなもの=強い直観(力)でないと、貫き通して、発見・発明に至ることは不可能に近い。
コロンブスが代表的かもしれないが、例をあげればきりが無い。
新しい発見・発明には(大発見ほど)、今までのものと180度考え方が違う場合がある。アンチテーゼだが、テーゼがアンチテーゼによって変わるのではない。アンチテーゼに変わるのだけなのだ。コペルニクスのように天動説が地動説になるのだ。天動説が地動説に生まれ変わるのではない。
科学領域では、新しい発見・発明に取って代わられるだけで、旧の考え方とまぜこぜにはならない(純粋科学に領域では恐らくないし、応用科学領域でもそのような例は非常に少ないだろう。政治に近づけばそういうことが多くなるだろう)。政治力学的な過渡期的な配慮は無い。ヘーゲルを読んでいると政治を思い出す※1※2。自然科学(それも純粋科学)を連想できない。


※ 弁別能力。概念区分け能力。カントの「分析判断」。
※1 この掲示板の第一回目の「エチカ」に書きましたが、最近は、作者の政治性が気になる年齢(純粋度を測っている)。逆に考えると、日々、政治的配慮をしながら仕事をしているということか。そして、この年齢になればなるほど、「純粋なものの価値がわかってくる」と言うような言い方を多くの人がすることも分かる。確かに若いうちは、(純粋なものの)そのありがたみが分かっていない。
※2 彼の時代を連想できる。彼の立場を連想できる。



生成 (1)    投稿日:2004年1月11日(日)

純粋「直観」にいたれるかというテーマからはそれるが、
「生成」、この考え方は、生・反・合に近いか。遺伝子同士が受精して、新しい世代を生み出す。
ただし、一世代の内部では、それは起こらないが。

「直観」の哲学の時代から、「生成」の哲学の時代へ※。

どうもその変化点は、カントとヘーゲルとの間にあるようだ。


※ 「静から動へ」、この捉え方はどうも違う。



アポロンとデュオニソス (生成 (2) )    投稿日:2004年1月11日(日)

ニーチェ(ブルクハルトとも言われている)の発見した「アポロンとデュオニソスとの止揚運動」。
これは、芸術の「生成」※。
これは、ヘーゲル哲学の影響=ニーチェ本人も自覚。



スピノザとヘーゲル (1)    投稿日:2004年1月12日(月)

ヘーゲルの弁証法の「否定」概念はスピノザの「全ての規定は否定である」から来ている。ヘーゲルはスピノザの言葉を濫用・誤読したと言われている。スピノザは現代哲学の大焦点の一つ。(「ヘーゲルがスピノザを先取りしている」のではなく)「スピノザはヘーゲルを先取りしている」(アルチュセール)、「フランスの構造主義では、はじめからスピノザが問題であった」(ドゥルーズ)などなど。



スピノザとヘーゲル (2)    投稿日:2004年 1月23日(金)

西洋哲学における最大の閉域が、ヘーゲル。
結局、そのヘーゲルを超えるものが欲しい。
ヘーゲルを超える存在として、スピノザを見ようとしている。
確かに、スピノザは、構造主義を先取りしている。構造主義の父だと思うときがある。



直観力そしてスピノザ    投稿日:2004年 1月24日(土)

オリジナリティとそれを表現する力。
建築学科に入ってよかったと思うのは、全て受験までの知識を捨てることを要求されたこと。
自分のオリジナリティ(直観によって得られるもの)以外には何の意味もないということをわからせてくれたこと。
そして、毎課題で、ふるいにかけられる、最終課題後には、9割以上(いやもっとか)が、精神的(肉体的にも)脱落者になる。大変な競争社会。大学そして建築学科に入ることも大変なのに、そのうちの9割以上が脱落者になる(自分というものの吟味には良い)。
そして、それを勝ち抜いても実社会で成功するかどうかは全くのクエスチョン。
大変な競争社会(実は、そんなに建築家はいらないということだ)。
芸術家という職業は、実はそんなに社会が必要としているわけではない。
実は、自分がやりたいからやっている職業?なのだ。本当は職業といえるかどうか。
「人はパンのみに生きるにあらず」のように、パンのためにやっていない。だから大変というより、自分の精神的充足のためにやっている。これは大変でもしょうがない。
競争というより、最終的には、自分の中での格闘。
自分の考えていること(直観力を磨き、直観によって得られたもの)を正確に表現できること。それを追い求めていると自然にオリジナリティがつくというかオリジナリティが出てくる。自分の中で掘下げる力というか、直観力というか、その蓄積が、オリジナリティ。全て借り物で無い自分の力でのもの。あせっても仕方が無い。これには膨大な時間がかかる。しかし、きちんときちんと毎日構築していくこと(自分の直観力を磨き、直観によって得られたものによって構築していくこと)。それしかない。
芸術、科学ともにまずは直観力だ。
そして、「直観力」を教えてくれたのは、スピノザ。
スピノザこそ、最も直観力に満ちあふれた哲学者。スピノザの清清しさは、その直観の充溢によってもたらされるもの。
直観だけによって、全てを構築しきること。森羅万象、宇宙を表現しきること。
それに賭け、スピノザ空間を完成させた。
そののち、ニュートンが、物理学の世界で、(経験によらない)直観的方法で、ニュートン空間を完成させる。



モダニズム建築と模型    投稿日:2004年 1月25日(日)

モダニズム建築の模型は、紙が良い。それ以前の建築は、粘土がよい。
このことに、典型的に「モダニズム建築」の特質が現れている。
そして、ある先輩は、粘土模型を作りつづけた。
しかしそれを徹底すれば、反モダンになるのだが(一時流行したポストモダンにも少しその傾向はあった)。

結局、モダニズム建築は「マス」ではなく「ボリューム(面で構成)」なのだ。
逆にいえば、モダニズム建築以前は「マス」なのだ。



直観と科学    投稿日:2004年 2月 3日(火)

「直観」を大切にしなさい。
科学は武器になるが、それ以上のものではない。
科学は武器であるが、可能性ではない。その人の「直観」が可能性なのだ。

子供の教育があるとしたら、科学教育ではなく、その子の思い→まずは直観を大切にしてやること。科学は客観性を養うが、強い思いは育てない。人生にとって必要なの強い思い。持続する思い、それも「直観」によって裏打ちされた強い思いなのだ。



直観力と自己実現    投稿日:2004年 2月15日(日)

全ての人にチャンスはある。
その人の目の前をチャンスが通り過ぎようとしているのに掴もうとしない人。逆に、遠くを通り過ぎようとするチャンスさえも、掴み取り、ものにする人もいる。
この事業をやっていて、一日に何十人もの事業家に会い、その貪欲さを勉強させてもらえる。そして、彼らの行動原理も、「直観」、それも鍛えられた「直観力」だ。

人生は短い。この歳になり振り返っても、50年という時間は本当に一瞬だったような気がする。
ただ、悔いない人生を送るためには、直観力を鍛え、そしてさらに自分の思いを実現できる力を鍛え蓄える以外方法は無い。

大学に入るのが大変だった。それも当時の建築学科に入るのは大変だった。
そして、大変苦労して入っても、入学式直後のオリエンテーションで言われたことは、
「君らは受験勉強によって、(創造する上で)使い物にならないくらい頭が固くなっている」と。
そして、その後の作業は、その受験勉強による借り物の知識を捨て、直観という見る眼を鍛え※、さらに自分本来の力をつけることだった。

最近の多くの人を見ていると、「マニュアルはありませんか」という。
なんでもかんでも、マニュアルを求めたがる。そして人生までも。
それを捨て去ることを求められた、大学という場はよかった。

※科学教育による客観性(他者性の集合体)は、直観力を鍛えるには役立っている。























近代の意味(教育3)    投稿日:2004年10月 3日(日)

「近代」の本質的な意味があるとするなら、過去の規範から「自由」であると宣言したことか。



人間の本質(教育4)    投稿日:2004年10月 3日(日)

人間の本質は、「超えでる存在」※。
当然、過去の規範から超えでてゆく存在だ。
これは近代が発見したエピステーメー(いや、近代のエピステーメーというべきか)。

※ニーチェ・ハイデッガーとヒットラーとは何の関係も無いということ、正反対だ。しかし、ニーチェは利用され、ハイデッガーは巻き込まれた。



教育の本質(教育5)    投稿日:2004年10月 3日(日)

教育の本質も、人間という「超えでる存在」の、「超えでる」ことへの手助けをしてやることで、その逆では決して無い。



「逸脱」と「乗り超え」について    投稿日:2004年10月06日(水)

ハイデッガーの「ニーチェ」を何十年ぶりかで読んでいる。この本からスタートしている人が多いのに気付いた。ドゥルーズも例外ではない。ハイデッガーもこの「ニーチェ」の講義を始めて「存在と時間」の完成を断念したというくらい重要な内容とか。
ただ、「超え出る」概念(「超人」の基本概念かもしれない)は「近代」だが、「永遠回帰」は、それからの逸脱のような気がするときがある。この矛盾は重要なテーマ(常に逸脱は重要である)。



人間存在の時間性 (1)    投稿日:2004年10月09日(土)

ミケランジェロの「最後の審判」、フランク・ロイド・ライトの「落水荘」「ジョンソン ワックス」「グッゲンハイム美術館」、コルビュジェの「ロンシャン教会」「ラ・ツーレット修道院」、全て60歳を過ぎてから。60歳を過ぎてからが楽しみな世界もあります。
人間とは多様性の生成・触発(インスピレーションという核同士の核反応・分裂)の場と考えられるなら、無意識という一個の一個の世界の扉を開いていき、それらの世界を相互に戯れさせると、際限のない時間がかかりますが、時間をかければかけるほど、多様な豊かな世界が見えてくるということもあります。
また現在、自然科学にも凝っていますが(本来の、私の場ではありません。40歳代になってからやり始めました)、地震と風の研究をしています(免震だけでなく地震予知もしていますし、地球という惑星の研究のためにも不可欠です。多くの学説が間違っていることも分かってきました)。最近は木の研究もはじめています。これらは「建築の造形の自由」のためのインフラで、この研究のためにも無限大の時間が欲しいほどです。

結局、自分の能力に限界を与えたときから収縮が始まる。超えられない壁だらけになっていきます。
「常に、超え出ることが、人間(また生命)の本性」なら、行き着くところまで出来るだけ頑張ってみようと思っています。



直観と多義性 (1)    投稿日:2004年10月13日(水)

芸術の価値が多義性とするなら、歳をとったほうが勝ち
芸術の価値が純粋直観なら、若い方が勝ち
と、若い時には思っておった。
この歳になって、純粋直観も、歳をとった方が勝ち
と思いつつある。
結局、若い時は煩悩が多すぎる(これを直観と思う時もあったがこれは直観では決して無い)。
教育も一種の(直観を鈍らせる)ノイズになる。
今から考えると、若い時はいろんな意味で(教育の影響も多大にあるし、煩悩も多いし、それらのノイズから簡単には解放されずに)大変だった。
最近になって、それらに一切煩わされずに、自分の中の無意識(宇宙)にどれだけ多く深くつきあえるかが重要だとわかるようになってきた。



純粋性について (1) (プラトニズムを超えて 1)    投稿日:2004年10月16日 土曜日

建築の場合の制約といったら、
機能(有用性)・構造・コスト・法律などですが、
最終的な最も大きなものは時代制約、(経済・産業構造等いろいろと考えたこともありますが)それも、「ものの考え方(エピステーメー・パラダイム)」の制約です。

その視点に立てば、機能(有用性)などは可愛い。それがないとそのデザインが成立しない。そのものの存在理由がなくなるといいますか。ただ実際は発想の中からはいつも消えている。そのことを意識していない。意識していると面白いものは出てこない。そんなものでしょう。結局、大きく超え出ている(裏切っているという)ことが、予想外の面白さになっていく。それは決して表に出しませんが(「機能的なものは美しい」でもなく、「美しいものは機能的」でもなく、「機能的制約から自由になることが、はじまり」)。

構造も、これは絵画・CG以外の造形芸術では制約になる(ただ、新しい構造は、新しい表現領域を生み出します)。これも発想の時にはあまり意識していません。

コストも、これは制作している人は、金額の大小は別にしてみんなこの問題に頭を悩ませる。結局この制約からも逃れられない。が、これも発想の時にはあまり意識していない(後で大変苦労されられますが)。

法律、これは関係していないと思う人が多いかもしれませんが、「表現の自由」を含めて、結構拘束を受けている(また、ものが大きくなると手続きに時間が掛かる)。ただ、これも発想の時にはあまり意識していない(後で大変制約になることがあります)。

以上のようにこれらのことは、発想の時には、あまり拘束になっていません。
それよりも、発想の時に大きく制約になっているのは、「ものの考え方」の方です。
その時代の「ものの考え方」から自由になれない(知らず知らずのうちに制約を受けている)。時代制約を離れてどれだけ自由に考えられるか、そればかりがある段階から気になりだします。
結局、これは「思考」を制約しているという意味で、制約の中で最大のものになります。
(ある時期に、科学的思考で、その制約を超えようとした時期もありますが、科学も、時代から自由であるかと言うと決してそうではない。学説などは、その時代に大きく縛られている。時代の観念=エピステーメー・パラダイムの中で科学者も考えている。免震の戦いもそうだった。また、非線形数学の世界の構造の戦いもそうかもしれない。結局、過去の巨大な亡霊に縛られている。)

このように考えると、「純粋性」も、プラトニズムという2000年以上にわたる思考制約といえるかもしれません。結局、20世紀の哲学・思想はこの戦いに明け暮れたといってもいいくらいの過去の亡霊=制約です(キリスト教も世俗化されたプラトニズム)。
結局、純粋性が「尊し」ではなく(ポストモダン的に曖昧性、多義性が「尊し」でもなく)、それら(それらの制約)からいかに自由になって思考・制作できているかが「尊し」と思うようになってきました。



純粋性について (2) (プラトニズムを超えて 2)    投稿日:2004年10月17日 日曜日

純粋性の定義として
プラトニズムに陥らない原義があるなら、
いろいろな制約から離れて、「自由」になって、自分本来のもの、「固有のもの」になる。
と言えようか。

この概念の前提に
「永遠回帰」がある。
同じ生(魂)が未来永劫に(同じ人生を)繰り返す。そうであるなら、当然、それに耐えられる生(生き方)を選ぶ、それに耐えられない生は送らない。
この永遠回帰する世界では、(お茶を濁すような)取りあえずの考え方・生では、(毎回毎回やって来る同一の生には)耐えられない。これしかないという生(自分にとって絶対的生)の選択だけが耐えられる。

この物語が真実かどうかは知らないが、それに耐えられるものが上記の「純粋性」概念。
これはプラトニズムの「純粋性」と大きく意味が隔たっている。
形而上的な普遍性はそこには存しない。あなただけの「固有性」が一番重要な世界。それのみが耐えられる世界。

この概念から「絶対的愚鈍」がでてきます。
ヘーゲルの直線的歴史観ではなく、相対的優秀さにもとづく競争社会ではなく、
絶対的愚鈍のみが耐えられる「永遠回帰」の世界です。
そして結局、「相対的聡明さは、絶対的愚鈍の前に常に負ける」のです(これは競争社会でも「絶対的逸脱」で相対的優秀を「超えでる」ようです)。
それが、プラトニズムではない「純粋性」の概念です。

この永遠回帰という思想には、(一個人が埋没するようなヘーゲル的な)「歴史の物語」はない。(永遠に繰り返す)「個人の魂の物語」しかない。しかし、人間革命。その革命を起こすと人間の歴史は自ずから変わると。
ヘーゲルの直線的歴史観(進歩歴史観)というものには、歴史の歯車になる「生」、歴史に翻弄される「生」しかない。 それに変わりうる「生」の提示、世界観歴史観の提示になっただろうことも確か。 (以前の再録)

以上の用語に関して、
「絶対的愚鈍※※」という言葉が適切かどうかはわからない。
「絶対的聡明=非凡 VS 相対的愚鈍=凡庸」ではなく「絶対的愚鈍=非凡、相対的聡明=凡庸」だから救いがあるというより、やはり「固有」と言う概念を入れるとなると、「聡明さ」という言葉は排した方が良いか。
「永遠回帰※」でなくてもよく、「永遠の時間に耐えられる」でもよいのだが、「直線的歴史観」に取り込まれてしまう可能性がある。
過渡期における「戦略的用語」と考えた方がよい。

結局、「純粋芸術」という概念を見直したほうが良いのでは・・・。
いわゆる「純粋芸術」は、プラトニズムの台座上に成立している概念では、という思いがあります。そこで、プラトニズムという台座を見極める必要があると思いましたので、以上の話はいわゆる「脱構築」的に書いてみました。


※ニーチェ哲学の最重要概念(ニーチェ読解においてこの概念で破綻している人が多い)。
※※蓮實重彦氏の主著「凡庸な芸術家の肖像」(ちくま学芸文庫)、43歳〜52歳。一番大切な時期に10年近く費やしている。芸術家をめざす人にとっては必読書のひとつか。フローベール(絶対的愚鈍)とマクシム・デュカン(凡庸)の物語。特に聡明な人の必読書か。



純粋性について (3) (プラトニズムを超えて 3)    投稿日:2004年10月17日 日曜日

「純粋性」に関して、もうひとつの話を書けば、
純粋的なモノローグ芸術(一視点的世界・一元的主体)が良いのか、
多元的他者を介在させた多声的芸術(多視点的世界・多元的主体・対話性)が良いのか。
レノン単独が良いのかビートルズのほうが良いのか(彼らが本当に多声的であったかどうかはわからないが)。しかし、複数他者での持続的活動は難しい。結局、無意識という複数他者性の話になっていく。
という話もあります。



近代建築運動から何を受け継ぐのか    投稿日:2004年10月21日(木)

近代建築運動の意味を、
「機能主義」と捉えることなく、
「過去のシニフィエからの解放(当然、過去のシニフィアンからの解放)※」と考えるなら、
コルビュジェたち近代建築家に私たちはいくら感謝しても感謝しすぎることはない。
それも、過去のシニフィエからの解放の永続化、デミウルゴスの時代の始まりの永続化ならば。
という歴史認識があります。

※「過去のシニフィエからの解放」が先で、その結果として「過去のシニフィアンからの解放」となる。決してその逆ではない。



建築について    投稿日:2004年10月22日 金曜日

建築の場合は、即興的な「爆発(高まり)」ではつくれない、作ってはいけないという感覚があります。 結局、建築は時間にさらされる(それも長い時間にさらされる)。そのため時間にさらす。出来だけ長い時間にさらす。長い時間かけて吟味するということがあります(それが永遠の時間に対してなされた場合、「絶対的愚鈍」にいたれるという感じがあります)。 そうでないと、建築の場合は、施主に対して失礼、街に対しても失礼という感覚があります。



「絶対的愚鈍」試論?    投稿日:2004年10月30日 土曜日

日ごと、私は、知性というものに大した価値を認めなくなりつつある。
知性が、現実の再創造という、芸術のすべてに相当する行為において、全く無力だとの思いを深めている。
芸術の唯一の素材となるものに到達できるのは、知性の埒外でのことでしかない。
芸術家は単独で生き、目に見える事物の絶対的価値など問題にせず、もっぱらおのれの内部にのみ価値の尺度を置くものだということが、知力自慢の人々にはわからないのである。
人生の残り時間も数えるほどになったいま、わざわざ知的な仕事をするというのも、あまり実のあることとはいえそうもない。

誰の文章でしょうか?

これは、フランスの作家の、
マルセル・プルーストによる「失われた時を求めて」の序文
ではありません、「サント・ブーヴに反論する」の序文草案の部分です。
こういう文章を書くプルーストも、実は驚くほど博識。
結局、相対的愚鈍レベル(非常に多いタイプ)ではなく絶対的愚鈍レベル(永遠性にいたれるレベル)にいたるには、並大抵でないベースが必要。それも相対性というものを打ち破れる驚くほどのベース(鍛えぬいた能力)が。

この文章が書かれたのは、1908年頃、
プルーストは、1871年生れで、
1908に「失われた時を求めて」の執筆をはじめる。その頃の文章(死の予感にしては早すぎる。1922年に亡くなる14〜15年前なので)。

上記の内容は「サント・ブーヴに反論する」の序文草案の部分で、「失われた時を求めて」の序文ともいうべきもの、
今度は、「ブルーストによる『失われた時を求めて』解説」から 「絶対的愚鈍」試論? の続きを、

作家はほとんど無意識的記憶にしかその作品の原材料をもとべるべきではない。
文体というものは、我々各人が見ていて他人には見えない特殊な宇宙の啓示です。
一人の芸術家が我々に与える楽しみは、宇宙を一つ余分に知らせてくれるということなのです。



直観と多義性 (2)    投稿日:2004年11月07日 日曜日

近代というものが、
絶対的聡明さ(神)へのアンチと考えるなら、
相対的愚鈍、相対的聡明さも除外すると、
絶対的愚鈍しか残されていない(というのも実は近代的発想?)。
自分というミクロコスモスの絶対性。
それは、デカルトの近代的「自我」の系譜上にも連なる。
ただ、絶対性という限り、全宇宙(コスモス)と繋がるものを担保、前提としている(絶対性にこだわるのも西洋近代の特質)。過去(自分の過去or文化という過去)の包含という、「多義性」に賭ける。ということになる。

「直観と多義性 (1)」 2004年10月13日 での(順番を逆にした)
芸術の価値が純粋直観なら・・・・
芸術の価値が多義性(豊さ)とするなら・・・・
の後者の世界になる。

そうなると、量が必要となる。
どうしても長くなる。「失われた時を求めて」「フィネガンズ・ウェイク」も非常に長い(ただ、近代的な時間感覚とは合っていない)。長くなる。
その点、前者は短くてすむ(場合が多い)。
一行で済むかもしれない(近代的な時間感覚と合っている)。ただ証明は大変で、一生掛かるかもしれない(掛かっても無理な場合もあるが)。






2005年

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人間存在の時間性 (2)    投稿日:2005年01月10日 月曜日

分析的方向をめざしているわけではなくて、自分の置かれている台座をすべて疑ってかかる、そこからしか出発はないということにこの歳になって気づいてきたわけです。

絶対的愚鈍をめざしているわけでないのですが、愚鈍であることは確かなようで、愚鈍者にとって、時間をかけないと(歳をとらないと)駄目だということが、この歳になってわかってきたわけです。
借り物でないものを身につけるには時間がかかる、それも恐ろしくかかる、ただ、それだけしか手がないのではないか。
歳月を味方につけるしか手がないのではないか。
人間という愚鈍的存在にとって、時間を介して「超え出る」ことだけが唯一許されている(人間という存在が「超え出る存在」であればあるほどに)ということが、(人間存在の時間性といものが)わかってきたようなわけです。
そこで、
歳をとることへ「万歳」!!



人間存在の時間性 (3)    投稿日:2005年01月11日 火曜日

問うことができるということは待つことができるということであり、しかも一生涯待つことができるということである。
しかし、速やかに過ぎゆくものだけ、両手でつかめるものだけを現実的だとみなすような時代は、問うということを「現実から無縁」なこと、やっても引き合わぬこととみなす。
だが数が本質的なものではなく、正しい時間が、つまり正しい瞬間と正しい忍耐が本質的なものなのである。

「熟慮する神は
 時ならぬ成長を
 嫌いたもうから」
  (ヘルダーリン「巨人たち」の主題圏から)

誰の言葉でしょうか。

これは、ハイデッガーの「存在と時間」ではなく、「形而上学入門」の一番最後のところです。
1927年に「存在と時間」を、1953年に「形而上学入門」(1935年に講義した内容)を出版していますが、その「形而上学入門」では「存在の時間性」についての説明が最後にきますが、その説明の一番最後の部分です。



純粋性について (4) (プラトニズムを超えて 4)    投稿日:2005年01月13日 木曜日

プラトニズム=移りかわりのない、時間性の存在しない世界を観想するということでは、
生の意味、歳月を重ねる尊さ、歳月を重ねて自分本来のもの「固有のものになる」という世界も、自己存在の意味も発見できない。

「老いる」というか「歳を重ねる」ことの重要性を近代社会はおろそかにする。
これの元をたどれば、どうも、彼岸を重要視し、生を軽んじる「プラトニズム」にありそうだ。



















遅れてきた世代(3)    投稿日:2005年02月26日 土曜日

「団塊の世代」について

世代で区切るのは、個人差を無視していてよくないが、この世代に関しては他の世代に比べてはっきりした特徴があると僕なんかも感じる。
確かに、団塊の「直後世代」と書いたように年齢的にはそれ程差がないかもしれないが、僕なんかは意識として全くついてゆけなかった(と思わない人もいるかもしれないが、僕なんかが団塊の真っ直中にいたら完全に脱落組か)。
彼等の激しさ、競争心の強さでもまいってしまった。
僕らの下の1955年前後生まれになるともっと意識が違うと思う(穏やかになってゆくか)。そして1950年後半生まれ世代になると、核家族化して子供が一人で兄弟がない人も多かったので、もっと意識が違ってきていた。
これは(第二次世界大戦の戦争に加わった国が多いため)世界的にも同じような特徴をもっていると考えられる。
そして、そのためか1960年代(団塊の世代の学生時代)と1970年代(僕らの学生時代、オイルショックのためもあるが、オイルショックがなければ僕らも団塊の世代と意識的に近かったかもしれないとも思う)とでは社会・文化現象が相当に違ってくる。

文化現象では60年代が興味深い。
僕らの建築の世界でも1920年代に匹敵する時代としては1960年代があげられるかと思う。そういう意味で、僕らは建築界でも「遅れてきた世代」だった。
僕の「空中都市1974」などもそういう意味で意味にずれを生じざるを得なかった(60年代的なエネルギー上のものだが「同一性から差異性へ」という60年代との意味の違いを強調せざるをえなかった)。
http://www.iau.jp/k/pic_kutyu1_h900.htm
60年代の話をし始めたら、切りがないくらい実は面白い。それに比べて、70年代は面白くない。僕らが頑張らなかったとせいというか、(60年代の反動・反省というか)オイルショック等の影響が大きかった。
http://www.iau.jp/k/k-index.htm (「空中都市」のその後の話を書いています。当初は、この問題に集中する話のつもりでした。しかし、現在この視点から、脱却、逸脱か、人間は「超え出る存在」か?)



















古代ギリシアと円環歴史観     投稿日:2005年04月01日 金曜日

ニーチェも古代ギリシアなんですよね。
それもソクラテス・プラトン以前の古代ギリシアの円環歴史観(ヘラクレイトスなど)で、
ソクラテス・プラトン以降から(キリスト教的)直線的歴史観が始まったとニーチェは考えている(それを諸悪の根源的なものとして考えている)。ハイデッガーもそれを受け継いでいる(「時間性」の概念はニーチェ=「プラトン・ソクラテス以前の古代ギリシア」にベースがある)。
確かに、古代ギリシアは厚みがあります。



直線的歴史観と円環的歴史観    投稿日:2005年04月03日 日曜日

直線的歴史観が諸悪の根源的なものと言うのは、そこから個が全体に巻き込まれる、競争社会、相対的価値観が生まれる。それも(終末論的な)最終的な絶対的原理・価値観に向かう歴史観になる。
個々の存在は、その運動に向かうだけの「常に途上存在」で、最終的な(途上では目標たる)絶対的価値だけが絶対優位になる。
円環的歴史観からは、それから脱した、というより、もともとのもので(ソクラテス・プラトン以前はそうであったと言う)、ソクラテス・プラトンがその円を断ち切り直線に伸ばしたと言う。
結局、ニーチェ・ハイデッガーの思想は、(キリスト教的)直線的歴史観である「彼岸」「全体」優位を、円環的歴史観の「此岸」「個」優位に戻そうと言うものか。
ニーチェは、「猿→人間→超人へという進化論」、「人間存在の超出性(超え出る存在)」、「アポロンとディオニュソスの相克止揚」という段階を経て、「永遠回帰」と「ディオニュソス」という概念が到達点か。
ハイデッガーの「時間性」の概念は、このニーチェの、人間存在の「超出性」及び「永遠回帰」=「プラトン・ソクラテス以前の古代ギリシアの時間概念」にベースをおき出発か。



















ニーチェとディオニュソス 1    投稿日:2005年05月05日 木曜日

>ニーチェは、(中略)「アポロンとディオニュソスの相克止揚」という段階を経て、「永遠回帰」と「ディオニュソス」という概念が到達点か。と以前書いたが(上述「直線的歴史観と円環的歴史観」)、
歳をとるに従い、
「アポロンとディオニュソスの相克止揚」ではなくなり「ディオニュソス」となる。これが良いか悪いか。夢の主体(無意識)のなせるわざか※。
しかし、この主体が、より豊かなものになるためには、相当な期間、獅子の時代が必要とする※※。(獅子を通過した子供)でなければ夢の主体は破綻の原因にしかならない。

※※「ロバ→獅子→子供」であり、一足飛びに子供になるのではない。
また、夢の時間で気付くことは錯誤が多い。目覚めて矯正しなければならない。
眠りと目覚め、その繰り返しによって人は「人」となるのだろうか(睡眠を軽視してはいけない)。



ニーチェとディオニュソス 2    投稿日:2005年05月07日 土曜日

ニーチェはいろんな角度で語っている。だから両方から利用もされ時として両方からも批判もされる。ニーチェのすごさはこの多面さを一人で持っていた点にあるし、徹底的に誠実に考えた人だろう。
ただ、言葉は利用されやすい。キー概念を選んだ段階で、その危険性をもつ。
「権力の意志」(最近は「力の意志」と訳すのが多い)は利用されやすい概念だ。
同じく、それとつなげた「超人」も利用されやすい。
確かに、「権力の意志」はニーチェに最終的主著として何度かまとめつつあった。しかし最後は放棄したみたいだが(白水社の「ニーチェ」全集はそれによっている)。しかし、長生きしているとよくわからなくなる(人種主義者と結婚した妹のエリーザベトはナチズムに兄を売りこんだ。そこまでニーチェが長生きしている場合はどうなっただろうか、ハイデッガーも完全にナチズムを賛美した時期をもつ)。
ニーチェはすごいと思うけれども発狂したニーチェの著作内容にはその人の根幹を感じてしまうものがある。それと同じように、おそらく歳をとって、ディオニュソスそのものになった時、それを制御続けるものは何かと考えてしまう(上述「ニーチェとディオニュソス1」はそのことを感じて書いた。「老い」の問題とも関係しますが)。



夢の中の思考・原始の思考    投稿日:2005年05月23日 月曜日

夢の中の思考は、原始の思考というか、ツリーではない(年月とともにツリーが入り込む)。
しかし、起きている間の思考は、(教育の結果か)ツリーだ。
起きる瞬間に、その構造を入れ替える。
夢の中の思考は、(脈絡なく)自由に飛ぶ思考。論理ではなく観念連鎖かで飛ぶ思考。
創造行為も、頭のよしあしも、この部分によることが多い。
ツリーは、人間対人間のコミュニケーションためのものか、しかし頭を確実に硬直化させる。
夢の中の思考によって、頭が活性化する。人間本来の(原始の、自然な)思考なのだろう。



愛・キリスト・ニーチェ (プラトニズムを超えて 5)    投稿日:2005年05月23日 月曜日

ニーチェも書いていると思うが、キリストとキリスト教は分けて考えないと。
キリスト磔刑死後のキリスト教は、ルサンチマンによって大きく支配されてしまった。
キリスト本来は、もっと違ったものであったのでは。
ドストエフスキーの大審問官でのキリスト、
キリストが磔刑死せずに、パウロが現れなかったら、と考えてしまう。

ニーチェがすごいと思ったのは
キリストの解釈。以下、「アンチクリスト」※から

キリストは「悦ばしき福音」を説くためにやってきた。
真の生、永遠の生は見出されている。現にあり、汝らのうちにある。
愛における、差別のない愛における生として。あらゆる人が神の子である。
神の子としてあらゆる人はあらゆる人と平等である。
天国(神の国)はあなたの心の状態にある。
「地上のかなた」「死後」にやってくるものではない。
イエスが教えたのは、イエスの福音は
「誰も神の子である」という平等思想。

すごいと思った。
こんな革命思想はない(教会も当然いらない)。
だから2000年近く封印された(今でも封印されようとしています)。
最近、ニーチェとキリストのすごさを感じている※。
「だれもが神の子なのだから、愛を感じて、愛をもって、頑張りなさい。」
こんな元気のでるすごい思想はない。

※ニーチェ自身が、「アンチクリスト」を「一切の価値の価値転換の第一書」としている。
しばらく、この本の偉大さがわからなかった。
ニーチェもこのことを説くためにやってきた。
そして、昏倒する直前に完成した。間に合った。
この書を完成して「私は私の全生涯に感謝せずにはいられようか」とまで書いている。

この「悦ばしき福音」の話、どこがで書いていると思ったら、
「新しい視点、新しい文化」  2005年04月24日 に書いていた。
絶対的価値というは、一者に局在するのでなく、すべての人に宿り(「我思う」という形で)、すべての人が発見していくもの。
結局、それしか、真実の発見はできないのではないか。真実はその瞬間に消え、伝達に耐えるものではない。また、すべての人に宿るということ。そして個々にそれを発見していくしか方法がないのでないかということに気づいたということか。
「我思うゆえに我あり」ではなく、
真実は、すべての人に「我思う」という形で宿り、すべての人が発見していくもの。そこに「我あり」の存在根拠がある。これはそのまま「民主主義」の肯定根拠になる。

この「大いなる愛」から、
親鸞の悪人正機説の 「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」(歎異抄) が理解でき始める。
これも、別け隔てのない「大いなる愛」の概念が前提とされているが、一挙に飛び抜けている(不出来な子供ほどかわいいと言うことか)。


ニーチェの「アンチクリスト」、 この本の理解なくして、ニーチェの理解は不可能だと言ってもよいくらい重要。 
僕らの学生時代には、文庫本はなかったと思う。
理想社のニーチェ全集だった。そして白水社のニーチェ全集へ(これは高価で、読者層をかなり限定してしまうが、ただ、妹のエリーザベトの手が入っていない原の状態にもどしたもの)。理想社のニーチェ全集は、現在、ちくま学芸文庫になっている(「反キリスト者」)。
ニーチェの読解は、この最晩年の「アンチクリスト」、「 偶像の黄昏」「この人を見よ」から入るのが良いと思っている。特に、この「アンチクリスト」が最重要か。
これだけ聡明な人でも、多くの時間を要する、自分の考えがようやく最晩年に見えてくる。何回も何回も敷衍して、ようやく達する(結局、若いときの考えは、教育から得られたものでしかなく、その時代までのエスタブリッシュされたものでしかない。哲学とか芸術とかはそういう意味で時間がかかる。既成の意味から自由になってからでしか始まらない)。
ニーチェの若いときの本とそれほど矛盾はないが、「アンチクリスト」を読んで初めて(それまでの著書のそれぞれの意味が)何を意味しようとしていたのかが見えてくる(ニーチェもそれに気づいたのだろう。この書を完成して「私は私の全生涯に感謝せずにはいられようか」とまで書いている)。
結局、ニーチェは、徹底的に、キリスト教を考えた人。そしてキリスト自身を考えた人。これは重い。非常に重い。おそらくキリスト以降で最大の理解者だったかもしれない(反キリスト者に最大の理解者がいた。ドストエフスキーもそうか)、最もキリスト自身を愛した人かもしれない。だから尋常ならざる超えがたい本になった。



















生のエネルギー    投稿日:2005年06月25日 土曜日

誰の説か忘れたが(バタイユかどうか、フロイトの要素も入っているかもしれないが)、
人間という存在を、生殖のため以上の過剰エネルギーを与えられてしまった存在として、その過剰エネルギーを「エロス※」、その文化現象を「エロティシズム」という言葉で説明しようとする。このことに関しては、実は大きな違和感を持っている。
この「過剰なもの」は、(生殖だけではなく)「生存」のために必要なものだったのだろう。それだけ大量のものを原始では必要としていた。それが文明が進むにしたがって、それに余りが生じ、過剰なものとなってきた。それが他の動物にはない人間だけの文化を創りあげてきた原因だろう。
しかし、この「生存」また「生」に対する「過剰なもの」は、エネルギーに換算できるようなもの(体力的なもの)だけではなく、エネルギーには換算できない大脳新皮質の存在に由来するものが大きい。おそらくエネルギー・力では他の動物に負ける。時速50〜100km/hでは走れない。熊と虎と格闘して勝てる力もない(大脳新皮質が考案した道具があれば別だが)。
人間だけに、特有の「過剰なもの」があるとしたら、それはこの「大脳新皮質(それもその大きさ)」に原因するものだろう。
この「大脳新皮質」は「生殖」のために生まれてきた機能ではないだろう。生殖を考えた場合には大脳本体(旧皮質)だろう。
そう考えると、「大脳新皮質」の誕生を解き明かさない「エロス」「エロティシズム」では、人間人類の文化現象全体を説明するのには無理があると思う。
確かに、「エロティシズム」という概念は、大脳本体からの「生殖」に関しての信号を大脳新皮質というフィルターによって屈折させられてしまったものの解明にはなる。これは確かに人間独自のもの、特有のものだ。だが、決して人間の文化活動全体を解き明かすものではない。
若いときには、創作は「エロス」のエネルギーだと思っている人が多いかもしれないが(若い時は、過剰エネルギーのうちでも、確かにそれが勝っているが)、どうもそれだけではない。また、創作活動においてもそれがしばしば邪魔になるときさえもある。歳とともに、(それだけではない)それではない要素が大きく膨らんでくるのがわかる。それが人生の楽しみでもある。

※プラトンの「エロス」の意味では使っていない。「生殖」「異性」に対するものとして、ここでは限定している。


前提となる話を飛ばして語り始めたが、
プラトンの「エロス」の意味としての、
人間は「欠如存在」、つまり人間は本質的に「欠如」をもつ存在。
これに対して、
人間は、必要以上の「過剰エネルギー」を与えられた存在。

僕は体験的には、後者の概念規定を選ぶ(バタイユと同じ)。
若いときの体験が特にそうだった。エネルギーが有り余っている。
ただ生きる上では不必要なくらいの過剰なエネルギーだ。
現在でも、それはそれほど変わらない(上述のように内容は変わってゆくが)。
「欠如存在」なら最終時には、取り込まれて終焉(ゴール※、ゴールは墓場か)なのだろうが、
「過剰存在」なら終焉を持たない(拡大の一途か)。

芸術において、この選択というか、この方向性は、基本的に違うものを生み出す。
この選択は根本的な話だ。

そして、(後者を選んだ場合の)第二の選択として、下記の問題、つまり
この「過剰エネルギー」は、何に由来するか。
「生殖」のため以上の過剰エネルギーなのか
「生」に対する「過剰なもの」なのか

これも、私は、後者を選ぶ。
なぜなら、前者では
「大脳新皮質」の誕生の秘密を解き明かさないからだ。

※それは安住地であれば良いが、たいていは幻影か、幻影でない人もいるでしょうが。


バタイユは、過剰なエネルギーに関して
太陽エネルギーのことを書いていたが、
僕は、宇宙・自然からの膨大な(情報含めて)エネルギーを受け止めるために「大脳新皮質」が誕生したと思っている。
歳月とともに、既成の知の枠組みから自由になればなるほどに、それを受けとめる量が増大してくるように思われる。



















創造的教育    投稿日:2005年10月04日 火曜日

○「頭」のいいとか悪いとかというという問題より、
感受性とそれを的確・正確に表現する能力でしょう。
余りにそれが鋭いと人間社会で(また人間として)幸福になれるかどうかわかりませんが。


○大抵のことは、歳をとればわかってくる。
それが若いうちに、経験もせずにわかる人がおって、そういう人が若いときはうらやましくも思ったが、そういう人もあるところでその成長がとまって普通の人になる。こういう人は結構多い。逆に、若いときはさほどでなく、鈍いくらいな人が歳とともに発展して見違えるようになる人もいる。
時間をかければ解決する問題は、若いときにできなくても良いというか、急ぐ必要もないことに、この歳になって気づく(若い人たちに、「年の功は大いに期待すべし」で、そんなことで焦る必要はまったくなく、ほったらかしておいても良い。そういうことが大変多い事にも気づく。大抵の「表現技術」はそういうたぐいのものだが)。

たた、歳をとればわかってきて解消してしまう問題と、すまない問題があることにも、この歳になって気づく。
経験によらない純粋直観というものたが、これは経験によるものではない。逆に経験すればするほど鈍くなるというか(普通の感覚になじんでしまって)発見できなくなるというか。これが実は一番重要なのだが。

だから、
「経験で解消できないものを創りなさい」
ということなのでしょうが。


○この問題を「相対的優秀」と「絶対的優秀」で分けて考え(蓮實重彦氏は「相対的優秀」と「絶対的愚鈍」での区分です)、「相対的優秀」と「絶対的優秀」を「経験的総合判断」と「先験的総合判断」とにさらに分けて考えればカントにゆきつきます、「相対的優秀」についての経験概念を「経験」→「経験数」→「年の功」「歳をとる」にたとえたわけで、
結局、「相対的優秀」は「年の功」によって乗り越えられるということ(逆に言えば、神童も15過ぎればただの人になるということ)。
「年の功」「経験」によって乗り越えられないものを、志向すること。

「絶対的概念」を思考する伝統が、西洋ではギリシア以来あったが、この国では明治以降特に文明開化を急ぐあまり「記憶」と「頭の回転のよさ」とかの「(促成・速成・即製的な)相対的優秀」を重んじてきたということでしょうか。

結局、真の創造的教育があるとしたら、
感受性とそれを的確・正確に表現する能力、そして感受性から正確に得られた内容(情報)から構築する能力の育成、の教育でしょう。それが「絶対的愚鈍」の教育かもしれません。
ある先生は、僕らの学生時代に、「(個人として情報を絶つ意味での)鎖国しなくっちゃ」とよくおっしゃっていた。借り物でない自分自身の内部からの構築をしなくっちゃという意味だが、先生の当時の歳になってきて、思い出される)。

結局、それしかない。
そのスタートが早いか遅いかで、人生が決まる。
最初は大変だが、
すべて自分で構築していくことの方が最終的には早い、
ということにこの歳になって気づく。


○>すべて自分で構築していくことの方が最終的には早い
ここで、感受性の対象となるのが、人の描いた・書いた・創ったものだと、その描いた・書いた・創った人の段階で誤差(正確さに欠ける)がある可能性がある。
だから、さらにその原典いや源泉に当たるしかない。
それは「自然」だ。
結局、その「自然」からダイレクトに自分(の感受性)で構築していくしかない。
それが結局一番早道か。

若い時はその遅々とした作業に焦りを感じ、安直な方法を選んでしまう。
その方法に焦りを感じずに、悠久の時間に身を置くことに慣れ、それしかないと諦めるまでに多くの時間が掛かる。しかし、それでしか始まらないのだが。


○「相対的優秀は、常に、絶対的愚鈍の前に敗北する。」
いや、
「優秀という相対性は、常に、愚鈍という絶対性の前に敗北する。」
どっちだったか?
また、
「日ごと、私は、知性というものに大した価値を認めなくなりつつある。
知性が、現実の再創造という、芸術のすべてに相当する行為において、全く無力だとの思いを深めている。
芸術の唯一の素材となるものに到達できるのは、知性の埒外でのことでしかない。
芸術家は単独で生き、目に見える事物の絶対的価値など問題にせず、もっぱらおのれの内部にのみ価値の尺度を置くものだということが、知力自慢の人々にはわからないのである。
人生の残り時間も数えるほどになったいま、わざわざ知的な仕事をするというのも、あまり実のあることとはいえそうもない。」
プルーストでしたか。


○>それは「自然」だ。
実は「自然」といった場合、外部の「自然」と内部の「自然」、
内部の「自然」といった場合、特に体の中、頭の中の巨大な「自然」いや「宇宙」といった方が良いかもしれないが、
体の中・頭の中の巨大な自然=宇宙、それと外部の(これも巨大な)自然=宇宙が反応し合う、それが本来の「自然」なのかもしれない。



















均質な空間 (完全他者 0)    投稿日:2005年12月17日 土曜日

僕らの、建築デザイン・都市デザインにとって、「均質なデザイン」というものは近代のひとつの革命だった。
「均質な空間」は、すべてを飲み込む=多様性を包含する(=自由を包含)(=また平等性という理念の裏打ち)。
「均質なデザイン」=ユニバーサルデザイン=インターナショナルスタイル(共通の言語)だ。
近代産業主義はこの共通の言語(インターナショナルスタイル)によって世界中に普及した。
第二次大戦まではヨーロッパが、第二次大戦後は、特にアメリカが、一番の役割、推進役を果たした。

自由平等の原理(多様性の包含)→ユニバーサルデザイン=インターナショナルスタイル=「均質なデザイン」
見事に結びついた。というような「近代デザイン」「近代空間」講義が成立した。
しかし、「均質な空間」に少品種大量生産(「大農法」も入る)の近代産業主義(工業化)資本主義を読むことも、
「中心の喪失」を読むことも、
アリストテレス求心空間からニュートン無限等質空間への転換を読むこととも可能。
確かに、産業革命からス20世紀の「エピステーメー」として「均質な空間」はありうるかもしれない。

30年近い前の大学生頃にまとめたものですが、http://www.iau.jp/k/bigaku_1.htm の中で
均質性の問題と、多様性の問題を扱っています。
「神の死=中心の喪失」から「均質」そして「多様な神」の到来(ニーチェ・P・クロソウスキー)、
生産様式としての少品種大量生産から多品種少量生産、
情報伝達も携帯電話・インターネット等で
多対一(=均質性)の時代から、多対多の中での一対一の時代へ。
単純にはいえないが、多対多、多対一、一対多、という多様性の方向に向かっているのではと思います。

しかし、後述のように「完全他者」を持たない時代様式、それゆえに、弱さをもった時代様式だ、と言えないこともありません。



弱さがあるとするなら完全他者をもたないその一様性ゆえ(完全他者 1)    投稿日:2005年12月17日 土曜日

結局、自己の発展は、自分の中にどれだけ、他者を認められるか。それが多ければ多いほど、発展がある。
「大発明」「大発見」は、結局、他者との遭遇(ある出来事によっての自分の中の「他者」の大発見かもしれないが)によってしか生まれない。それも完全他者との遭遇ほどその可能性がある。
その「他者との遭遇」が多くえられる環境に身をおくこと。若いときにめざしたことですが(「青年は荒野をめざす」ではありませんが)。そしてその後の「鎖国」によって熟成を待つ、なのでしょう。
それはまた「日本の伝統」でしょう。

若い時期(青年期)、出発時における、
多く「他者との遭遇」、それも完全他者に近い「他者との遭遇」が得られない場合は、(「鎖国」という熟成後においても)「弱さ」になる。
日本においても、個人においても。



漱石 1 (完全他者 2)    投稿日:2005年12月20日 火曜日

漱石は、49歳で亡くなっています。
33歳〜35歳までイギリス留学、作家としての活動期は、37歳〜49歳、わずか13年。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~kimura/snenpu.htm 参照。
2年間の留学後(完全他者に近い「他者との遭遇」)、1年余りで執筆活動に入り、13年間活躍。
作家としての活動期間は余りにも短い。


漱石の留学について、
おそらく、英国留学中の漱石は、身近な友人(正岡子規など)を離れての、完全他者のなかで、「他者との遭遇」と同時に、孤独な環境によって、一種の精神的「鎖国」だったのでしょう。そして、有名な「文学論」の著述に没頭できた。
「完全他者との遭遇」であり、同時に「鎖国」であった。あまりに実りの多い留学であった。


近代というのは、「個人」
「我思うゆえに我あり」という思考をする「個人」なんですね。
そこには他者が存在しない。「個人」没入型なんですね。
そういう意味で、
漱石の「近代」があるとするなら、
(個人に没入しはじめた)「留学」から、だろうと思います。
日本において、「個人」=「近代的自我」というかたちで、初めて「近代」が始まった瞬間だったのかもしれません。
近代以前の社会に、「近代的自我」が存在する。そこには当然、軋轢がある。神経衰弱になる。胃潰瘍を患う。それらが漱石を死に至らしめた。
それは日本にとって、その後の歴史を考えますと、非常に不幸なことであった。

とまで考えるのですが、果たして、「近代的自我」の誕生であったのかどうか。そこを検証しようとしていますが、読めば読むほどに、悩んでしまう。


「近代的自我」といった場合、
ポール・ヴァレリーの「テスト氏」(1896年)「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法」(1895年)を思い出す。
ヴァレリーは、1871年生まれで、マルセル・プルーストと同年生まれ。
漱石(1867年〜1916年)の4歳下。ほぼ同世代。

ボール・ヴァレリーの「テスト氏」は、1896年
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」は、1913-27年

同世代作家のそういう影響は全くないのだろうか。
あるとするなら悩んでしまう。
影響がない状況が存在するとしたら、その後進性にもまた悩んでしまう。



ヘーゲル/漱石 (漱石 2、 完全他者 3)    投稿日:2005年12月23日 金曜日

「他者との遭遇」的環境と鎖国について
「近代的自我」育成のために、自分で掘り下げる時間はあればあるほどよい。とてつもなく長い時間を要する。「近代的自我」育成のためには、「鎖国」に近い時間をある一定時間以上を要する。
また、上記の完全他者に近い(完全他者に近ければ近い程よい※)「他者との遭遇」的環境に身をおいても、自分を掘り下げ見つめなおす時間に、つまり「鎖国」に近い状態が得られる。頭の活性化が得られながら且つ自分を掘り下げ見つめなおす時間にもなる。

※完全他者をまた「神」とも言う。この「神」は自分の中の神にもなる。全知全能ではないが、自分に全くないものをもった存在である。ヘーゲル的に言えば「止揚」の条件たる否定の神でもある。


そのために、青年は荒野(完全他者的環境)をめざす必要がある。自分の中に「他者」の存在を得るために。場合によっては完全他者という「神」の存在を得るために。
不幸にして、それを持ちえない場合、成熟後において致命的な「弱さ」を包含することにもなる。
幸運にして、多くの他者、それも完全他者を多く獲得できた場合、頭の中に、きらめく神々によって巨大な「宇宙」が出来上がる。

そして、森羅万象の他者を取り込むこと。
それは「絶対精神」に通ずる。



デカルトとヘーゲル/漱石 (漱石 3、 完全他者 4)    投稿日:2005年12月24日 土曜日

デカルトは自己だけの世界。
ヘーゲルには他者の存在が大きく介在する。
この変化は、何を意味するのか。

自然は合理的に割り切れるものと考える(円環で閉じている)。
しかし、次の時代の大発見によって、その合理性が大きく変わる。パラダイムが変化する。
自然科学自体も、実は不連続性を持っている。
激動の時代に生きていると、その不連続性に直面する。
連続的な静的な歴史認識(円環で閉じている)と動的かつ不連続な歴史認識(閉じきれない)。
どうも僕らの時代はダイナミックな不連続に直面して何回もそれを乗り越える必要があるようだ。
その場合には、(フランス革命及びナポレオン戦争に遭遇した)ヘーゲル的な見方の方が時代にあっている。

漱石も江戸から明治という大きな激動の時代にいた。



デカルトとヘーゲル/漱石 2 (漱石 4、 完全他者 5)    投稿日:2005年12月25日 日曜日

以上のように、
「鎖国とか、他者の問題とか」を、
デカルト(鎖国)とヘーゲル(他者の問題)に、掛けていたわけです。
すなわち、
デカルト →「鎖国」→ 我思うゆえに我あり。我だけが物・認識の出発の拠点。
ヘーゲル →「他者の問題」→ 他者(否定)を介在した弁証法。
そして、それを漱石の「留学」の意味に、またその後の話にも、引っ掛けていたわけです。
確かに、デカルトには「内向的」な側面を持っていますが、全ての認識の根拠、基盤を明らかにしようという戦いです。それが「近代」の始まりです。
ヘーゲルは「世界認識」(いや「絶対精神」)につながる、次の段階の論理的解明だったのでしょう※。


※ヘーゲルの他者を完全他者とすれば、歴史の不連続を意味するが、そこまでの射程は無く、フーコー、クーン等の歴史不連続論になる。 ⇒ フーコーの「歴史の不連続」、ヘーゲル弁証法を超えて



















人間存在    投稿日:2005年12月25日 日曜日

もし、人間が地球環境を破壊しているとしたら、「人間だけが特異な存在」※という「人間中心主義」的な思い上がった(人類史的にはほんの瞬間的な非常に最近の)この数百年かの(近代現代哲学等の)認識論の問題だと思います。
※しかし、現代の生命科学は、その思い上がりを破壊し、アメーバーの延長上でしかない「人間」、サルとほんのわずかしか違わないDNAをもった存在であることを明らかにしています。

そして、その閉域(デカルト的閉域)をこじ開けるには
人間は、多くの他者、それも完全他者との遭遇を最大限求めるしかしようがない。
そして、前述のように、
「森羅万象の他者を取り込むこと」
それも大自然の声に最大限耳を傾けるしか
それしか方法がないようです。

この認識論の閉域(デカルト的閉域)の打開の話は、
フーコーの主著の「言葉と物」の「人間の死」(「賭けてもいい、波打ちぎわの砂の表情のように消滅する」)の話ともつながります。
ニーチェの(「さる→人間→超人」では進化論的で誤解を与えますが)超人=「大地の意味」にもつながります。

神の死→人間の誕生→人間の死→超人

神=「完全他者」と考えるなら、
神(完全他者※)の死→(デカルト的近代的自我をもった)「人間の誕生」。
そして「人間の死」から「超人」の誕生は、
「完全他者」の復活(認識)の話。その場合の「完全他者」とは、「大地(自然・地球・宇宙)」ですか。
※中世的「神」の死とともに「大地・自然・地球・宇宙」に対する怖れを持たなくなった。「理性」によって完全に把握できるという認識論。その瞬間に思い上がりが始まった。

話をわかりやすく書くと、卑小になりますが、「完全他者」の話は、現状の認識論(デカルト的主観に基づく認識論)では絶望的に近い。

結局、人間は、自己の中にも完全他者を発見し、外部にも完全他者の声を聞きつづけ、日々包含していく存在か。
大発見、大発明できる人間は、自己を超え出て、完全他者とコミュニケーションできるアンテナが非常に鋭いのか。
これは、ニーチェの、「人間とは自己を超え出る存在」、のもうひとつの意味か。

すなわち、外的存在を契機として「自己を超え出る存在」。

その契機的存在としての、外的存在、特に「完全他者」を
古代(キリスト以前の)では「神」と言った。
ヘーゲルは、それを「絶対精神」に至る契機的存在、
ニーチェは、それは「大地」「ディオニュソス」「エス(無意識)※」と言った。

※「精神分析入門」の中で、フロイトは「エスは、ニーチェの用語だ」と言っている(後期のフロイトは無意識をエスと呼ぶ)。現在、その言葉は卑小化された意味を持つ言葉となりつつある。


「人間存在が超え出てゆく存在」なら、持続的時間のみがそれを可能にする。

結局、時間のかかっていないものは、いや、「超出」が繰り返されていないものは、上っ面であり、本物でない、偽者であるおそれを十分にもつ。
本物には時間がかかる。本物には時間が味方する。時間は本物にのみ味方する。時間は偽者の化けの皮を剥がす(永遠回帰)。

相対的優秀と絶対的愚鈍の比較論(永遠回帰の変奏・変相・変装)は実はここにあった。
絶対的愚鈍は「本物」なのだろう。相対的なものでは当然なく、優秀とかそういうジャンルのものでもなく、ただただ、時間に勝てるものなのだろう。
絶対的愚鈍は、永遠回帰という時間の中で勝てるものなのだろう。


人の生(死んだ後も)は円環運動のように永遠に繰り返すとニーチェは言う。
夢、無意識は永遠回帰だと思うと同時にそれはまた篩いだと思う。
繰り返し繰り返し、同じもがたち現れる。同じことが繰り返される。
しかし、それに耐えられるものだけが生き残る、
生き残ったものが、また繰り返されて、それに耐えられるものだけが、また生き残る。
毎日毎日それが繰り返される。夢・無意識の中で。

同じことを年数を重ねれば重ねるだけ、(覚醒した時間だけでなく)夢・無意識の中で、すさまじい繰り返しが行われる。
そのすさまじい繰り返しの中で生き残ったものだけが「本物」なのだろう。
それは絶対的愚鈍の世界。それは永遠性につながる。

若いときは、「純粋直観」を評価したが、どうもその直観が、ある年齢から、疑わしく思えてきた。
これは教育によるものでないか、誰かが書いてあったことを今思い出しだだけのことではないか。
「純粋(何かに拠って立たない)」と言えるものなのかどうか疑わしく思えてきた。
そこで、「外(完全他者であればあるほどよい)の思考」を必要とした。自分のなかの様々な観念の相対化の作業。
しかし、それでも不十分だと感じた(いや、下手をすると自分の基盤さえも脆弱にする)。
そして、結局たどりついたのが、夢・無意識を味方につける。夢・無意識という永遠回帰にゆだねる。夢・無意識という永遠回帰にゆだね、篩いをかける、という方法に。
そのためには膨大な時間がかかる(そのためには時間(=寿命)がほしい)が、
これは、近代の理性主義的方法とはまったく違う、対極の世界・方法なのだ。


「純粋直観」と言った場合、睡眠・夢・無意識の中での思考がそうだと思うようもなってきた。
朝起きたら、寝る前の問題が解決している。それも見事に(「時間を超えた有効性を持つ」という意味で)。
そういう能力を鍛えること、それが新しい人類(「超人」)か。
ニーチェの「超人」は「大地の意味」。「大地の意味」→旧皮質→無意識。そんな感じか。
そしてこの旧皮質による思考、それは、自然・大地につながる(他者とのつながりも入るか)。

自然・大地とのつながりを失って行く過程が「近代=理性崇拝」だったという事。そういう意味で、「超人」とは、旧皮質・無意識の活性化による人間の本来もった全体能力の回復という事か。
「無意識の能力を顕在化しなさい、有効に利用しなさい」ということか。






2006年

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ハイデッガー「ヒューマニズムについて(1946年)」 (セザンヌ 6)    投稿日:2006年02月23日 木曜日

以前、ハイデッガー著の「ニーチェ(1936年)」「形而上学入門(1933年)」について、ほんの少し書いたが、その後の本で、ハイデッガーの後期に位置する本。こういう本が文庫版・新書版で出てくるのは本当にありがたいことだ。3著ともに読みやすいが、これは書簡なので、特に読みやすい。サルトルの実存主義への批判とその違いを明確に述べている(構造主義者、ポスト構造主義者に影響を与えた)。
歳をとると、若いときに読んでわからなかった本も自然とわかってくる(読まなくても済む本も多くなってくる)。歳をとらないと、哲学などは本当にはわからないものかもしれない(年の功と言っても、これは経験というより、それだけ多くのことを考え、またそれらの蓄積の結果なのだろう)。若いときに無理に読む必要もないことかもしれないが、古今東西の先人の思考、知恵を学ぶには「哲学書」が一番手っ取り早いということはあって(若いときには特に)重宝なものかもしれない。しかしそれが本当にわかってくるのには多くの歳月が必要。
人間の(本当の意味での)成長(精神の成長というべきか)は遅々としたものだ、ということをこの歳になって実感している。

この、「ヒューマニズムについて(1946年)」と サルトルの「実存主義はヒューマニズムである(1945年)」(邦訳:人文書院「実存主義とは何か」) とは同時に読んだほうが良い。
この「ヒューマニズムについて」は戦後フランス思想界に多大な影響を与えた。
このちくま学芸文庫の渡辺二郎訳の本書は、訳も非常に良く、豊富な注と解説(この本の6割以上を占めている)もあり、お奨めの一冊。

この「ヒューマニズムについて(1946年)」で、面白いと思ったのは、セザンヌ(ハイデッガーが最も評価している芸術家)のエクス・アン・プロヴァンスへの、ハイデッガーの旅行の話が、書かれている。
ハイデッガーの「存在」はよくわからぬ概念だが(ハイデッガー本人も晩年にいたるまで概念規定を少しずつ変えている。が、構造主義者にとっては「構造」のインスピレーションを与えられたのかもしれない)、
この話で、ハイデッガーの言う「存在」が、「体で」わかったという気がした。
また、セザンヌがなぜあれだけ(ヨーロッパ人に)評価されるのかも同時にわかったような気もした。
それだけでも読む価値があった本だ。

ちなみに、セザンヌは51歳にエクス・アン・プロヴァンスに隠居。そして近代絵画の冒険が始まった。
ハイデッガーに言わせれば、「存在」への冒険だった。

ハイデッガーの「存在と時間」で、「現存在の本質は、現存在のエクシステンツ[実存]にある。」
と言っているが (サルトルの解釈の「実存は本質に先立つ」は本書の解釈の誤解※だとハイデッガーは言っている)、
ハイデッガーのエクシステンツとは、「存在へ身を開き、そこへ出で立つあり方」のことを言っており、
要するに、
「人間の本質は、人間のエクシステンツ[実存=存在へ身を開き、そこへ出で立つあり方]にある。」
ということになる。

まさに、セザンヌは、「存在への冒険」をしたことになる。



















創作論・作品論    投稿日:2006年03月10日 金曜日

最近になって、芸術・美術に対して、
本当の驚きをあたえてくれるものかどうか。
そして、その驚きの根源として、その芸術・美術家がどこまでわかっているかどうか(観えているかどうか)
という視点で見ていることに気づいた。
結局、「わかっているか観えているか、そしてそれを表現できているか」ということなのだろう。
まずは、どこまでわかっているか、観えているか、なのだろう。

自分自身を振り返ってみても、それしかやってこなかった。
「わかっているか観えているか、そしてそれを表現できているか」
特に「どこまでわかっているか、観えているか」を。

それがないと始まらない。
結局、作品の価値は、その作品が(マクロにしろミクロにしろ)「新しい世界観」、「新しい(ものごとの)地平」を提示しているかどうか、にかかわっていると。
そして、それがわかり表現できるまでは、すべて習作。
だから、まだ作家活動はしていない、ということになるのだろう。


若いときはその人の可能性だったが、
この歳になってくると、
一貫性を見られて評価を受ける。
10年前、20年前、30年前何をやっていたか、何を主張していたか、
その一貫性を見られ、総体を見られて評価を受ける。

過去に縛られたくない、日々、「革命」だ(岡本太郎みたい、いや、彼は「爆発」だった)、「発見」だと思っていても、(長い年月を経て)通しでみると一貫性があり、収斂していく。
実は、そういう(長い歳月を経て収斂していくという)考え方が嫌だったが、やはり収斂しているのだろう。
何に収斂していくのか。それだけを結局は見られているのだろう。
嫌な話だが。


「一作品にひとつのテーマ」(それ以上は入れるなと言うことだが、それは技量がないときは当たっていることもあるが、所詮卑小な話だが)
という先生がおったが、その先生に従えば、
「ひとつ作家の人生にひとつの収斂点」
ということか。つまらないケチな話だ。


そういうケチな考え方に対する反発からか、
収斂点=終焉点(自己満足的自己完結型)でなく、その人生の到達点から「新しい世界・宇宙」が拡がる。
それも、そこから始まるもの、受け継がれていくものが、大きければ大きいほど良い。
そのことを学生時代の最初の頃に一番感じた。
そして、
「新しい世界観、新しい地平を!」
と言っていた。
その結果として、前述の
作品の価値は、その作品が「新しい世界観・宇宙観」「新しい地平」を提示しているかどうかにかかわっている。それもその提示している「地平・宇宙」が大きければ大きいほど良い、ということになっていく。


「ひとつ作家の人生にひとつの収斂点(終焉点)」について、
大抵の巨匠と言わなくても、大抵の創作家は自分の人生においてその可能性をすべて出し尽くし、燃え尽きる。その後には何も残らないくらいに消尽する。
「巨木の根元には若木は育たず」と言って、ロダンのもとをブランクーシが去っていったが、
大抵の場合、可能性を極限までやり尽くし、創作家は自分の鉱脈を堀りつくしてしまう。それが芸術の可能性の場合の、一般的な話かもしれない。
それがセザンヌは違う。
その人生の到達点から「新しい世界・宇宙」が拡がった。

可能性を全て掘りつくし消尽する作家と豊穣な世界・宇宙を後世に残す作家との違いは、どこにあるのだろうか。
これは、学生時代の探求のひとつだった。


時代(の可能性)の閉域が見えて、時代が閉じようとしている時に「体系※」は書ける。
哲学で言うと、ヘーゲルの時代=体系が書ける時代は、まさに時代が閉じようとしていた時代だったのかと思うときがある。
それは体系家にとっては幸せな時代かもしれないが、時代の可能性が閉じ始める(可能性の限界が見えはじめる)時代に移行することを意味する。

時代を開く役割と、時代を閉じさせる役割。
できれば、前者でありたいと思いながら、「体系」を書きたいという思いにも強く襲われるが、その人の役割は時代が決定してどちらかなのだろうが、
それを超えられないものなのかということも、学生時代からの探求のひとつだった。


※体系=アーキテクチャー(建築)と感じるときもある。
アーキテクチャーをやっていると「体系」を意識する。
過去の時代の「体系」を破壊し、再構築するのが、「創造」なのだということを強く意識させられる。
ただ、建築は、哲学に近く、「体系」が書けるときに「建築」は登場する。
それまで(別のことでもして)待つしかしようがないのかなとも思う時がある。



















バッハの天才とモーツァルトの天才    投稿日:2006年04月29日〜05月04日

バッハのカンタータ全集はすごい。すべてがあるという感じ。
「体系」といった場合、これを連想する。
といっても、バッハは、「体系」をイメージして、作曲したわけではないだろう。
日々の実直な仕事、日常の平凡な?作業の積み重ねが、これほどの非凡なものを創造した。
本当に見習いたいものだ。


日常の平凡な作業の中で、「宇宙」を考える。ハイデッガーの用語では「存在」を考える。中世的な用語では「神」=「万物の創造の原点」=「万物の創造の仕組」(こちらのほうがバッハ的か)を考える。
「体系」といった場合、この「万物の創造の仕組」といった概念に近いのだろう。

バッハの天才は、おそらく「万物の創造の仕組の探求」にあった(バッハ(1685-1750年)同時代のニュートン(1643-1727年)が代表する)。
それも日常の地道な仕事の中で、非日常(→宇宙の神秘)を探求した。

モーツァルトの天才は、日々の非日常の生活の中で、実に「人間的なあまりに人間的な
もの」を創造した、と考えると、あまりに対極的か。


>その人生の到達点から「新しい世界・宇宙」が拡がった。
可能性を全て掘りつくし消尽する作家と豊穣な世界・宇宙を後世に残す作家との違いは、どこにあるのだろうか。(上記:2006年03月10日

バッハが台座を作り、モーツァルトが花を開かせた。
しかし、最近、「花を開かせる」ということは、「可能性を全て掘りつくし消尽する」とういうことと同義だということに気づいた(これは事業やっているからなのだろう。事業家の視点でも見るようになったからだろう)。

作家の才能が枯れるということは、実は無く、テーマを掘り尽くしてまったと考えるべきか。テーマが小さすぎたというべきか。
もともとの鉱脈が小さすぎたというべきか。
実は、鉱脈探しが人生の大半かもしれない。鉱脈を探す作業。それを十分せずにやると、途中で挫折する。
モーツァルトほどの才能があった場合、相当に大きな鉱脈でもすぐに掘り尽くしてしまう。30歳台ですでにそれを感じたのだろうか。

バッハの強さは台座をつくった強さ、というより、宇宙と対峙し、宇宙の神秘を解き明かそうとする意志の強さ、また発見者の強さか。
鉱脈といった場合、人の創ったものには限界がある。
宇宙からの発見は、無限の広がりをもつ。

バッハの強さ、にそれを感じる。
モーツァルトほどの才能があった場合には、バッハの道を歩むべきだった。
しかし、現実のモーツァルトは、「人間的なあまりに人間的なもの」を選択した。


中世から近代への過渡期というか「近代科学誕生の瞬間」は、面白い。
中世の「神」から「宇宙」に対峙する。
ダビンチ→ケプラー・ガリレオ・ニュートン(1643-1727年)(17世紀は「天才の時代」といわれる)。その流れの中に、バッハ(1685-1750年)がいる。
モーツァルト(1756-1791)はというと、「市民革命の時代」「大衆の時代への夜明け」へ、時代は移りつつあった。
バッハの時代には、「神」、「宇宙」への対峙があった。
モーツァルトの時代のテーマは、「神」から「人間」へ、なのだろう。
そして、モーツァルトは、時代の申し子だった。

17世紀を「天才の時代(近代科学誕生)」
18世紀にかけてを「理性の時代」
と考えた場合、
バッハ(1685-1750年)はそこに位置する。
モーツァルト(1756-1791)は、次の「人間の時代」に位置している。やはり天才だけあって、19世紀以降を先取りしている。

フーコーの主著の「言葉と物」で、19世紀以降のエピステ−メは「人間」といっているが、最終章の最後のくだりで、
「賭けてもいい、波打ちぎわの砂の表情のように消滅する」と、「『人間』の死」を予告するが、
「神」から「人間」への時代の移行期が、「天才の時代」または「理性の時代」とするなら、
次の「人間の時代」の「危うさ」を、
モーツァルトを聞いていて、なぜか、感じた。



















芸術の「意味」について    投稿日:2006年05月10日 水曜日

「人はパンのみに生きるにあらず」で
直接的に表現することを職業としていなくても
人生全体で、人は、何かをあらわしている(あらわして死んでいく)。
それを、継続的なもの、さらに専業的なものとして、一日の、人生の、ほとんどをそれに費やし始める人が、現れ始める。

そのような(食うためという目的では活動していない)芸術家は、人類の歴史にとって、本当に新しい現象で、おそらくまだ数百年なんでしょう。
「食うためにではなく」という限定句を入れた場合には、まだ数えられるほどの人しかいないのではないでしょうか。
それは、本当は、恵まれた環境下の人か、本当に強い思いを持った人かのどちらかで、恵まれた環境下の人でも、本当に強い思いを持たねばそれはできないわけで(恵まれない環境下の人でも、本当に強い思いを持っておればそれを実現できるわけで)、そういう意味では「本当に強い思いを持った人」に限られるのでしょう。

芸術活動の根幹には、
「人はパンのみに生きるにあらず」
に起因した大きなものが存在する
と考えるなら、それを追い求めることなんでしょうが、それを「意味」といったら意味なのでしょう。ただ、人生全体を通しての創作エネルギーになる「意味」なんでしょうから、実は簡単なものではない。継続的「情熱」にみたいなもので、その都度「テーマ」「意味」が変わる。その都度の「テーマ」「意味」を求めて、継続しているのではなく、体の奥底に潜む、なにやらよくわからない生的なエネルギーみたいなものが、体を突き動かして、その都度のモチーフを見つけ出し、継続的な表現をしているのでしょう。
結局、「テーマ」「意味」といった場合、時代、自分のその都度の環境・肉体年齢等に大きく影響を受けている。いわゆる「神」といった場合でも、その時代の観念・パラダイムが大きく反映されている。結局、小文字の「意味」、大文字の「意味」もその時代(何百年のパラダイム的なものもある)の影響下でしかない。
それに染まってしか人間は考えていないかというと、心の奥底ではそうではない大きな領野(絶対的に確かな、言い換えれば、絶対的に愚鈍な領域)がある。
(本来の自然な心から生まれる芸術は)その解放かなと思うときがあります。



















フーコーの「歴史の不連続」、ヘーゲル弁証法を超えて    投稿日:2006年08月17日〜20日

フーコーはヘーゲル弁証法の破壊をめざした。
「歴史の不連続性」は、ヘーゲル弁証法の破壊だったのだ。
トーマス・クーンのパラダイムの不連続、フーコーのエピステーメーの不連続は、
つまるところ、歴史の不連続、つまり、ヘーゲル弁証法の否定だったのだ。

何回も、ヘーゲル弁証法的世界に異を唱えることをこれまで僕も書いてきたが、
これは実感としてのことなのだ。
つまり、小発明と、大発明の差なのだ。
小発明は、パラダイム内にとどまるが、大発明は現パラダイムの破壊、超越(逸脱)なのだ。

つまり、小発明は、現思考の系列内にとどまるが、大発明は現思考の系列内にとどまらない。つまり(当時の)思考の系列からの逸脱、破壊、超越なのだ。


ヘーゲルの弁証法、精神の弁証法、
一個人の精神の(連続的)発展史を、人類の歴史全体に置き換えるは、無理がある。
しかし、トーマス・クーンのパラダイムの不連続、フーコーのエピステーメーの不連続を、つまり「歴史の不連続」を
逆に、一個人の精神の(不連続的)発展史に置き換えることは、可能なのだ。
すごい体験をした場合、このことは起こりうる。
今までの全てを捨て去る必要があるような体験、
全てが通用しなくなるような体験、
そして全く新しく出発せざるを得ない体験、
つまり、「(準)完全他者」との遭遇をした場合に起こりうるだ。

どうも「芸術家」はそれによって誕生する。
新しい「芸術」はそれによって誕生する。

ルネサンスというのはどうもそういう体験、遭遇を経て誕生しているようだ。


なぜか、フーコーは
歴史上の最も大きな不連続、
中世とルネサンスとの間の大不連続について書いていない。
「言葉と物」は、ルネサンス後から始まる(16世紀から20世紀まで歴史)。
最初読んだときに最も奇妙に思った。期待を裏切られたという感じだった。

何か大きな違和感がないと、創造の原因にならない。
それが大きければ大きいほどに、大きな創造エネルギーとなる。
表現の源泉というか、終生持続する閃きを考えた場合、
その違和感は、それも克服できないほどの違和感だろう。

ヘーゲルの弁証法では、不足を感じていた。
フーコーに魅力を感じたのは、このせいだろう。
しかし、どうも違う。


ヘーゲルの弁証法が、小発明の話とするなら、
フーコーのエピステーメーの不連続は、
大発明の話、
という期待をもって、
フーコーの「言葉と物」を読む。
当然、歴史の大断絶、
中世からルネサンスの大断絶が
最終的には主題になる、と期待して読むわけだが(学生時代の話)。

実は、(「神の死」の話はなく)「神の死」の後の「人間の誕生」と「人間の死」とが主題。
そしてニーチェ以降が書かれていない。「人間の死」以降が書けていない。

もうひとつ(これはもっと重要なことかもしれないが)、フーコーの構造に問題があるとしたら、(前の構造から次の構造)への変換法則がわからない。
フーコーの構造主義に対して、「構造なき構造主義」と言われるゆえんなのたが。
その構造変換規則は?と言われるとフーコー本人もわからない。
実はベースをニーチェの
「神の死」→「人間の誕生」→「人間の死」→「超人の誕生」
を置いている(だけな)のだ。


歴史は不連続だとするなら、
現システム(現思考の系列)に大きな違和感(絶対的愚鈍)を持って生まれてくるかどうかにかかわる。
そして、その人の自己実現は、新システム(思考の新系列)の誕生となる。

一人一人の生は、新しい意味(形而下的形而上的)の創出、
と思うときがある。

そして、(無限に近い)生の多様性を考えると、
形而上的世界は、多義的豊穣なる世界か、
と思うときがある。

つまるところ、「歴史の不連続」は、「形而上的世界=多義的世界」につながるということなのだろうか。


「歴史の不連続」は、相対的差異のことを言っているのではない。
ヘーゲル弁証法では、絶対的なジャンプはない。相対的差異なのだ。

この話は、以前に書いた、相対的優秀と絶対的愚鈍につながる。
相対的優秀と絶対的愚鈍はこの話がベースにある。
結局、歴史の不連続を作り出すのは、絶対的愚鈍だということ。

相対的優秀の教育に、我が国では明治以降邁進してきた。
その教育過程で、人は、絶対的違和感を喪失してしまう。
絶対的違和感を持ち続けること、それを大事にしてこなかった。
より創造性が求められる今後において(多様性の話とも絡むが)、この点が、一番の大きな課題になるだろう。






2009年

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大転換期の芸術 1    投稿日:2009年10月31日 土曜日

建築界は2年以上続いている大不況(昨年のリーマンショック以前に、その前年の6月の確認申請の改正のため大不況が2年以上となっています)のため、
悲鳴を上げている人が続出しています。
今までの中でも最大級かもしれません。但し、僕達はオイルショックを経験していない(学生時代だったので)。

戦後生まれの僕らの世代は、戦争も経験していないし、1929年の世界大恐慌も経験していません。
僕らの世代と20世紀の大巨匠の時代を比較してみました。
彼ら(ライト、コルビュジェ、ミース)は、世界大戦を2度経験し、1929年の世界大恐慌も経験しています。
特にドイツ人の、ミース・ファン・デル・ローエなどは、第一次世界大戦に負け、敗戦による賠償金で1マルクが10か月程度で10億マルクになる超インフレの時代、1929年に世界大恐慌、そしてナチスの台頭、そしてアメリカへの亡命を経験しています。
彼らの作品年譜に大きな空白があるのは、こういう時期です。
第二次世界大戦後、最後復興期を待って、1950年代に入り爆発的に作品が建ち始めます。
既に、彼らは60歳(ライトは1867年生まれ、コルビュジェは1887年生まれ、ミースは1886年生まれ)を過ぎていました。

実用性と離れれば離れるだけ、不況に弱い。
あらゆる芸術は全て同じかもしれません。
こういう大不況で選別され、淘汰される。
本当に強い思いがあるかどうかのふるいにかけられる。
しかし、こういう時期こそ自分の思いを再度見つめなおして、より深化させる契機になるかもしれません。

調べてみると、大芸術家はタフだということに気づかされます。旺盛な(創造力も含まれる)生命力に満ち溢れている。
第二次世界大戦中に、コルビュジェは何をしていたか。
第二次世界大戦での提案、「輝く都市」=超高層都市は空爆に強い。なぜなら、建蔽率が極めて小さいから。
信じられないくらい、たくましく、自分の都市提案の売り込みを続けている。

コルビュジェは第二次世界大戦後大きく変わる。戦前までの自分の考え方をかなり否定する方向に。
ロンシャンはその代表作。
第二次世界大戦中は、その思考の時間だった。
戦後、「輝く都市」をどんどんと実践していく。ユニテ・ダビタシオン(「輝く都市」での集合住宅)も建ててゆく。
しかし、造形は変わりはじめる。
マルセイユのユニテ・ダビタシオンには、ロンシャンへの方向性が示されている。
(前記、早稲田建築の吉阪隆正は、この時期にコルビュジェのアトリエに国費留学している。坂倉順三、前川國男は戦前のコルビュジェのアトリエに弟子入り。そのため、吉阪と坂倉、前川とは大きな作風の違いがある。学生時代に、コルビュジェの方向転換に興味があり、この辺のところを聞こうとした。特にニーチェアンとしてのコルビュジェについてを。しかし、その回答は聞き出せなかったが、「海の造形と山の造形」の話をしてくれた。山の国スイス生まれのコルビュジェは、地中海に憧れた。それ故、その両面を持っていた。聞き方が悪かったのか、的外れとなったが、興味深い話だった。しかし、地中海のアルジェリアのガルダイア(後期コルビュジェの造形の源泉。造形に行き詰まったら「ガルダイアを見ろ」とまで言っている。)を見ると、これは、コルビュジェの戦後のロンシャンを含めた作品群に影響を与えた造形群だ。結局、後期の作品群も地中海、「海の造形」なのだ。この年になって、ロンシャンをみると、やはり幾何学造形が気になる。ガルダイア的なるものに、幾何学造形が闖入している。ディオニュソスとアポロンのアウフヘーベンの造形というより、アポロンが闖入していると感じるときがある。)

芸術をやるということは、実は相当にタフでないと、と最近思い始めている。
ニーチェを大幻滅させたワーグナーは、自分の思いの実現のために一国の財政を破綻させた。それ程ではないが、芸術家の、自分の思い実現のためのすさまじい執念には驚かされることが多い。
「実社会から逃避せんがために芸術の道へ」などとは、とんでもない誤解で、まったく正反対の道である。と感じるのは、こういう不況期のせいだろうか。

すさまじく激しい生命力と、常人では感じきれない非常に繊細な世界とが、一人の人間の中に並存する必要がある。非常にタフな世界と、非常に繊細な世界が共存する必要がある。
また、先人のいない無からの創造、真の創造を考えた場合、すさまじく激しいエネルギー(創造力)を必要とする。
「芸術は爆発だ」では無く、「芸術は格闘だ」というようなところがある。自分の激しい思いだけが、立ちはだかる壁を破り、それを可能にする。

(後略)



大転換期の芸術 2    投稿日:2009年11月6日 金曜日

ニーチェの読解を、「権力の意志」と考えるか、「永遠回帰」と考えるかで、全く方向性が変わってくる。
「永遠回帰」の射程距離は、非常に長い。「(デカルトからの)近代」から「神の死」後の世界さえも包含している。人間存在と永遠性(絶対性)とがぶつかりながら、神の存在無しで、人間存在の倫理的(絶対的)基盤を提示している。それまでの世界の「絶対的一元性」に対して「絶対的多元性」の形而上学的提示といえようか。
「永遠回帰」の世界では、一瞬一瞬の行動が、永遠に繰り返され、その判断の良し悪しを永遠に問いかけてくる。良いも悪いも、永遠に繰り返され、誤った行動は、その間違いを永遠に問いかけてくる。自分が満足するものも、永遠に繰り返される。当然、最高の喜びも永遠に繰り返される。
このように、永遠に繰り返されることを前提で生きろ、
永遠の時間に向かって投企しろ、ということ。
芸術家の生き方の教えとして、最高のものかと思う。
いや、人間全てに対しての最高の教えかもしれない。
個々の人間の生き方として、自分にとって完全に合致した、その中で最高のものをめざし、それを完全に実現しなさい。それが永遠に繰り返されるから。不満足(失敗・後悔)も永遠に繰り返される。満足も永遠に繰り返されるから。
永遠の時間を思い、今を生きる。
これは現代人が失ってしまったものでは無いだろうか。
ニーチェは、現代人の生き方と正反対を指し示している。
「永遠回帰」は、実は、「神の死」後の現代人のニヒリズム(刹那主義的生き方)の脱し方(ニヒリズムの克服)として提示したものなのだ。
それが、「絶対的一元性」に陥らずに、「多元性」を絶対的に提示できている。「絶対的多元性」の世界だ。

ニーチェに対する読解は、世界大恐慌後の大不況時代は、正反対であった。
すなわち、「権力の意志」の哲学者としてのニーチェだった。
ニーチェの妹が、ニーチェの代表作として「権力の意志」を捏造して売り込んだ。その結果、思想的基盤をナチスに与えてしまった。第二次世界大戦の大悲劇はここから始まったといっても言い過ぎでは無いだろう。
ナチズム・ファシズム・全体主義の思想的基盤として解釈された。
ニーチェの「永遠回帰」からくる「絶対的多元性」とは正反対の世界だ。

戦後の読解は、基本的に「絶対的多元性」の哲学者としてのニーチェと言ってもよいだろう。
実存哲学としてのニーチェ。サルトルがハイデッガーを曲解して、ニーチェを担ぎ出した。ハイデッガーがサルトルの読解の間違を徹底して批判する。サルトル以降の哲学は基本的に、この批判から出発している。フーコー、ドゥルーズ、デリダ以降、サルトルは完全に忘れ去られた感じだ。

ニーチェは、「永遠回帰」でも、エネルギー理論を出して証明しようとしている。「権力の意志」すなわち「力の意志」もエネルギー理論から出している。また「エネルギー不変の法則」に非常に興味を持っている。
ここから出てくるのが、貧困な時代に限られたエネルギーでの合理的分配を考えると、全体主義(「貧困ゆえの一様性」)になり、あり余る時代には、多様性(「豊かさゆえの多元性」)にむかうとするなら、両方使い分けできる理論の源を持っている。
彼自体が代表作を完成せずに終わっており、確かにその遺稿を見ると、実は両方の可能性があり、この遺稿を、どうまとめるかで、両方が出来てしまう可能性を持つ(現代では、全体主義的方向は、遺稿から見出せないとする方向かもしれないし、それを願って、整理しているとしたらそれもそれで問題かもしれない)。
結局、時代を超えられているとしたら、その点であり、時代時代で両方の解釈がなりたつのかもしれない。

現在のエコブームは、実は、石油の枯渇が時間の問題であり、それをうまくカモフラージュ(地球温暖化ということで問題をそらして)して、省エネ、代替燃料の技術開発、に向かわそうとしている。

実にうまい出し方をしたな、と思っている。地球全体で見れば、氷河期に向かっている。徐々に冷えつつある地球を、CO2がなんとか冷却を防いでくれている。今後、地球が氷河期に入り、化石燃料がなくなり、代替燃料もなけれぱ、どうなるのか。そういう切り出し方よりもうまいと思う。実際長いスパンで考えれば恐れるのはそちらの方だ。石油は実は底をついている。どんどんと石油が値上がるのは目に見えている。昨年前半の異常な高騰がその前兆だ。高くなったら当然石油を湯水のように使えなくなる。ほうっておいてもいずれ化石燃料使用には大ブレーキが掛かる。CO2による地球温暖化という問題は、実はそれによって解消する(どころか石油枯渇後に氷河期に向かう可能性もある)。問題は、実は、その石油枯渇前に代替燃料が開発できていないことの方で、これは本当に恐ろしい。そういう話一切をカモフラージュして、本当にうまい出しかたをしたと思う。

20世紀後半の大好景気は、地球が数億年かけて溜め込んだ化石燃料(C)を一時で使用した(CO2)ために、起こった大活況(言い換えればCO2化)で、実は、この後、それを使い切り、それまでに代替エネルギーを発見できなければ、(数億年の蓄積を100年程度で消費するという付けが回ってきて)永続的未曾有の大不況(それがエネルギー的には本来の形かもしれない)が待ち構えている。
それに向かってまっしぐらなのだが、(パニックを起さずに)うまくカモフラージュして、ソフトランディングが、現代の最も切迫した大テーマであり、結局、石油に代わる、本命の代替エネルギーを石油が枯渇する前に見つけ出さないというのが、表には出さない大政策なのだ。

芸術を考えた場合、20世紀の芸術は、地球が数億年かけて溜め込んだ化石燃料を一時で使用したために起こった大活況という状況下での「芸術」であり、それが今後とも永続できるとは思われない。
この大不況期に、石油枯渇後の地球にとっての芸術の方向性をじっくり考えてみることは、20世紀までの文明と全く違った世界での芸術のあり方の回答になるだろう。

時間(歴史)が進歩発展に向かうというものの見方、すなわち、「近代的世界観」=「ヘーゲル(楽天的)歴史(未来発展)観/ダーウィニズム」と正反対の世界観をそろそろ考える時期に至ったのかもしれない。
時間は進歩発展に向かうのではなく、退歩もありうるし、停滞もありうる。永遠に繰り返すというのは「永遠回帰」だ。
ニーチェのこの辺の洞察は鋭い、ヘーゲル歴史観影響下のダーウィンの進化論を見ている。
常に発展していくというのは、近代の見方だ、としている。

時代の枠の外でどれだけ考えられるか。時代を超えることにつながる。パラダイム(T・クーン)、エピステーメ(フーコー)の概念を、実は一番最初に取り出したのは、ニーチェだろう。深層心理を取り出して、フロイトにも影響を与えている。構造主義的思考の一番最初だったかもしれない。時代の様式で考えることから、自由になり始めるのは、実は19世紀だ。エクレクティシズムは貶められて見られていたが、時代枠を超えて自由になりつつある証だ。

ニーチェが、(力とエネルギーとを混同している箇所が多く見られるが)「エネルギー」に着目するのは、実は産業革命の時代だからだ。(数億年の蓄積を100年程度で消費するという)莫大なエネルギーが発散しつつあった。エネルギーへの着目は新しい。それによって、「力の意志」「永遠回帰」を同時に語りはじめる。産業革命、エネルギー時代の始まり、これを見ると、ニーチェも時代の子だ。
ただ、一般の見方が、エネルギー爆発的な方向に向かうのに比べて、エネルギー不変の法則に注目して、「力の意志」「永遠回帰」に向かう。実は時代と正反対の見方なのだ。エネルギー爆発的な方向の見方ではない。
もし、原子力時代に生きていればどうなっていたか。普通のエネルギー無尽蔵方向の見方になっていればつまらない。エネルギー爆発的な方向での「超人」では、これはアメリカ漫画になってしまう。
19世紀という時代に生まれたおかげで、21世紀以降を先取りできているのかもしれない。

結局、ニーチェの予言の今後を考えた場合、「神の死」⇒「人間の死」⇒「超人の誕生」よりも、圧倒的壮大さから見れば、「永遠回帰」的世界観かもしれない。近代を代表するヘーゲル的(直線的、発展史観的)歴史観を越えられる可能性を持つものとして。
そういう時代になってきたのだろう。しかし、当時、矛盾も多く、ニーチェ自身が扱いに困ったというのが、実情だろう。

人類は無尽蔵のエネルギーを手に入れられるのか、それが不可能だとしたら。それが前提での(その方が普通の考え方だろう)世界観を未完成ながら提示している。
人類が無尽蔵のエネルギーを手に入れることを前提で、20世紀的エネルギー爆発的(数億年かかっての化石燃料という蓄積を100年程度で消費という気違いじみた)文明が成立していた。
全て人々にアメリカ並みの生活水準を!
それが不可能なことがわかり始めている。
結局、(化石燃料が無くなり、核融合的な代替エネルギーも無いとしたら)地球に降りそそぐ太陽エネルギーが一定の中での、(人類全体での)分配になる。
エネルギー的には、農業社会のような、毎年同じことが永遠に繰り返される(永遠回帰的)社会を想定しなければならなくなる。

直線的な進歩史観が、崩壊しつつある。それに対して、退歩史観、停滞史観も、魅力的ではない。そういって、永遠回帰的なものが魅力的かといえばと、すごくヘビーな物語(史観)だ。
それに耐えられる者のみが、(永遠)回帰すると、ニーチェは言う。それに耐えられない者は、ふるい落とされる(回帰しない)。
しかし、それに耐えられる人はどれだけいるというのだろうか。
そこに新しい人間、すなわち、「超人」の誕生を、ニーチェは夢見る。

このような物語は別にしても、エネルギー的には、地球に降りそそぐ太陽エネルギーの枠内で、毎年その分だけを使用する。農業社会のように。
結局、化石燃料は太陽エネルギーによるCの何億年の蓄積だったわけで、それを100年程度で使い切ってしまうのだから、(その付けが回ってきて)その後は帳尻を合わせなくてはいけなくなる。
ようやく、地球全体に降り注ぐ太陽エネルギーの枠内での、経済感覚(いや、「エネルギー感覚」というべきか)ある時代の到来となる。



大転換期の芸術 3    投稿日:2009年11月15日 日曜日

「永遠回帰」と「エコ(永遠)循環」の話は、実はバブル直前の、1980年代前半にも同じ話を書きかけていた。カラムという非常に硬い雑誌に連載していた。1973年のオイルショックに始まる省エネ、低成長の時代からバブル直前までの期間で書き始めていたということだ。
タイトルもほぼ同じだった事に昨日気づいたので、以下、「永遠回帰・エコ(永遠)循環と芸術」のテーマに方向転換します(また「大不況期と芸術」のタイトルでは暗い)。

今回の話は、実は、作品の価値付けの問題について、話したいと思っていました。
機能性、実用性とかのレベルでなく、また投資価値としての(売りたいときに、他の人が買ってくれるとかの)有名度とかではなく、また、他人が感性的に気持ちいいとかで、人におもねて造るのでもなく、最終的には、自分の価値観に基づき、自分がいいと思ったものだけを造るという条件で、(第三者として)外から見ての価値付けの話です。
不況のときに、自分の価値観に基づき自分がいいと思ったものだけを造るという信念がゆらぎ、外からの視点での価値付けを考えた結果、人におもねる作品になってしまうことがある。それが決定的に、価値を落とすのです。

(第三者的に)外から見たとき、作品の価値は、第一に、その作家の「生の真実」であるかどうかということです。これはまず最低限でしょう。作品の技量とか内容とか以前の問題です。
そこから、人まねは駄目であり、人におもねた物も当然だめですが、
その作家自身が、最終的には、この生き方しかできないという生き方を既にしているかどうかです。言い換えれば、「永遠回帰」での、何万回でもその生き方を繰り返せるかどうか。そのような生き方に近づいている度合いです。その結果、作品としても(その時々の「生の真実」で)これしかないというものを造っているかどうかでしょう。

この話は、以下の話からきています。

「我思う。故に我あり」の極限が「永遠回帰」の哲学です。
神の存在無しで、個人個人が絶対的基盤(永遠的時間か)に到達できるという意味で、「永遠回帰」の哲学は、デカルト的近代の極限かもしれません※。
そこで、作品を考えた場合は、
「永遠回帰」して、何万回、生を繰り返しても、同じ結論=同じ「作品」に到達するか、すなわち、作品として、これしかないというものを(その時期時期、それぞれの段階において(その時々の「生の真実」に裏打ちされて))造っているかどうかです。
芸術家だけが「生の真実」を生きられる。特権のようなものですから。だからそれが(外から見たときの)価値付けの指標になります。


※「我思う。故に我あり」の極限が「永遠回帰」の哲学
※デカルト的近代の極限
ハイデッガーは、ニーチェをプラトン以来の西洋形而上学の最終的な完成者として捉えるが、デカルトに始まる近代哲学のひとつの究極であることは確かだろう。個人の生き方の究極の問題について徹底して考えた人だろう。
ルネサンス以降は、「人間」、特に「個人」の可能性が徹底的に考えられてきた。デカルトから始まる近代哲学はその典型だろう。
フーコーが「18世紀末に至るまで、人間は存在していなかった」というが、これは、ルネサンス以降に誕生した、ルネサンス的万能の天才、「人間」の始まりを前提としながら、しかし、その段階では、まだ知の配置上では、「人間」という(神から独立した)存在は現れず、「神の死」を前提とした「人間」の誕生は、18世紀末まで待たざるを得ないということを言っている。そして、その「人間」も 「波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」というように危うい存在であるとし、(ニーチェの予言そのものになるが)「超人」の誕生を予想させる話となっている。そのニーチェの「超人の物語」、いや「超人の哲学」の要が「永遠回帰」だ。
フーコーの難解な「言葉と物」は、構造主義(共時系)と歴史(通時系)との統合をめざしたもので、その時代時代の「知の配置」の変換過程を明らかにしようとした最も野心的なものだが(以前、このことを書きかけていたが、推測の通り、フーコーはこのことを雑誌社の取材で答えていた)、この「言葉と物」の、壮大な歴史物語も、実はこのニーチェの「超人にいたる物語」をベースにおいている。「超人」というと漫画になるが、「神の死」後のニヒリズムの克服は、近代の最大のテーマであり、それに答えた唯一の哲学物語(やはり「物語」だからハイデッガーに形而上学といわれるが)かもしれない。
(「物語」で形而上学だから)信じる信じないは別にして、論理の行き着くところはこれしかないという感じか。
しかし「永遠回帰」が証明できなければ、「物語」いや形而上学になるとニーチェは認識し、それを証明しようとしたが、(だからニーチェは前述のようにエネルギー系の物理学に一時凝っていたが)証明できず、結局、ニーチェ自身の壮大なもくろみは未完になった(おそらく長生きしても駄目だろう)。
その未完の物語の完成を構造主義を使って挑んだのがフーコーで、その時代時代の「知の配置」の変換過程を明らかにして、ニーチェの壮大な物語を証明しようとしたが、それも未完に終わった。
そのため、歴史の不連続性だけが残り、ヘーゲルの連続的発展のアンチのようにみられるようになってしまったが、実は、構造主義(共時系)と歴史主義(通時系)の統一理論をもくろんだ壮大な試み、すなわち、「知の配置」の変換過程を明らかにすることにより歴史の連続を解き明かすものだった、しかし、それは「言葉と物」直後に放棄される。「知の考古学」が不明快なのはそのためだ。はじめの壮大な意図を放棄したためだ。

ニーチェの場合、「永遠回帰」の非常にヘビィな物語と晩年の「超人」また「赤子」に関する「軽快な哲学」が矛盾する(晩年の軽快な哲学を医学的に説明しようとする人がいる)。一貫性を考えれば「永遠回帰」に基づくはずのものが、「超人」という概念(「赤子」と結びつけた「超人」、それも軽快な「超人」)を出したために、わかりにくしてしまった。飛躍というか、その概念が一人歩きし始めた。その結果、「人間の死」⇒「超人の誕生」という(漫画的な)図式となってしまった(その先を描ければ良いが、どうも違う)。ニーチェに時間があれば、「永遠回帰」の哲学をもっと掘り下げただろう(が、それも行き詰まったため、別の展開のきっかけを考えたのだろう)。 ニーチェに「永遠回帰」の哲学のひらめきが訪れた瞬間に戻ろう。そこが始まりだった。 (しかし、この論理の展開が難しければ、現代哲学そのものが行き詰まる。20世紀以降の哲学は、ニーチェを中心に、それも「永遠回帰」以降のニーチェの哲学に多くを依存しているから)。






2010年

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ダーウィン進化論とレヴィ=ストロース構造主義    投稿日:2010年04月2日 金曜日

ダーウィン進化論「種の起源」出版から昨年11月24日で150年ということもあり、ダーウィン進化論について、違う論点で書きはじめる。

ウィルス自体の侵入が人間の遺伝子を書き換える。
ルネサンス直前の黒死病の大流行が、人類の遺伝子を書き換えた。
(1348年の黒死病で、フィレンツェの人口は約10万人から約4万人に激減した。)
ニュートンの「万有引力の法則」の発見直前に、黒死病が流行した。
(黒死病の流行によって、18カ月に渡り、ケンブリッジ大学が閉鎖、この休暇中に、ニュートン「万有引力の法則」の発見をした。)
その説に立てば、
新型インフルエンザ大流行のたびに、人類は進化(退化もあるが)している、ということになる。

ダーウィン進化論の「突然変異」の「突然」のもうひとつ意味は、歴史の「不連続性」である。
ヘーゲルの歴史主義のアンチの「構造主義」と同じだ。
フーコーが「言葉と物」で企図とした壮大な試み(構造主義+歴史(連続)主義)を自ら破綻させた理由のひとつは、この辺にあるのかもしれない。
中世から近代への転換が、黒死病のウィルス※による、人類が予期せぬ遺伝子の組み換わりによるものなら、歴史の転換は「予見不可能」となる。歴史は不連続になる。
ヘーゲル的な「予見可能」な連続的歴史観は成り立たなくなる。
もうひとつの(ラマルクによって提唱された)「進化論」の「用不用説」は、(機能主義的な意味で)連続的歴史観だ。それを考えると、ダーウィン進化論は、極めて大胆なものだ。

昨年、その「構造主義」の大家のレヴィ=ストロースが亡くなった。
今、彼の主著「野生の思考」の「第9章 歴史と弁証法」を再読している。「野生の思考」は「第9章 歴史と弁証法」のために書かれていると言っても良い(「野生の思考=未開」に対するのは「(温室)栽培思考=近代」)。
ここでは、なぜサルトル、マルクス、ヘーゲル、の弁証法が矢面なのか。
その後、フーコーが「言葉と物」で企図とした壮大な試み(構造主義+歴史(連続)主義)を自ら破綻させた、もうひとつの理由もここにある。
そして、時代は「構造主義」へ。
サルトルは過去の人に、マルクス主義の敗退につながる。
結局、マルクス・ヘーゲルの弁証法が、レヴィ=ストロースの総攻撃目標だった(サルトルをして「マルクスをせき止めるためのブルジョアジーの最後の堤防」と言わしめた)。

構造主義者は、どういうわけか(戦いに明け暮れたせいか)天寿を全うしていない人が多い。
しかし、レヴィ=ストロースは、1962年に54歳で「野生の思考」を出版、「構造主義」ブームを巻き起こし、その後の社会に与えた、以上のような影響を、ことごとく見て、昨年(2009年)満100歳で天寿を全うした。


※黒死病とはウイルス性出血熱であったという説に基づいています。
 http://med-legend.com/mt/archives/2005/05/post_557.html






2012年

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ニーチェのモラルの規範    投稿日:2012年03月4日 日曜日

「永劫回帰」以外のニーチェのもうひとつのモラルの規範は、「ルサンチマン」だ。

卑しさに対して、高貴さだ。つまり、高貴をめざせだ。

「永劫回帰に耐えられる選択」と「ルサンチマンの否定」が、ニーチェのモラルの規範、人間の行動原理の規範だと言える。

これは二重原理というより、相互に矛盾しない原理だ。
「永劫回帰」が第一原理。それに従属して矛盾しない第二原理ともいうべきものが「ルサンチマン」だろう。
すなわち、「永劫回帰」に「ルサンチマン」は耐えられない。何回かの回帰段階で、消滅(昇天、解脱)する存在だ。
「ルサンチマン」に、容易に人間はとりつかれ、時には、行動の大きなエネルギーになるが、しかしそれは「永劫回帰」の前には、消し飛んでしまう儚い存在だ。そのようなことを、人間にわきまえさせるものが「永劫回帰」だ。







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